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北村滋 国家安全保障戦略「三本の矢」 緊急特集ウクライナ戦争と核

岸田首相よ、ミサイル、グレーゾーン事態、ハイブリッド戦に備えよ。/文・北村滋(前国家安全保障局長)

北村氏 差し替え用写真

北村氏

日本が避けて通れぬ「3つの喫緊の課題」

1月26日、岸田内閣は、国家安全保障戦略の改定を目指して、有識者からのヒアリングを開始した。私もその場に出席し、自らの意見を開陳した。

国家安全保障戦略は、「1内閣1戦略」とも言われ、我が国の国益を長期的視点から見定めた上で、国際社会の中で我が国の進むべき針路を定めるものだ。しかし、現下の極めて厳しい極東の安全保障環境を考えると、今回のロシアによるウクライナ侵攻を取り上げるまでもなく、日々生起する我が国に対する脅威に対処するため、避けて通れぬ3つの喫緊の課題がある。

第1は、我が国を直接脅かすミサイルギャップの存在だ。残念ながら、現有のミサイル防衛システムは、これに確実に対応しきれているとは言えない。我が国は、「新たなミサイル阻止力」を保有しなければならない。

第2は、尖閣諸島周辺海域で日々生起している「グレーゾーン事態」だ。日本と中国の彼我の力関係を考えれば、烈度の高いエスカレーションに確実に対処しうる法制・体制上の整備を行うことが求められている。

第3は、2014年のクリミア併合、今回のウクライナ侵攻でも見られた「ハイブリッド戦」に如何に対処するかだ。国民の日常生活を支える基幹インフラを始めとする産業経済基盤を外部からの妨害行為に対して強靱なものとしなければならない。そのための経済安全保障政策が不可欠だ。

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岸田首相

ウクライナ侵攻と我が国の安全保障

ロシア軍は2月24日、ウクライナに侵攻した。首都キエフや各地の軍事施設や飛行場が巡航ミサイル等で空爆された。またベラルーシとの北部国境とロシアとの東部国境、ロシアが実効支配する南部クリミア半島との境界が攻撃を受け、3方から地上軍が侵入した。

ベラルーシ及び東部国境から侵入した機甲部隊を含むロシアの地上部隊は、キエフに向かって進軍し、キエフの北部・西部で部隊の強化と補給を完了させ、最大の戦略的課題である首都を目指している。また、東部から侵攻した部隊は北東部のハリコフを、クリミアから侵攻した部隊は南東部の港湾都市マリウポリを攻略することにより、アゾフ海へのウクライナの出口を塞ぎ、ロシアのロストフ州からクリミアを結ぶ回廊を確保しようと試みている。マリウポリにおいては、ウクライナ軍の抵抗が続いており、ロシア軍の無差別攻撃によって、多くの民間人の犠牲者が出ている。南東部に所在する欧州最大級のザポリージャ原子力発電所は、ロシア軍の砲撃を受け、制圧された。クリミアから北上する部隊は南部ヘルソンを確保し、オデッサ方面進出を窺っている。

ロシアによる侵攻から既に1カ月以上が経過したが、戦況は開戦当初のプーチン大統領の見込みに反し、各国から支援を受けたウクライナ軍による激しい抵抗がロシア軍の行く手を阻んでいる。戦線の膠着は、ロシアの戦略転換をもたらしつつある。また、ロシア経済は、G7、EU及びオーストラリア等各国により矢継ぎ早にとられた経済制裁により呻吟している。

昨年10月以降、ウクライナ軍のドローンによるドンバス地方における親ロ派への攻撃を契機に、ロシア、ウクライナ間の緊張は一気に高まり、当初ウクライナを北、東、南から包囲するロシア軍の規模は、9万人程度であったが、侵攻直前には19万人にまで膨れ上がり、その全てが現在ウクライナ国内に展開していると見られる。

昨年12月17日、ロシアは、NATOの東方拡大の停止と、ウクライナ、ジョージア等の旧ソ連邦構成国で非NATO加盟国への米軍基地の創設の禁止、地上配備型の中・短距離ミサイルの配備を禁ずる内容の露米安全保障条約案を提示した。これに基づき、米国及びNATOとの間でやりとりがなされていた。そして、今年2月17日、ロシアは、米国から当該条約案の基本要素に建設的な回答がなされていないなどとして、軍事力を行使する可能性に言及した。このやり取りの中で、ルーマニア及びポーランドに配備された地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」も交渉の俎上に上っており、ミサイル阻止力を強化せんとする我が国の安全保障政策も、この問題に無縁ではあり得ない。

ロシアは、2014年春にウクライナに侵攻し、クリミア半島を併合した。この際、ロシア軍は、電子戦部隊を展開し、ウクライナ軍の無線通信を遮断、使用不能にした。ロシアは、事前のサイバー攻撃で、ウクライナ軍の指揮命令の方法などの情報を入手。特定の場所に集まるよう、偽の指令を出した。集まったウクライナ兵は、待ち構えていたロシア軍から集中攻撃を受け、壊滅させられる。また、ロシアはドローンで携帯電話の情報を収集し、精密爆撃を敢行。約1万5000人のロシア軍は、こうして約5万人のウクライナ部隊を圧倒した。かかる手法こそが火力・兵力を主体とする軍事作戦とサイバー攻撃などの非軍事的な工作を組み合わせた「ハイブリッド戦」と呼ばれるものだ。今回のウクライナ侵攻においても、この手法が駆使されている。

平時と有事の境は、曖昧になっている。平時でも有事でもない状況を「グレーゾーン事態」という。2021年版の防衛白書は、「一方の当事者が、武力攻撃に当たらない範囲で、実力組織などを用いて、問題にかかわる地域において頻繁にプレゼンスを示すことなどにより、現状の変更を試み、自国の主張・要求の受入れを強要しようとする行為が行われる状況」と定義づけている。尖閣諸島周辺では日常的に繰り返される光景だ。現在進行形の事態、さらに烈度の高い事態に如何にシームレスに、かつ確実に対応するかが大きな課題だ。法執行的観点からのみの対処では到底、不十分だ。

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「ハイブリッド戦」は現代戦の「定石」

国籍を隠した部隊による作戦、主体が分からないサイバー攻撃による通信・重要インフラの妨害、インターネットやメディアを通じた偽情報の流布などの「ハイブリッド戦」は、平時と有事の境を意図的に曖昧にする戦術だ。「ハイブリッド戦」は、最早、変則的戦いではない。それは、現代戦の「定石」となっている。現在、国会で審議されている「経済施策を一体的に講ずることによる安全保障の確保の推進に関する法律案」(以下、「経済安全保障推進法」という)は、正にかかる事態への備えを強化するものだ。

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