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コロナ対策「情報」は社会の中にある|児玉龍彦

なぜ大病院や国立研究所の感染症専門家たちは予測を誤ったのか? なぜウイルスのしつこさに政治家たちは途方に暮れているのか? 新型コロナウイルスへの対応にはいま何が求められているのか、東京大学先端科学技術研究センター名誉教授の児玉龍彦氏が指摘する。

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児玉氏

このままでは大量の倒産と廃業

新型コロナウィルスの感染が大きく広がっている。3、4月の感染の広がりが落ち着き、5月に緊急事態宣言が解除されてほっとしたのもつかの間、7月になり新宿の歓楽街がエピセンター(感染者が持続的に湧き出す集積地)となり、まず埼京線、湘南新宿ラインに乗って埼玉、神奈川に広がり、総武線に乗って台東区から千葉に広がった。

それだけではなく、新幹線に乗って名古屋の錦三、大阪のミナミをエピセンター化した。続いて飛行機に乗って福岡の中洲、天神に広がり、沖縄にまで広がった。また鹿児島県の与論島のように島唯一の総合病院に院内感染が広がり、感染者をヘリコプターで本土などの病院に移すことまで必要となった。

ところが、政府の対応は極めて鈍く、東京、愛知、大阪、沖縄などのエピセンターが生まれた都府県では、飲食店に休業、営業時間短縮を促しているのに、国会は閉会したままだ。「東京、名古屋、大阪、博多からは来ないでくれ」という声を上げる知事も増えているのに、「Go Toトラベルキャンペーン」という道府県を越えた旅行を支援する政策は変わらない。

さらに、政府や東京都の専門家は、PCR検査をたくさんすると医療崩壊するとか(岩崎賢一「追い詰められる医療現場」、ウェブ論座2月29日)、「新型コロナはそこまでのものではない」(大牟田透「『コロナ、そこまでのものか』専門家会議メンバーの真意」、朝日新聞デジタル3月18日)と、どこの学術論文にもない説を言い出す。「3密回避」は、感染初期の武漢や札幌など冬季の寒冷地の換気の悪い場所では有効だったかもしれないが、夏になっても同じ注意喚起を繰り返すばかりでは21世紀型の対応とは言えない。

本来はウィルス感染が起こりにくいはずの高温、多湿の時期になっても、感染者は減るどころか増え続け、第2の波がやって来た。そして全国の多くの歓楽地がエピセンターと化したというのに、政府は、国民に規制と犠牲を求めるばかりで、診断と隔離の抜本的な対策を何もしない。

今、再度の自粛要請が東京、愛知、大阪、沖縄で実施され、飲食店や宿泊業やアパレルは悲鳴を上げている。このままでは、半年ごとのテナント料改定の節目となる9月には大量の倒産、廃業は免れない。

なぜ、大病院や国立研究所の感染症の専門家と称する人たちは予測を誤ったのか? なぜウィルスの予想外のしつこさに政治家が途方に暮れることになったのだろうか?

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情報は街の中にある

まず、状況判断に誤りがあった。2月、3‒4月と今とでは感染様式が違うのである。

最初の注目すべき情報は、重症患者の集まる日本でも最高レベルの東大病院や慶應病院で得られた。一般に抗体(ウィルスの毒素を中和する物質)には、ウィルスが体内に侵入した時に最初に出てくる抗体と、その中から選ばれて「本命」となる抗体がある。ところが、日本の新型コロナウィルスに感染した患者さんをみると様子がおかしい。

新型のウィルスにもかかわらず、部分的な免疫反応しか示さない患者さんが意外に多く、その方たちは、免疫反応がゆっくり起こり、あまり重症化しない。人工呼吸器などを必要としない軽症から中等症で終わるのである。おそらく過去に遺伝子の似たウィルスにかかっていることが推測された。一方、初めての感染として免疫反応が急激に起こったと見えるパターンの患者さんは逆に、人工呼吸器からECMOへと高度な酸素供給が必要となり、亡くなられる方が多かった(児玉他「新型コロナウイルス感染症(2)抗体検査」、「医学のあゆみ」6月27日号)。

