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山内昌之「将軍の世紀」|北方問題の開幕 (1)家斉の古びた煙草盆

歴史学の泰斗・山内昌之が、徳川15代将軍の姿を通して日本という国のかたちを捉えることに挑んだ連載「将軍の世紀」。2018年1月号より『文藝春秋』で連載していた本作を、2020年6月から『文藝春秋digital』で配信します。令和のいま、江戸を知ることで、日本を知るーー。今月登場する将軍は、第11代・徳川家斉です。

※本連載は、毎週月曜日に配信します。

「西下(定信)様は学問や武芸に人のように格別に精力を使い果たすことはない。そのうえ物覚えもとりわけ優れている方でもない。それなのに、鍛錬で奇妙なほど文武ともに通じておられる。万事につけて大辻(大筋)を御存知だから、横町(細部)もお分かりだ。そのせいか、妙な所にもよくお気が付かれ、理屈のない事柄に奇妙な理屈がついて面白いこともある。生まれつき聡明な方なのだ。しかし役人たちは、重役から軽輩までどうも油断できない。滅多に心を許す方ではなさそうだ」(『よしの冊子』上、四)。

 老中・松平定信の側近・水野為長は、主人に役立つ武家や市井の情報をこまめに収集した。現代語訳した上の文章は、金銀米穀や下々の動静を探る定信の片鱗をよく表している。帰邸してもくつろぐわけでなく、下屋敷で保養する習慣もなかった。定信には吉宗の孫たる栄光と老中・将軍補佐としての名声がまず一番であり、心の安らぎは二の次、ましてや金銭欲には乏しかった。世俗への欲といえば、寛政改革に成功して人びとが将軍・家斉を称賛する時が訪れるなら、定信のあっぱれな仕事ぶりよと将軍に言わせたいぐらいではなかったろうか。さながら、スパルタ国王テオポンプスが御見事な統治のゆえに国家も安泰だと言われて、いや人びとの服従の仕方が見事だからだと部下に功を譲ったようなものだ(プルタルコス『モラリア』3。モンテーニュ『エセー』2)。

 しかし実際に起きた事は、家斉の称賛でもなければ定信の充足でもなかった。定信はおよそ半世紀に及ぶ家斉の治世のなかで六年だけ執政だったにすぎない。しかし天明八年(一七八八)に将軍補佐となった後、家斉に御心得十五箇条を呈上したのは注目される。まず第五条では、「上ニあらせられ候ては御十分御聡明にあらせられ候ても凡人の聡明なるよりハはるかに御劣りあそばされ候、惣て御才智を以て下と御争いあそばされ候義ハあらせられましき」と触れる。これは、上様の才智は自分に及ばないから政策で異議を唱えないようにと釘を刺したに等しい。善意に解釈すれば、君側に家斉の聡さを褒め称える輩ばかりが出ると「御聡明もお暗く遊ばされ候」と注意を喚起したのかもしれない。また定信は第十二条で史書をよく読まないと古今の「時勢と人情」に暗くなると忠言した。歴史をよく理解すれば、世を安定させる仕事を果たせるというのだ(『有所不為斎雑録』第三集第廿四、国会図書館DC)。定信は事あるごとに、家斉の幼少を侮る大名・直参が幕府を軽視しないように厳しく目を光らせた。寛政元年(一七八九)のアイヌのクナシリ・メナシ蜂起後に、蝦夷地に派遣された普請役見習・青嶋俊蔵が松前藩と馴れ合ったと遠島処分を受けた理由は、「御威光の薄き(将軍の幼さ)にあたり、遠方の大名、公儀を軽く申す儀」(「蝦夷糺の儀書付」『蝦夷地一件(五)』一五、『新北海道史』七、史料一所収)に定信が神経質だったからだ。家斉も十五歳のままなら、素直に補佐・定信の善導に従ったに違いない。しかし、人間は誰でも成長する。成熟につれて考えや振舞いも変わるだろう。未成年の少年が世俗の雑念や色欲に覚醒すると、君臣の関係にも次第に変化が生じるものだ。

 御心得十五箇条の第十条では、普段から飲食の節制が求められた。病身では天下の大任に堪えられず、「わつかの御言行も天下風俗の御手本ニて御座候」と定信はうるさい。さらに第十一条において、昼過ぎ頃までには「表」に出座してほしく、御老年になっても同じだと重ねて口やかましい。すでに天明六年頃の定信意見書でも、家斉が「賢君の上にも、惑(まどい)候は女色」であり、将軍になる前に婚約した「御縁女様」なる茂姫(島津重豪娘)に惑溺するのではないかと不安を洩らしていた。これは外戚の外様大名・島津家やそれにつながる大奥女中の「表」への政治介入の危惧でもある。翌七年には、尾張宗睦が老女・大崎に、「御房事の筋御遅く御始りあそばされ候えば」、後々の健康にもよいので夫婦の交わりは少しでも遅い方がよいと注意した(高澤憲治『松平定信政権と寛政改革』)。

