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タクシー料金を携帯電話で支払うのは、ナイロビでなら簡単/野口悠紀雄

★前回の記事はこちら。
※本連載は第17回です。最初から読む方はこちら。

 ケニアでは「エムペサ」という電子マネーが普及し、世界一のキャッシュレス先進国になっています。銀行システムが発達していなかったためにこうなったわけで、典型的な「リープフロッグ」です。

◆キャッシュレス化世界一はケニア


 日本キャッシュレス化協会によると、2019年において、世界一のキャッシュレス先進国は、中国でもスウェーデンでもなく、また韓国でもなく、アフリカのケニアです。

 これは、同協会がBIS(国際決済銀行)、WB(世界銀行)、各国の金融当局などが公表する9つの指数を用いて算出した、28カ国のキャッシュレス度を示す「JCAキャッシュレス指数2019」によるものです。

 ケニアでは、「エムペサ」(M-Pesa)という電子マネーが普及し、モバイル決済が主流になっているのです。

 給与を電子マネーなどで受け取る比率などで1位を獲得しています。

 日常生活にも広く普及しており、ホテルやバスなどの支払いにも利用できます。また、スーパーで買い物したり、電気料金を支払ったりすることもできます。

 「タクシーの料金を携帯電話で支払うのは、ニューヨークでは難しいが、ケニアのナイロビでなら簡単だ」と言われます。

 現金を持ち歩くのが危険な場合、事前に代理店で自分あてに送金しておき、近くの代理店で引き出せば、多額の現金を持ち歩かなくても済みます。

 アフリカでは、子どもたちは学校まで長距離をバスで通っていることが多いのですが、授業料を払う場合にこの方式を使えば安全です。

◆エムペサの仕組み

 エムペサのサービスは、ケニアの携帯電話会社サファリコムに出資した英携帯電話大手のボーダフォンが、2007年に始めたものです。

 エムペサの代理店(取次店)で現金を預けて自分のエムペサ口座に入金して貰ってから、送金相手にSMS(ショートメッセージサービス)を送ります。

 メッセージを受け取った人は、取次店でSMSと身分証明書を提示すると、現金を受け取れます。

 エムペサの仕組みをもう少し詳しく見ると、つぎのとおりです。 

 まず、利用者は、代理店に出向いて、自分の電話番号をエムペサ用に登録します。

 代理店に現金を渡すと、代理店は、店側の携帯に客の携帯電話番号を入力します。表示された名前を身分証明書と照合し、一致すれば、客のエムペサ口座に送金します。

    次に客は、自分の携帯電話で送金メニューを選択し、送金先の携帯電話番号と金額を入力して、送金します。

 誰かから自分宛に送金されてくると、SMSのメッセージがサファリコムから届きます。メッセージを読むには、暗証番号が必要です。

 最寄の代理店でその通知を見せ、代理店宛てに送金すれば、現金をもらえます。

 このように、代理店は、自分が預金した額を運転資金とし、それを回しているのであって、他人の送金を仲介しているのではありません。つまり、代理店もエムペサの利用者の一員に過ぎないのです。

 エムペサの代理店は、ケニア全土で約14万軒もあります。 かなり不便な地域にもあります。

 銀行並みの立派な窓口を持つ代理店もありますが、物置小屋のような代理店もあります。

 代理店は、サファリコムから審査を受けます。定期的に検査があり、結果は中央銀行に報告されます。

 なお、サファリコムのサービスは、国中どこでも利用できます。

◆銀行が発達していなかったから、キャッシュレス化が進んだ


 ケニアでエムペサの利用が広がったのは、銀行システムが発達していなかったからです。つまり、これも「遅れていたから新しい技術が普及した」という「リープフロッグ」の典型例です。