もともとコロナウィルスには、軽症で終わる種類と、重症化する種類があることが知られていた。4種の風邪コロナウィルスは軽症の部類であり、死亡率が最も高いSARSやMERSは重症になる種類のものだ。

これらのウィルスの遺伝子の配列はかなり似ているので、コロナウィルス・ファミリーと呼ばれる。動物と人間が共住する中国南部が発生地としてよく知られ、哺乳類、コウモリ、魚、鳥と様々な動物を宿主とする。中国、韓国、香港、台湾、ベトナムなど東アジア全域で死亡率が低いのは、こうしたウィルスに対してすでに免疫を持っている人が多いことと関係していると思われる。

新型コロナウィルスに似たコロナウィルスへの免疫は、アジアだけでなく、世界でも報告され始めた。アメリカのサンディエゴでは、細胞性免疫(リンパ球など細胞による免疫反応)でも確認され(Glifoni-A, et al. 「Cell」2020 Jun 25)、ドイツのケルンでは、個人だけでなく集団に遺伝的に組み込まれていることもわかった。つまり私たちの先祖はコロナウィルス感染を生き延びてきた可能性が高いわけだ(Kreer-C, et al. 「Cell」2020 Jul 13)。

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抗体を持たないスプレッダー

「たかがコロナ」という研究者は、今回のウィルスがSARSと比べて、一人の患者さんが他人にうつす感染率が低く、かかった人の死亡率が低いことを論拠に「たかがコロナ」と言ったのである。しかし、この「たかがコロナ」という認識が大きな間違いの元なのだ。

そう断言できるのは、抗体協議会の研究者が東大病院ではなく、世田谷区(街の中)で遭遇した「第2の発見」があったからである。

東大病院では、抗体検査をすると発症後2週間で患者さん全員の抗体が陽性となった。陽性率100%であった。ところが世田谷区の保坂展人区長からの要請で、世田谷区の街の中の患者さんを調べてみると、全然違った様相が見えて来た。自宅療養や街の中の病院の患者さんは、大学病院と違って軽症か無症状の人が多い。この軽症または無症状の人は、多いところでは30%の人が抗体陰性なのである。にもかかわらずPCR検査ではウィルスの存在が確認され、しかもウィルスの量は症状がある人と変わらないレベルの人もいるのだ(抗体検査機利用者協議会幹事会記者発表、7月7日、東大先端研HP)。

これは何を意味するか。それは、無症状で抗体をもっていなくても、ウィルスを排出し続けている人が一定数いるということだ。自宅療養をしているうちに一家全員が感染してしまう例が多数出てきているのは、抗体を持たない、こうしたウィルススプレッダー(まき散らす人)がいるためである。7月初旬は、若い世代の感染者が多いと報告されていたのに、いつの間にか高齢者にまで感染が広がっているのは、こうした事情のためだ。エピセンターとは、無症状の感染者が集まり、感染が持続的に拡大する地域のことであり、7月に感染者が多数見つかった歌舞伎町がまさにそれだったのだ。

こうした予測は、8月5日に国立感染症研究所の黒田誠博士が報告したウィルスの遺伝子配列の決定により確かめられた。黒田博士らは、日本で感染した3000人以上のウィルスの遺伝子の配列を確かめた(「新型コロナウイルスSARS‒CoV‒2のゲノム分子疫学調査2」、国立感染症研究所HP)。

このウィルスは、増殖するたびに、遺伝子に変異が増えて行く。黒田博士は、多数のウィルスの遺伝子の時系列の解析から、年に24箇所ほど変異が起こると推定し、だいたい、2週間に1箇所変異が入って行くことを確認した。

PCR検査

PCR検査

6つの変異を持ったウィルス

日本でのウィルスの遺伝子を見ると、2月の武漢からの遺伝子のウィルスに続き、3月は、欧米からの帰国者が、ヨーロッパのイタリアで報告された変異を持ったウィルスを持ち込み、それが4月の流行になる。しかし、先ほどの似たウィルスに免疫を持つ日本では、自然とそれが収まっていた。

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