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信長が愛した黒人侍「弥助」の謎 世界人気沸騰|伊東潤✕ロックリー・トーマス

本能寺の変を生き延びた後、一体どこに消えたのか?/伊東潤(作家)✕ロックリー・トーマス(日本大学准教授)

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伊東氏(左)とロックリー氏(右)

「ネットフリックス」がアニメ化した”黒人侍”

伊東 16世紀中頃のアフリカに生まれ、イエズス会宣教師とともに来日。織田信長に仕え、本能寺の変に巻き込まれるも明智光秀に命を救われた“黒人侍”の弥助——。

実はいま、彼の数奇な人生が世界中で注目を集めています。ハリウッドでは100億円規模の製作費をかけて映画化のプロジェクトが進んでいますし、4月には「ネットフリックス」が世界190カ国にアニメの配信を始めました。ロックリー先生は『信長と弥助』(太田出版)で、キリスト教の布教活動やポルトガルとの交易などを踏まえて弥助の生涯を描かれています。とてもユニークな研究本ですね。

ロックリー ありがとうございます。私の本が映画やアニメの原作ではないのが残念ですが(笑)。弥助は日本という異国の地で、時の最高権力者に近い立場で活躍しました。私はイギリス出身ですが、よく冗談まじりに「あなたは弥助のようだ」と言われるので、彼の生涯にシンパシーを感じる部分もあります。

伊東 日本にいらしてどれくらいになるんですか?

ロックリー 最初に来日したのは21年前になります。弥助との出会いは2009年で、徳川家康に仕えたイギリス人外交顧問、三浦按針のウィキペディアを見ていたところ、「関連項目」の欄で弥助を発見したんです。「えーっ、こんな人がいたのか」と驚きました。

ただ、残された史料が少ないため、弥助の生涯は解明されていない部分も多い。伊東先生は『王になろうとした男』(小社刊)で弥助を描かれましたが、研究が大変だったのではないですか?

伊東 そうなんです。弥助が信長に仕えたのは本能寺の変の前年にあたる天正9年(1581)です。本能寺の変以降は、確実に弥助を指す史料は見つかっていません。すなわち弥助は、日本史上に突然現れ、わずか1年あまりで歴史の闇に消えてしまった。だからこそ人は弥助にロマンを感じ、惹きつけられるのです。

「強力十の人に勝(すぐ)れたり」

ロックリー 弥助の生涯を語る前に、見てもらいたい絵があります(上図参照)。堺市博物館が所蔵している「相撲遊楽図屏風」です。1640年頃に描かれたとされ、真ん中で相撲を取っている黒い人物が弥助だとみられています。2月に現物を見せてもらいましたが、筋骨隆々な体つきが印象的でした。

伊東 取組の様子を見ると、嫌々やらされているのではなく、楽しんでいるように見えます。結構積極的な性格だったのかもしれません。

ロックリー 右側には日本人力士が控えていますが、数えてみると10人います。実は「信長公記」には、「強力十の人に勝れたり」、つまり弥助が10人力の剛力だったと書かれているんです。

伊東 なるほど。「十人力」とは、10人勝ち抜ける体力があったという意味なのかもしれませんね。

ロックリー 弥助の左側でくつろいでいる観客は信長だと考えられています。横に座っているのは小姓の森蘭丸でしょう。ふたりは男色関係にあったとされますから、どうしてもラブラブに見えてしまいます(笑)。

伊東 しかし、服装を見ると行司役の方が立派ですし、顔つきも信長に似ています。興が乗って「よし、わしが行司をやってやる」と、信長なら言い出しかねません。観客の男は、着流し姿で顔つきも緩んでいて、こんなにだらしない男が信長とは、信じたくありません……。

ロックリー 当時は徳川時代ですから、こういう風に信長を描いても問題にはならなかったのでしょうね。それにしても、本能寺の変から50年以上が経っても屏風のモチーフにされたことを考えると、いかに“弥助伝説”が根強く残っていたかがわかります。

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「ネットフリックス」で配信中

出身地は南スーダン?

伊東 弥助はイエズス会宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノとともに、アフリカ大陸からインドを経て日本にやってきました。奴隷だったとされますが出身地ははっきりしません。有力視されているのは、アフリカ南東部のモザンビークですね。

ロックリー 最近の研究でも傍証が見つかっています。東京大学の岡美穂子先生がイエズス会の書簡を読み解いて、ヴァリニャーノがモザンビークで黒人奴隷をもらったという記述を発見しました。

ただ、これが弥助本人かどうかははっきりしません。弥助と会ったことのある徳川家康の家臣・松平家忠は、自身の日記に6尺2分(約182センチ)と高身長で、肌の色は「墨のように黒い」と綴っています。モザンビークの人々は意外に背が低く、肌も真っ黒ではなくて茶色です。

伊東 なるほど。特徴が違う、と。

ロックリー アフリカ各地の民族を分析してみたところ、弥助は北東アフリカにルーツを持つのではないかと考えています。たとえば、南スーダンのディンカ族は世界で最も背が高いことで知られ、肌の色も弥助にかなり近い。

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