イップスの正体|#4 平孝臣(東京女子医科大学)
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イップスの正体|#4 平孝臣(東京女子医科大学)

イップスは局所性ジストニア、つまり、脳の病気なのではないかとする説がある。東京女子医科大学の平孝臣医師は2000年1月に初めて局所性ジストニアの患者を手術してからというもの、これまで700件から800件、オペを施してきたという。平医師のオペは独特で、脳内の一部に電流を流した針を刺し、それによって従来のスムーズな動きを取り戻させるというものだ。同手術の技術を持っている医師は全国でもごくわずか。平医師は、その第一人者といっていい。そんな脳医学のスペシャリストに、イップスは局所性ジストニアであるか否かを聞いた。

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平医師(中央)

――まず、局所性ジストニアと、いわゆるジストニアの違いを教えてください。

 ジストニアは、局所性と区別するためにも、全身性ジストニアと呼ばれることがあります。全身性ジストニアは1900年代はじめから脳疾患として知られており、ジストニアというと、全身に症状がおよぶものと長年考えられてきました。一方で、書痙など体の一部の異常な動きが、全身性ジストニアと同様な脳の疾患であると言われ始めたのが、1980年代前半からです。書痙は普通にペンを持っているぶんには何ともないのに、字を書こうとすると手が動かなくなる。小説家や漫画家などにも多い病気です。あとは眼瞼けいれんと言って、意思とは関係なく目をギューッとつぶってしまう症状も非常に多い。

――局所性ジストニアの延長に全身性があると考えていいのでしょうか。

 そうとは言い切れません。重なっている部分もありますが、まったく別の病気と考えられている部分もあります。手と足に症状が出る局所性の場合は、脳の中でいろんな動きや感覚の中継点になっている視床を手術すると改善するが、全身性は視床でなく淡蒼球という部位なども広く関与しており、視床だけにとどまらないケースがほとんどです。ちなみに、眼瞼けいれんも、同じ局所性であっても、治療する脳内の場所は視床とはまたちょっと違うんです。

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――局所性ジストニアの定義はできますか。

 字を書くとか、楽器を弾くとか、ある特定の動作をしようとしたとき、関連する筋肉が勝手に動いてしまうことです。伸ばしたいと思っているのに縮んでしまったり、逆に縮めようとしたら伸びてしまったり。結果、硬直したり、震えたりしてしまうんです。普段の生活では何ともないのに、キーボードに向かったら手がいうことをきかないとか。だから、ゴルフでもクラブを持った瞬間に、変な動きが出てしまうということであれば、局所性ジストニアの可能性はあると思います。

――イップスは局所性ジストニアの一種なのではという方もいますが、率直なところ、どう思われますか。

 アメリカでは、ずいぶん前から、そう言われていました。20年も30年も前に、ゴルフにおけるイップスは局所性ジストニアに相当するのではという論文が書かれていた記憶があります。イップスは俗語で、正確な定義もできないので言い方が難しいのですが、手や足の震えや硬直で悩んでいるスポーツ選手の中に、局所性ジストニアを疑った方がいい選手がいるのではないかと思います。おそらく俗に言うイップスには2種類あり、ひとつは局所性ジストニア、もうひとつは本態性振戦という手や首がふるえる疾患です。後者は年をとるとともに発症しやすく、65歳以上では一般人口の10~15%がかかります。緊張すると震えがひどくなるので、メンタルなものと言われがちですが、やはり脳の機能的な病気です。

――こちらにイップスになったスポーツ選手が訪ねてくることはあるのでしょうか。

 ほとんどいらっしゃらないですね。局所性ジストニアに限っていうと、うちは書痙の患者さんがいちばん多い。次はミュージシャンです。ミュージシャンは5%くらい局所性ジストニアにかかると言われています。数は少ないですが、スポーツ選手も、ときどきは来ます。テニスと、卓球と、ダーツの選手が来ました。あと、スピードスケートの選手も診たことがあります。スピードスケートの世界では、突然、足首に力が入らなくなってしまう症状を「ぶらぶら病」と呼んでいるのですが、それがイップスに似ているのです。スケート界では「ぶらぶら病になったら終わりだ」と言われているそうです。駅伝ランナーでも、やはり走っている途中に力が入らなくなる「ぬけぬけ病」というものがありますよね。

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――競技人口からいっても、競技の特性からいっても、ゴルフと野球がもっともイップスで悩んでいる人が多いと思うのですが、ゴルフや野球の選手が来たことは?

 ほとんどないですね。

――不思議ですね。ゴルフや野球を筆頭に、スポーツでイップスにかかって、医者に診てもらったとか、手術をしたという話をほとんど聞いたことがないのです。トレーニング系やメンタル系のトレーナーに診てもらったという人は結構、いるんですけれども。それはなぜなのでしょう。

 イップスはメンタル的な問題、あるいは体の使い方の問題だという認識が定着してしまっているからではないでしょうか。あくまで、病気の範疇ではない、と。ゴルフや野球ほどの大きなソサエティーになると、トレーナーの数も多い。そこが、ひとまず受け皿になっているので、そこで少なからず解決できた気になってしまうんでしょうね。そこへ行くと、書痙になった人たちや楽器が弾けなくなった音楽家は、最初から病院にかかるケースの方が多いと思います。身近にトレーナーなどいない環境なので、病院にかかる方が手っ取り早いんでしょうね。あと、音楽家の中では、ある程度、局所性ジストニアという言葉が浸透していることも大きいと思います。もちろんメンタルトレーニングなどで症状が緩和することはあると思います。ただ、局所性ジストニアであるのならば、それは根本的な解決にはなりません。

――局所性ジストニアは、メンタルは無関係であると考えていいのでしょうか。

 無関係ではないと思います。ただ、メンタルで治癒できないことは確かです。無関係ではないというのは、たとえば、音楽家でも、仕事が忙しくていろんな精神的な負荷がかかっていたときに変な動きが始まったという人はいます。なので、性格的にまじめで、考え込んでしまう人がなる傾向は強い。胃潰瘍と同じだと考えてもらえればいいかもしれません。強いストレスを抱えていて胃に穴が開いたと。精神的負荷で穴が開いたからといって、精神的なやすらぎを与えれば治るというものではない。手術や投薬で治さなければいけません。

――――局所性ジストニアになり、東京女子医科大で脳の外科手術を受けた方は、これまで何人ぐらいいるのでしょうか。

 2000年1月に初めて手術をして、もう20年以上になります。手のジストニアに限ると、250人くらいでしょうか。

――手術は手のジストニアに限定しているのでしょうか。

 いえいえ。首でも、顔でも、目でも、舌でも、すべてやりますよ。それらも含めたら700から800、ひょっとしたらそれ以上やっているかもしれません。

――手と足に局所性ジストニアが認められた場合の簡単な手術内容を教えてください。

 頭蓋骨に直径およそ13ミリの小さな穴を開け、そこから直径1ミリほどの針を差し込みます。そして、ウズラの卵ほどの大きさで、左右に1つずつある視床と呼ばれる部分の中の、症状を改善できると思われる米粒1つ分くらいの場所を特定し、そこに針を刺します。

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