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反エリート政策で経済は大失速 西村豪太

「共同富裕」実現の前に、しのびよる「未富先老」の悪夢……。/文・西村豪太(東洋経済新報社コラムニスト)

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西村氏

統治の正当性

最高指導者の新たな船出だというのに、その場の雰囲気はあまりにも沈んでいた。10月16日に開幕する中国共産党大会の先ぶれとして、7月26日から27日にかけて北京で開かれた共産党幹部による学習会での光景だ。

主人公はもちろん、近く党のトップである総書記に再任するとみられる習近平国家主席である。国家主席は2期10年までという憲法の規定を改正して任期延長するだけに、その権力基盤は強固なはずだ。

しかし、紺のジャンパー姿の習氏からは覇気が感じられず、白いワイシャツ姿で司会を務める李克強首相は何かに怒っているような険しい顔。会場を埋める幹部たちの多くはどこか上の空で、なべて憂鬱そうだ。足元の経済状況が悪化の一途をたどっているのに、打開の道筋がまるで示されなかったことが大きいのだろう。

習氏は2020年11月に「2035年までに経済規模を倍増させる」と宣言した。「米中逆転」も視野に入れていたそのビジョンは、絵に描いた餅になりつつある。

15年間でGDPを倍増させるなら、年平均4.7%の成長率が必要だ。今年の成長率は5.5%が目標だが、ゼロコロナ政策でロックダウン(都市封鎖)が相次いでいるのを受けて世界銀行は2.8%と予想する。一方、中国を除く東アジア・太平洋地域は5.3%だ。

中国共産党にとって経済成長の維持は自らの統治の正当性のよりどころだ。そのかじ取りがおぼつかないリーダーは、いかに強権を手にしていても求心力を保てない。果たして3期目の習政権のもとで中国経済はどうなってしまうのか。

習近平マスク姿 共同 2020021405265

ゼロコロナにこだわる習近平国家主席

足を引っ張る「ゼロコロナ」

経済の変調に伴う閉塞感は、共産党幹部だけでなく広く中国社会全体に広がっている。

「中国人の愛国心の高まりは、2019年10月の国慶節がピークだったんじゃないかな。それ以降、中国社会の雰囲気は悪くなるばかりだ」。ある日系メーカーの中国法人トップはそう語る。このとき、中華人民共和国の建国70周年を祝う盛大な軍事パレードに臨んだ習氏は「中国を脅かすものは何もない」と誇った。すでにトランプ政権との米中経済戦争は深刻化しており、香港では「逃亡犯条例」改定案への反対デモが過熱していた。だが、まだ中国経済には勢いがあり、日本にも中国人旅行者が押し寄せていた。

ところが、ほどなくして武漢で広がった新型コロナウイルスは局面を完全に変えた。いまに至るまで中国は感染拡大防止のために出入国を厳しく管理し、国内ではロックダウンを繰り返している。中国が独自開発したワクチンのオミクロン株への効果について多くの人々は懐疑的だ。

出口戦略なしにゼロコロナ政策は際限なく続き、経済が上向くきっかけはまるで見えない。9月16日に発表された8月の主要経済統計をみると、深圳や大連など70都市以上に及んだロックダウンの影響もあって景気の停滞は明らかだ。

とくに厳しいのが不動産だ。8月の住宅販売面積は前年同月比24%減となり、その停滞ぶりは目立っている。主要70都市の新築住宅平均価格は12カ月連続で下落し、前月比マイナスになった都市は50に及んだ。北京、上海など一級都市の住宅価格がまだ上がっている一方、地方都市での下落が鮮明となっている。

中国では土地は国有で、その使用権を不動産デベロッパーに売るのは地方財政の命綱だ。不動産市場低迷を受け、今年1~8月の地方政府の土地使用権売却による収入は前年同期比28.5%減となった。これを受け、一部の地方では公務員の給与の遅配が伝えられている。

深刻な景気後退にもかかわらず、ゼロコロナが見直される気配はない。習氏は上海がロックダウンのさなかにあった今年5月に「われわれは防疫政策を歪め、疑い、否定するあらゆる言動と断固として闘う」と発言。これによってゼロコロナに反対する議論は一切できなくなった。ゼロコロナは単なる防疫ではなく政治そのものなのだ。

「合理的、科学的な中国政府が、ゼロコロナに伴う物流の停滞を放置しているのはアンビリーバブルだ」。5月19日、中国に進出した外資系企業の代表を集めて北京の釣魚台国賓館で行われたイベントの席上。中国EU商会の代表が李首相にそんな不満をぶつけた。欧州企業は中国投資に悲観的になっており、2020年以降の新規進出はゼロだという。

「I know it(分かっている)」。英語が堪能な李首相は、通訳が訳し始める前にそう口にし、「ゼロコロナについての皆さんの不満は認識している」と続けた。このやりとりから、北京に駐在する各国の企業幹部たちには「李首相は習主席のゼロコロナ政策に賛同していないのではないか」との見方が広がった。