 実際の家斉は、二年後の寛政元年に、十七歳で本丸御次のお万との間に淑姫(ひでひめ)を儲けている。これが十八人の妻妾との間に五十五人もの男女をもうける始まりとなるが、定信には家斉が房事過多で子福者になる予感でもあったのだろうか。十五箇条の第十条で「御養生あそばされ候て無疆の寿(かぎりのない長命)を御保ちあそばされ永く天下をお治めあそばされ候事」と述べたのは、黙示的な預言にさえ思えてくる。家斉の晩年だけを見ると、幕府を傾けた無能な放蕩人に見えるが、評価する声も意外な所から上がる。甥にあたる福井藩主・松平慶永こと春嶽は、幕末の開明派大名といってよいだろうが、随想録の『閑窓秉筆』(かんそうへいひつ)の中で、家斉が「定信の忠誠を感し給ひ、師父の如き御取扱なりしといふ」と語り「御賢明なる事ハ誰もしる所なり」と評した。その傍から放さない「ふるびたる、麁末(そまつ)なる、御多葉粉盆」は、楽翁(定信)の献上品であり、「これを常に置て、楽翁は我を補佐し、色々世話になりたる事、又異見等を思ひ出す紀念なれは、美麗の道具にもまさるたはこ盆なりと仰せられたり」。これは幕末に勝海舟を抜擢し共に幕府を支えた大久保一翁(忠寛)から春嶽が聞いた話だ。もっとも春嶽は、定信が老中を辞めた後、家斉が「奢侈」「驕奢」を極めたことも隠さない。それでも家斉が「英雄の君」なので世は「太平」だったというのだ(『松平春獄全集』(1))。

 確かに若き家斉に期待する声は各方面に多かった。長崎のオランダ商館長だったイザーク・ティツィングもその一人だ。ベンガル総監に移った彼は、福知山藩主の蘭学者・朽木昌綱との文通で十四歳の家斉に希望を惜しまない。朽木と再会できるのは、「現在の将軍継嗣が即位して、より良い教育を受けて、外国人との交際の価値を納得し、その最初の先駆者になる時でしょう」とした上で、家斉以降の将軍が直面する開国の可能性に触れていた。「これほど文明化し、これほど立派で、これほどあらゆる学問に興味のある国民は、すぐに人類普遍の利益に与かることが望ましいのです!」と(一七八五年六月書翰、横山伊徳編『オランダ商館長の見た日本』)。

 実際、若き日の家斉は大奥だけに惑溺する惰弱な将軍ではなかった。家斉はポロに似た打毬(だきゅう)の名手であり、早朝から馬を責めた将軍であった。毎日のように五十三間(約百四メートル)の馬場で杖をもち、球を受けてから二かけで馬場端の毬門に入れる手際は師筋の者も舌を巻く腕前であった。また、朝は四時起床、散歩や鷹の据廻(すえまわ)しを終えて酷寒でも小袖と胴着で過ごし、暖は手あぶりの爐だけで満足したという紀州藩・堀内信の記述も残っている。家斉が家重や家治よりも狩を好んだのは事実である。曾祖父・吉宗の先蹤を継ぎ、小金原、王子、小松川、駒場野などで狩を重ねた。禁裏献上の鶴を風雪の中で猟した時、昼食は未(ひつじ)の刻下った時(午後三時頃)になったのに、少しも疲労の色を見せなかった。朝餉の時、側近たちに『家忠日記』や『甲陽軍鑑』などを読ませた。経書や史書よりも、『三国志』をとくに好んだというから軍記物の類が好きだったのだろう。綱吉のような本格的な教養には及ばないにせよ、『三国志』から劉備の寛仁大度の器を学び、諸葛亮の智謀と精忠を愛し、江戸城の襖絵や杉戸に草廬三顧の図や孔明像を描かせたというから、打毬を奨励した吉宗の曾孫らしく“分かりやすい人間”だったのだ(「文恭公御実記」『舊幕府』二、第五~第六篇。『文恭院殿御実紀附録』巻三)。

★次回に続く。

■山内昌之(やまうち・まさゆき)
1947年生、歴史学者。専攻は中東 ・イスラーム地域研究と国際関係史。武蔵野大学国際総合研究所特任教授。モロッコ王国ムハンマド五世大学特別客員教授。東京大学名誉教授。
2013年1月より、首相官邸設置「教育再生実行会議」の有識者委員、同年4月より、政府「アジア文化交流懇談会」の座長を務め、2014年6月から「国家安全保障局顧問会議」の座長に就任。また、2015年2月から「20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会」(略称「21世紀構想懇談会」)委員。2015年3月、日本相撲協会「横綱審議委員」に就任。2016年9月、「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」の委員に就任。
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