 ケニアでは、銀行の支店が少なく、利用するのが容易ではありませんでした。2010年時点で、ケニア全体の銀行支店は、840しかありませんでした。

 利用するには遠くまで行かなければならず、何時間も行列しなければならないといった状態でした。

 さらに手数料も高いため、銀行口座数は400万程度しかありませんでした。

 こうした状態では、銀行の口座振替などは使えません。

◆ケニアで広く使われるようになった

 2013年のエコノミストの記事によると、ケニアの成人人口の3分の2以上にあたる1700万人がエムペサを利用していました。(Why does Kenya lead the world in mobile money? http://www.economist.com/blogs/economist-explains/2013/05/economist-explains-18)。JETROの資料によると、2017年においてサファリコンのモバイルマネー利用者は約2300万人。モバイルマネー全体の利用者数は2016年で約3200万人と、人口の約7割となっています(https://www.jetro.go.jp/ext_images/_News/releases/2018/0d3be12929af3ad8/kenya-ict.pdf)。

    エムペサを通じて行われる資金移動は、ケニアのGDPの約25%に相当します。

 ケニアには、エムペサと同じようなサービスが複数あり、成人人口の7割以上にあたる2800万人強が利用しています。これは、携帯電話の送金サービスが、すでにケニアの人々の日常生活に欠かせない存在になっていることを意味します。

 エムペサが普及した大きな原因は、携帯電話の電話機本体や通話料が安くなったことです。携帯電話は、安ければ1500ケニアシリング程度です(1ケニアシリングはほぼ1円)。

 ケニアでの携帯電話の普及率は85%にも達します。

 さらに、利用代金を節約するために、個人はSIMカードだけを持ち、10人くらいのグループで携帯1台を共有するようなことも行われています。

 電話機は中国製です。とくに、通信機器メーカー最大手、華為技術(ファーウェイ)がシェアを拡大しています。

 中国製の太陽光発電パネルを屋根の上に置き、発電して、自前で携帯電話の電池を充電しています。したがって、発電会社の送電網がカバーしていない地域でも、携帯電話は使えるのです。

◆ダイレクト・バンキングへの移行が進む

 現在のITの水準を考えれば、銀行の店舗に出向かなくても、さまざまな取引が利用できます。それによって、「ブランチレス・バンキング」(支店のない銀行)、あるいは「ダイレクト・バンキング」が可能となります。

 銀行サービスを利用するのに、いちいち銀行支店に出向かなければならないというのは、すでに時代遅れになっているのです。

 日本では、いたるところに銀行支店があり、不便さをあまり感じないから支店に出向いているだけのことです。

 ケニアでは、事実上銀行が存在しない状態であったために、エムペサが「ダイレクト・バンキング」のサービスを提供したわけです。

 ダイレクト・バンキングのほうが優れているのですから、銀行支店網が発達していない発展途上国では、銀行システムは、早晩、ブランチレス・バンキング方式になるでしょう。つまり、銀行の支店が全国津々浦々に普及するというビジネスモデルを飛び越えるでしょう。

 実際、エムペサと類似のサービスは、ケニアだけに止まることなく、全世界の発展途上国に広がりつつあります。すでにタンザニアやアフガニスタンなどが導入しています。このほか、アジア太平洋地域や南米でも、類似のサービスが進みつつあります。

◆送金のネックが克服されて、新しい活動が可能になる

 支払いが容易になれば、新しい経済活動が可能になります。

 なぜなら、それまでは、送金の困難さがネックになっていて、経済活動ができなかった場合があるからです。それが新しい送金技術によって克服されると、非常に大きな変化が起きるのです。エンペサは、そのことを典型的な形で示しました。

 都市に出稼ぎに出ていた人が故郷に送金すれば、農村部の消費は増えます。また、地方の小規模な商店は仕入れの決済が容易になり、より多くの在庫を抱えることができるようになります。前記エコノミストの記事は、エンペサを採用した農村部家計の所得が、5~30%程度も増加したとしています。

 また、新しい関連ビジネスが登場します。エムペサの取次ビジネスを始めるのに、設備投資はほとんどいらず、携帯電話1台あれば開業できるので、薬局や写真店などが兼業で行なっている場合が多いと言われます。

(連載第17回)
★第18回を読む。

■野口悠紀雄(のぐち・ゆきお)
1940年、東京に生まれる。 1963年、東京大学工学部卒業。 1964年、大蔵省入省。 1972年、エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。 一橋大学教授、東京大学教授(先端経済工学研究センター長)、 スタンフォード大学客員教授などを経て、 2005年4月より早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授。 2011年4月より 早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問。一橋大学名誉教授。2017年9月より早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問。著書多数。
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