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美しい人――ジェーン・スーさん|中野信子「脳と美意識」

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※本連載は第31回です。最初から読む方はこちら。

 ジェーン・スーさんの自伝エッセイ(『生きるとか死ぬとか父親とか』)がドラマになっていて(テレ東で金曜日の深夜にやっている)、たまたまウェブ記事で見つけて2話まで見ている。自分で宣伝してこないところがスーさんらしくてまた素敵だなと思ってしまう。

 このドラマでは、吉田羊さんが主役としてスーさんを演じている。もともと、顔立ちが似ている2人なのだが、吉田羊さんのこれは役者魂なのか、あまりにもスーさんの話し方や歩き方までを完全再現しているので、スーさん本人を知っている人が見ると、ドラマのはずなのだが、なんだかトリックアートのように見えてくる。眩暈がするようで面白かった。

 スーさんは自分の美しさを隠すのが得意だ。というと、本人は絶対に大きな声でユーモラスに否定しに来ると思うし、反論する気が蒸発してしまうような面白いことを言うだろうからうやむやになってしまうだろうけれど、やはり頭のいい人だから、美しさを使うことのコスパの悪さを、よく知っていて、そういう存在にならないように注意深く行動しているのだな、という感じがする。スーさんごめんなさい、私の勝手な見立てです。

 ドラマそのものは、スーさんの、ヤバい人たらしお父様のお話。味わい深いエピソードが随所にちりばめられており、いろいろなことに気づかされる。

 私がまだ大学院生だったころから、スーさんの書く文章が好きで、本も読んでいたし、なんとなれば憧れの気持ちを持て余す感があるくらいには、スーさんの存在が気になっていた。

 東京出身であることを、こんなに気負わず、たったそれだけのことを面白く、リアリティを持って書くことができるなんて。田舎がないことを嘆く、そのドキュメントの後ろ側にいるスーさんの、東京人らしい不器用さと恥じらい、そして淡いけれども芯の固い誇りが感じられるようで、勝手ながら親近感を覚えたものだった。たった2つ上であるだけでこんなに解像度高く物事を見て、表現できる人がいるのか。

 当時は、一人でいることは女性にとっては恥ずかしいことだ、とする風潮がまだまだ強かった中で、一人でいないと死んじゃうんだよ!! という言い方で、一人でいることの贅沢と楽しみを表現しているところも、かっこいいなと思った。スーさんの書きぶりは、飄々と、気負わずに、常に彼女のリズムで筆を進めているということがわかる、メリハリのある音楽的な文章なのだが、それがとても沁みてくるのである。

 実際にお会いしたのは、それから何年かして呼んでいただいたラジオ番組でのことだった。スーさんは予想に違わずやはり面白い人だった。その面白さは、スーさんの思考が本然的に持っている客観性や誠実性が複層的なレイヤーとして重なり合うことによって生まれている。

 内に繊細な金色の針を抱えて、表面はひんやりと滑らかで透きとおった、それでいて親しみを感じさせる風情の、ルチルクオーツのような人だと思うことがある。金色のインクルージョンから複雑に放たれる光が折り重なって、言葉はチクリと痛いようだけれどもやさしい。スーさんの本は鍼灸院みたいである。

 頭の中にものさしを持っているような感じのする人、という表現が、私が小学生の頃に読んでいた本のなかにあって、ひそかに素敵だなあと思ってきたのだけれど、スーさんはまさにそんな感じのする人である。私自身は自分を律さず、だらしなく振舞うことの中に人間の証明があるとどこかで思っているのを否定しきれず揺れることがしばしばあるが、スーさんは、その「ものさし」が揺らがない。揺れ動くように見えても、それは相手へのやさしさから、どう伝えたら一番伝わるかを考えているから、そこで揺れるのだろうと思う。その揺れる光のやさしさと、揺るぎない芯のたしかさを、美しいと思う。

(連載第31回)
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■中野信子(なかの・のぶこ)
脳科学者。東日本国際大学特任教授。京都芸術大学客員教授。1975年生まれ。東京大学工学部応用化学科卒業、同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。医学博士。2008年から10年まで、フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)に勤務。脳科学、認知科学の最先端の研究業績を一般向けにわかりやすく紹介することで定評がある。17年、著書『サイコパス』(文春新書)がベストセラーに。他の著書に『ヒトは「いじめ」をやめられない』(小学館新書)、『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』(幻冬舎新書)など。※この連載は隔週土曜日に配信します。

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