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【秘蔵カラー写真で振り返る】秋晴れの「1964東京五輪」開会式

56年前、東京の空は青く晴れ渡っていた――。あの頃、日本中の人々が感じた熱狂、そして未来への希望を振り返る。

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会場である国立競技場に入ってきた、聖火リレーの最終走者。聖火台へと続く182段もの階段を、勢いよく駆け上がっていった。

「開会式は2時間も前の集合で、神宮外苑で初めて行進の練習をしました。きちんと整列して行進できるよう1時間以上も念入りにやらされ、『いいかげんにせえよ』と(笑)。日本選手団の前から9列目、左から4番目という位置まではっきり覚えています」

元日本サッカー協会会長の川淵三郎氏は、サッカーの日本代表として1964年東京五輪に出場。対アルゼンチン戦では得点を挙げた。

「実はアルゼンチン戦の得点よりも、開会式のほうが心に残っているんです。行進の練習を終えて、いよいよ競技場のゲートをくぐった途端、『ウワーッ!』という今まで聞いたことがない大歓声が聞こえてきた。それから、雲一つない青空と、日本選手団の赤のブレザーと、白のズボン・スカートと帽子。色のイメージが、強く目に焼き付いています。あの瞬間ほど、胸の高鳴りを感じたことはありません」

来年開催予定の東京五輪についてはこう語る。

「僕に言わせれば、開会式なくしてオリンピックなし。華美な開幕イベントを縮小してでも、あの入場行進だけは実現させてほしいです」

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ロイヤルボックスに入られた昭和天皇・香淳皇后。 ©共同通信

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行進する日本選手団。赤のブレザーが青空に映えた。 ©共同通信

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東京駅はテレビ中継を見守る大人達で溢れかえった。 ©共同通信

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開会式を学校のテレビで見る名古屋市の小学生達。 ©朝日新聞社

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聖火台は地上32メートルの高さ。約7万2000人の大観衆を見下ろすことが出来た。 ©Getty Images

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五輪聖火は現在、東京・新宿区の「日本オリンピックミュージアム」で展示されている。 ©共同通信

「世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和でございます」

1964年10月10日の東京五輪開会式、NHKの実況を担当したアナウンサー・北出清五郎は、このように秋晴れの空を表現した。前日は日本列島に接近する低気圧の影響で雨が降っていたが、朝になると一転、嘘のように晴れ上がったという。

当日、聖火リレーの最終走者を務めたのは早稲田大学競走部の1年生だった坂井義則。原子爆弾が広島に投下された日に広島で生を受けた坂井は、敗戦から復興を遂げた日本の「平和の象徴」として、人々に希望を与えたのだった。

新型コロナウイルスの感染拡大により、今年開催予定だった東京五輪は延期を余儀なくされた。2021年、コロナ禍に見舞われた世界はどうなっているのだろうか――。五輪聖火は今も“希望の明かり”を灯し、五輪開催を待ち続けている。

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(2020年11月号)

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