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小泉悠 徹底分析「プーチンの軍事戦略」もっとも陰惨なシナリオとは?

文・小泉悠(東京大学先端科学技術研究センター専任講師)

小泉悠 文春R0020624

小泉氏

なぜロシアは苦戦を強いられているのか

ロシアは強大な軍事大国と認識されることが多いですが、実は、そうとばかりも言えません。ソ連崩壊後に凋落したロシアは、経済力や科学技術力はもちろん、核兵器を除くと軍事面でも、アメリカやNATOに大きく差をつけられてきました。

軍事情勢の報告書「ミリタリー・バランス」によると、2021年のロシアの軍事費は世界第5位(622億ドル)。1位のアメリカ(7540億ドル)と比べると1桁少ない額になります。また現在、NATOの兵力は欧州加盟国だけで約185万人。ロシア側の総兵力の倍の規模なのです。

軍事バランスで劣勢におかれたロシアが戦略的に重視してきたのは、サイバー戦や情報戦などを活用する「非接触戦争」です。

その手法がいかんなく発揮されたのが、2014年のクリミア併合でした。突如としてクリミアに現れた覆面の兵士集団が議会、行政施設、空港などを次々と占拠していき、約半月後にはロシア編入の是非を問う住民投票が強行され、クリミア半島の独立とロシアへの併合が可決されました。“弱い”はずのロシアが、わずか3週間で、あっと言う間にクリミア半島を併合してしまったので、アメリカもEU諸国も驚愕した。

この間、クリミアではプロパガンダや偽情報の流布、インターネットや携帯電話の妨害、サイバー攻撃などがおこなわれ、ウクライナ軍を攪乱しました。旧来の戦争とは異なる鮮やかな手法は、ロシアの軍事戦略が見直される契機となりました。

ところが、そのロシアが今、ウクライナで明らかに無様な戦争を繰り広げています。ロシア軍は制空権の掌握に失敗し、地上部隊の進撃も難航している。ロシアの制圧地域はなかなか広がらず、長期戦の様相を呈しています。

プーチンはこの事態を想像していなかったでしょう。侵攻開始後早々にキエフを陥落させ、3月18日に開催されるクリミア併合8周年の式典を、対ウクライナ戦勝記念式典とする。そこでロシア国民から拍手喝采を浴び、2024年秋の大統領選挙に万全の態勢で向かう……これが当初のプランだったはずです。

ロシアは思想の国として知られていますが、軍事の領域についても同様のことが言えます。兵力や技術力で劣勢に陥っても、ロシアの軍事思想家たちの発想力だけは衰えることなく、むしろ逆境を克服するためにその創造性を研ぎ澄ませてきた。例えば、戦略と戦術の間を繋ぐ「作戦術」という概念を作り出したのはソ連です。私自身、そんなロシアの軍事思想に興味を持ち、研究を続けてきました。

では、なぜロシアは今、苦戦を強いられているのか。膠着状態が続いた場合、プーチンはどんな手を使ってくると考えられるか――ロシアの軍事戦略の歴史も踏まえつつ、詳しく分析したいと思います。

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瀬戸際に立つプーチン

お粗末な軍事作戦

今回のウクライナ戦争は、中途半端で不可解な点が多く目につきます。まず、開戦の動機がはっきりとしない。これまでのロシアの戦争や武力介入を見ると、それぞれに一応もっともらしい動機はありました。

例えば2008年のグルジア戦争。この戦争の発端は、グルジア軍による南オセチア自治州への侵攻でしたから、ロシアには“防衛”のためという名目がありました。2014年のウクライナ介入も、親ロ派政権の崩壊をクーデターによるものと位置付け、治安維持の目的で軍事介入をおこなった。どちらもロシアの平和を脅かす事態だと、国内で一定のコンセンサスが形成されています。

ですが今回の全面侵攻について、プーチンは、ウクライナ東部の親ロ的な2地域を挙げ、「この地域を保護するため、ウクライナの軍事力を完全に破壊する必要があった」と、よく分からない理屈をこねている。なぜ今なのかも見えないのです。

もう一つ指摘すべきは、軍事作戦のお粗末さです。

この戦争におけるロシアの作戦は、軍事用語で言えば、外側から攻めていく「外線作戦」。ウクライナは内側から守る「内線作戦」となります。

外線作戦の最大の利点は、どこから攻めていくかを選ぶことができ、緒戦の主導権を握れることです。ウクライナの視点に立てば、どの方面から攻め込まれるか分からないため、限られた戦力を各地に分散せざるを得ない。相手側の戦力が一番手薄なところを狙い、兵力を再編させたうえで一気に突っこんでいくのが戦争の王道です。

湾岸戦争でのアメリカ軍が、まさにその手法をとっていました。アメリカはペルシャ湾に強襲揚陸艦を展開させたため、イラク軍は上陸に備えてかなりの兵力を配備せざるを得なくなった。ところがアメリカはサウジアラビア側から機甲部隊を突入させたのです。“アッパーカット”が見事に決まった形で、イラク軍は壊滅状態となりました。

