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蓋棺録<他界した偉大な人々>

偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム。

★なかにし礼

20170922BN00268 なかにし礼

作詞家で作家のなかにし礼(れい)(本名・中西禮三)はレコード大賞受賞曲を3度作詞し、小説でも読者を魅了した。

新婚旅行で下田のホテルに泊まったときロビーにいた石原裕次郎に声を掛けられる。「新婚の品定めをしていたけど、君たちが一番恰好よかった。君何しているの」。シャンソンの訳詞と答えると「それより流行り歌を書きなよ」。

1938(昭和13)年、満洲の牡丹江市で生まれる。父は酒造業を営み、ホテルや料亭などにも事業を拡げていた。母は毎日ダンスホールに入り浸りで「僕は、使用人にかしずかれて王子様のような生活だった」。

それはソ連が侵攻してきたとき終わった。父は商用で留守だったが、母は有り金を全て帯に包み、ツテで軍用列車に乗り込んでハルピンに逃げた。ここで父が合流したが間もなく死去。再び母が決断してハルピンを脱出し、46年10月に日本に辿り着く。

父の実家がある小樽で暮らし始めたが、陸軍少尉だった兄がやってきて、ニシン漁の権利を買って大儲けする。ところが、ニシンの輸送中に大時化に遭って、一家は資産をすべて失い離散した。

再起した兄を頼って上京し、九段高校に入学したが、半身不随となった母のことで、義姉を殴って家出する。しばらくすると兄から呼び出され、費用を出してやるというので立教大学に入学。ところが兄がまた事業に失敗した。

仕方なくシャンソン喫茶でアルバイトを続けながら、シャンソンの訳詞を始めると有名な歌手からも注文がくるようになる。大学に復帰して学生結婚した直後、裕次郎と出会って作詞に転じた。

最初の作品は石原プロの新人歌手が歌った『涙と雨にぬれて』だった。67年に同プロに所属する黛ジュンの『霧のかなたに』でレコード大賞作詞賞を受賞。68年には黛の『天使の誘惑』が大賞を受賞して売れっ子となる。

その後も、70年の『今日でお別れ』、82年の『北酒場』がレコード大賞を受賞する。『石狩挽歌』や『時には娼婦のように』など独特の歌詞で愛される作品も多かった。

この間、多くの女性とつきあって週刊誌を賑わせ、妻と離婚して新人歌手だった石田ゆりと再婚している。また見果てぬ夢を追う兄の莫大な借金を、返済し続ける「苦境」は終わらなかった。

96(平成8)年に兄が亡くなったとき、抑えていた小説への意欲が燃え上がる。98年、兄をモデルにした『兄弟』で直木賞候補になり、2000年に『長崎ぶらぶら節』で直木賞を受賞した。

そして2001年には満洲時代の母をモデルとする『赤い月』を上梓。「書きあげた時、私はこの小説を書くために生きてきたのだとの思いに浸った」。(2020年12月23日没、心筋梗塞、82歳)

★野田宣雄

20040506BN02821 野田宣雄

政治・歴史学者の野田宣雄(のだのぶお)は歴史感覚に基づく洞察で冷戦後の日本に警告を発した。

冷戦終結後、アメリカの政治学者サミュエル・ハンティントンが唱えた「文明の衝突」論を批判。文明で世界を分割する危うさを指摘する「文明衝突時代の指導者」は1995(平成7)年の読売論壇賞を受賞した。

33(昭和8)年、岡山県に生まれる。実家は滋賀県の名刹である東本誓寺。父親は旧制六高(現・岡山大学)の哲学教授だった。京都大学では西洋史を学び、59年からベルリン自由大学に留学しドイツ現代史を研究する。

特にナチズムを思想的に探究して、当時の西ドイツで盛んだった「ナチズム社会革命論」を日本に紹介した。35歳で『大世界史24 独裁者の道』を執筆して注目され、『ヒトラーの時代』として文庫化されて長く読まれる。

京大教養部助教授をへて同教授。後に同大法学部教授となる。講義は刺激的で鋭い洞察に満ち、多くの学生が強い影響をうけて、歴史学者や政治学者をめざした。

70年代から論壇でも活躍し、大衆社会と政治との関係を語った。76年に刊行された『20世紀の政治指導』では、日本人の理想主義的な政治家像を批判する。

80年代、ドイツ政治の思想・宗教的側面を探求し、88年の『教養市民層からナチズムへ』でドイツがなぜヒトラーを受け入れたか宗教社会史の視点から論じた。

90年代、ソ連と東欧の社会主義政権が崩壊したさい、ドイツを歩きまわって現地の知識人たちと対話する。98年の『20世紀をどう見るか』では、国民国家が後退し広域秩序である「帝国」が拡大していく未来を予測した。

その後、日本の政治が不安定化する中で、ドイツの教訓から、強いリーダーシップを生み出す「指導者民主主義」を論じるようになる。

2001年に成立した小泉純一郎政権に対しては、指導力を期待したが、「劇場化」していくにつれて懐疑的となった。小泉が改革途上で辞任したさいには「酔い覚めに似た虚しさを覚えずにはいられない」と記している。

毎日、早朝に起きて住職としての務めをはたし、欧文を含む新聞八紙を読むのが日課だった。しばしば、紛争地域などでの動向について、大胆な予測をして的中させたが、それは該博な歴史の知識と、毎日の丹念な情報収集との賜物だった。

近年は体調を崩し論壇からは遠ざかったが、米中「帝国」に翻弄される日本を憂えていた。(2020年12月29日没、老衰、87歳)

★安野光雅

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