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【川上麻衣子】わたしのコロナ感染記|私はコロナを人に感染させてしまった

文・川上麻衣子(女優)

川上麻衣子さん写真

川上氏

仕事をストップする勇気

私が新型コロナウイルスの脅威を意識したきっかけは、親交が深かった志村けんさんが感染して、昨年3月に亡くなったことです。人の命をあっけなく奪ってしまうウイルスなのだという恐ろしさを強烈に感じました。だからこそ、例えば撮影の現場でも、カメラが回っている間以外は常にマスクをつけるなどして気をつけていたつもりです。それなのに昨年11月に自分が感染したばかりか、一時の気の緩みから人に感染させてしまったことで大変な後悔をすることになりました。

私が発症したのは、医師の診断によると11月4日ですが、その時点では無症状です。私は仕事の前入りで千葉県にいて、私が代表を務める一般社団法人「ねこと今日」の女性スタッフと2人で食事をしていました。そこへ、仲のいい友人から「発熱した」と連絡がありました。なんとなく不安を感じて5日は予定をキャンセルし、一旦東京へ戻りました。ただ私自身に熱はなく、翌日から自分が主役のドラマ撮影が大阪であったため、夜に予定通り大阪入りしたのです。

6日は早朝からロケで、昼にお弁当を食べたらやたらしょっぱくて「変だな」と感じましたが、非接触型の体温計で測ったら36度台前半でした。ところが撮影後、マネジャーに接触型の体温計を買ってきてもらって測り直すと37度を超えていて、深夜には38.5度に。非接触型だと実際より低く出ることがあるので、心配な時は脇の下で測った方がいいと感じました。

7日午前、先に発熱した友人がPCR検査で陽性となり、私が濃厚接触者にあたるという連絡を東京の保健所から受けて、撮影中止が決まりました。40年間この仕事をしてきて自分の体調不良で中止するのは初めて。50人以上が動いている現場を止めるのは心苦しくて、言わずに済むのなら、という思いがよぎったのも事実です。でも、感染初期が一番人にうつしてしまう時期。ただの風邪かもしれないと思っても異変を感じた時点で周囲に伝えるべきだし、仕事をストップする勇気を持たないといけないというのは、後に噛みしめることになった教訓です。

当時の大阪の医療現場は東京以上に逼迫していて、PCR検査を受けられる病院探しから難航しました。陽性と確定したのは検査の3日後。医師からは結果が出る前、「今のうちに東京へ帰るのも一つの手段ですよ」と言われました。新幹線には無症状の乗客が何人もいるはずで、あなたのように陽性と思って行動する人の方が感染させるリスクは低いから、と。一人暮らしの私が自宅に猫2匹を残していたのもあってそう勧めてくれたのだと思いますが、新幹線で咳き込まないとも限らないし、体調が急変する可能性もあるので、大阪に留まることにしました。

心配していた猫たちの世話は、私が戻るまで友人が自宅に入ってやってくれることになり、先に帰京したマネジャーから鍵を渡してもらいました。ペットのいる人は普段から信頼できる第三者に合鍵を託しておくと、いざという時に安心ですよ。一人暮らしの人はもちろん、家族のいる人でも、全員感染して誰も面倒を見られなくなる可能性があるので。

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終わらなかったコロナの恐怖

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