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習氏に否定的とみられる李克強首相

約6億人はいまだ月収1万5000円

火種はゼロコロナ政策だけではない。経済政策をめぐっては、習氏およびその側近と、国務院(内閣)のテクノクラートとの間に根深い対立が存在している。

大躍進や文化大革命の教訓から、鄧小平とその後継者たちは経済政策を共産党の過度な干渉から守るため「党政分離」を進めてきた。政治は総書記、経済は首相が分担する仕組みだが、習氏はそれを完全にひっくり返した。数多くの「小組(タスクフォース)」を共産党内に編成し、党が個々の政策に直接に介入する仕組みを強化したのだ。

胡錦濤総書記、温家宝首相の時代は党政分離が機能しており「胡・温体制」と称されたが、習政権で李首相は明らかに格下の扱いだ。対中外交の経験が豊富な日本外務省の幹部は「習氏を心から支持している幹部は多くないだろうが、軍と司法・警察、さらに宣伝部門を習氏が完全に支配しているので逆らいようがない」と解説する。官僚集団は、面従腹背しつつ保身に徹している。

経済まで牛耳る習氏の看板政策が2021年から強調し始めた「共同富裕」だ。同年に習氏は、就任時は約1億人いた貧困人口をゼロにしたと宣言。続けて格差問題の解決をアピールし、3期目に向けて国民からの支持を集めようとしたとみられる。

共同富裕は三本柱からなっている。賃上げなどの「第二次分配」、不動産税(固定資産税に相当)や相続税などの導入による「第二次分配」、さらに富裕層の寄付などによる「第3次分配」だ。要は、共産党が進めた改革開放政策で豊かになった人間は、そのカネを格差縮小のために差し出せ、という政策である。

李首相は2020年5月、全国人民代表大会(全人代)閉幕後の会見で「中国は人口が多い発展途上国で平均月収が1000元(当時のレートで1万5000円)前後の低所得層が6億人いる」と述べた。

当時の最低賃金は全国最下位の安徽省でも月1180元(同約1万7700円)だったため、「そんなに低所得の人間が6億人もいるのか?」と話題を呼んだ。端的に言えば老人や子どもを含めた農村の住民、つまり最低賃金制度が適用されない人々である。農村には、デジタル化によって生産性を高めていく都市とはかけ離れた世界が残されているのだ。

一方で、都市住民の豊かさは、日本人から見てもかなりのものだ。2020年5月に中国人民銀行(中央銀行)が公表したリポートによれば、中国の都市部住民の家計総資産は一世帯平均317.9万元(同約4770万円)だった。

内訳をみると6割が住宅で、2割が金融資産だ。都市部世帯の持ち家比率は96.0%もあるうえ、31.0%が2軒、10.5%は3軒以上の住宅を持っている。その結果、住宅価格が高い北京、上海では家計総資産は1世帯平均で1億円を大きく超えている。

不動産バブルという時限爆弾

北京では90㎡のマンションの平均的な価格は家計平均年収の18.5倍。上海では同じく15.1倍になった。バブル期の東京では18.1倍、大阪では13.8倍だった(1990年、東京カンテイ調べ)。当時の日本と同じで、もはや普通の勤め人には手が届かない高い買い物になっている。

2000年代前半までに住宅を買った世代はまだいいが、1980年代生まれ以降の住宅購入者はローンの返済で青息吐息。あるいは購入をはなからあきらめている。中国社会では住宅は格差問題の象徴だ。

習政権は、政策的に住宅価格を抑え込むことを狙った。その主要な標的が民営の不動産デベロッパーだ。習氏は不動産業を目の敵にしており、周囲に「住宅を庶民に高値で売ることで儲けている企業が『フォーチュン500』にいくつも入っているのは国の恥だ」と語っているという。

共産党の持ち物である土地を使って巨万の富を築くとは不埒万ということか。中国の経済界では、習氏の意図は民営の不動産デベロッパーを政府の出資により「半国有化」し、不動産市場を完全に統制することだとみられている。

「住宅は住むためのもので、投機の対象ではない」という方針のもと、2020年8月には不動産デベロッパーの資金調達に対する規制が導入された。また同年12月には銀行による融資に占める不動産向けの比率を下げるための規制も追加された。日本の平成バブル末期の「総量規制」を思わせるが、実態はより苛酷だ。

当局に目をつけられた不動産デベロッパーは行政指導によって資金調達のルートを締め上げられた。金融機関に「融資していい会社、ダメな会社」を列挙した書類が回っていたという。端的に言えば前者が国有企業、後者が民営企業だ。日系企業からも「民営の不動産デベロッパーは代金を払ってくれるか不安で取引できない」という声が聞かれた。

こうして資金繰りが行き詰まった企業がマンション建設の中断に追い込まれる例が続出した。現在は、買い手が住宅ローンの返済を拒否する動きが広がり社会問題になっている。

大和総研によれば、2021年末までに上場している不動産デベロッパー55社のうち20社が債務不履行(デフォルト)に陥った。そのうち実に19社が民営企業である。

習近平のご機嫌取りでサッカー進出

追い込まれた企業の典型例が、昨年9月に経営危機が表面化した不動産デベロッパー大手の恒大集団だ。河南省の農村出身である許家印氏が一代で築き上げた民営企業である。

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