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ペルシャ湾から眺めるクウェート

私は、ロシア軍は今回、この王道パターンで攻めてくるだろうと予想していました。ところが蓋を開けてみると、多方面からじわじわと攻めこんだ。ウクライナ軍は旧ソ連圏で第2位の軍事力を有しており、地上兵力で見ればロシアとそれほど変わらない。そのため一つひとつの正面でロシア軍とウクライナ軍の勢力がほぼ互角になり、膠着状態に陥っているわけです。

これら2点を踏まえても、今回の戦争は、政治の介入を受けていることが想像されます。おそらく軍人の意見に対してろくに耳を傾けず、プーチンがトップダウンで始めたものの、予想外の苦戦にとまどっている。国家指導者が現場にあれこれと口出しして、軍事作戦にいい結果が出た例しはありません。独ソ戦でドイツが赤軍に敗れたのは、ヒトラーが作戦に口を出し、軍人たちの反対にもかかわらず、兵力を分散させ、時間を浪費したためでした。プーチンはヒトラーの二の舞を演じているようにも見えます。

プーチンは読み違えた

なぜ、これほどまでに生ぬるい軍事作戦を決行したのか。プーチンには大きな誤解と読み違いがあったのかもしれません。

プーチンは歴史好きとして知られています。彼の考えでは、ロシア人とウクライナ人は歴史的に「1つの民」です。つまり兄弟民族なのだと。その思想がベースとなって、「いざロシア軍が入っていけば、ウクライナ国民は歓迎してくれる」「侵攻してもそれほど大きな抵抗を受けないだろう」と考えたのかもしれません。

また、プーチンにはクリミア併合の成功体験もあった。それほど大きな抵抗を受けずにクリミアを手に入れられた経験は、彼の思考を狂わせたのかもしれません。

クリミアはウクライナの中でもかなり特殊な地域でした。1954年まではロシアの一部だったこともあり、「自分たちは本来ロシアの国民だ」と考える住民も多かった。また、ロシアの黒海艦隊の基地が存在するので、ロシア軍人やその家族が多く住んでいます。

クリミア併合を分かりやすくたとえるならば、横須賀にアメリカの海兵隊が上陸したようなもの。普段からロシアに慣れ親しんでいるため、住民の心理的ハードルは低い。併合後にウクライナ海軍の副司令官がそのままロシア軍に鞍替えし、ロシア海軍提督の地位を与えられた例まであるほどです。

8年前の成功体験が災いして、プーチンは、ウクライナのナショナリズムを甘く見過ぎたのかもしれません。ロシア系住民が多いハリコフですら徹底抗戦の構えを見せています。ロシア系であるとか、ロシア語を話すからといって、彼らがロシア連邦に併合されたがっていると考えるのは、大きな間違いだったのです。

ロシア将軍6人の死

戦線の膠着により、ロシア軍にも異常事態が起こっています。ウクライナ軍の情報では、これまで6人の将軍が戦死している。今回の作戦に参加しているロシア陸軍の将軍は20人程度とされていますので、6人とはかなりの割合です。

最初に命を落とした第41連合軍副司令官のアンドレイ・スコベツキーは、自ら前線に出てきたところを狙われたようでした。侵攻開始直後、ウクライナ軍の抵抗で、キエフの北西側に60キロ以上に及ぶロシア軍の車列が出来たことがありました。現場が膠着した場合には、大きな権限を持つ指揮官が出て仕切る必要が出てくる。スコベツキーは最前線まで出向いた際、スナイパーに射殺されたと考えられています。

他の将軍の死については、はっきりしないことが多いですが、ウクライナが携帯電話やトランシーバーの発信を分析して、司令部や将軍たちの居場所を割り出しているのではないかとも言われています。

いずれにしても、ロシア側も相当混乱し、攻めあぐねているのはたしかでしょう。

このような膠着状態の中、ロシアが「エスカレーション抑止」と呼ばれる核戦略を取るのではないかとにわかに注目を集めています。エスカレーション抑止は一般的に、次の2つの考え方があります。

(1) 進行中の紛争においてロシアが劣勢に陥った場合、敵に対して限定された規模の核攻撃をおこなって、自身に有利な形で戦闘の停止を強要する

(2) 進行中の紛争ないし勃発が予期される紛争に、米国などの第三国が関与してくることを阻止するために同様の攻撃をおこなう

実際のウクライナでの戦況を見ると、ハリコフやマリウポリでは民間人への無差別攻撃がおこなわれ、子供も含めた多くの命が失われている。国民の死に対しては麻痺状態であり、生半可な脅しをかけるくらいでは、事態は打開できないわけです。ロシアが仕掛ける核攻撃は、ウクライナ軍や政府の士気を一気に挫くような、特別な一発でなければなりません。

広島・長崎級の核を使う

ここからは、考えうる限りで一番陰惨なシナリオです。

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