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「中国の池上彰」への言論弾圧 王志安 聞き手・安田峰俊

中国を代表する報道記者はなぜ日本に逃げてきたのか?/文・王志安(ジャーナリスト・元CCTV論説委員)、聞き手・安田峰俊  (ルポライター)

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王氏(左)と安田氏(右)

中国社会の矛盾を追い続けてきた

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無数の犠牲者が隠蔽された鉱山事故、村ぐるみの食品偽装、人命や受験生の将来がかかった場面での深刻な腐敗と隠蔽――。過去20年近くにわたり、国営放送局CCTV(中国中央電視台)の報道ドキュメンタリー番組の調査記者の立場で、中国社会の矛盾を追い続けてきた王志安というジャーナリストがいる。

だが、習近平政権下で活動を制限され、2019年6月には673万人のフォロワーを擁した微博(中国のSNS)の公式アカウントを凍結された。同年末に日本に移住し、やがて中国語のユーチューブチャンネルを開設。現在は約32万人の登録者を集め、東京を拠点にドキュメンタリー制作を続けている。

若き日には天安門のデモに穏健派の学生リーダーとして参加した経験を持ち、CCTVでは要職のニュース評論員(論説委員)も務めた「中国の池上彰」こと王志安。中国の体制の表と裏を知る人物が、台湾問題とウクライナ問題、そして中国国内のメディア統制について語った。

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――今年8月上旬にペロシ米下院議長が台湾を訪問した際、中国側のネット世論は即時に戦争を望むかのような過激さだった。中国国民の実際の肌感覚は?

台湾島内の世論や国際社会がどう考えるかとは無関係に、大陸の中国人は台湾の問題について、中国自身の問題であり他国に口出しされたくないとする考えが非常に強い。

現在、仮に世論調査をおこなえば、中国人の9割以上は武力を用いてでも台湾を統一せよとする主張に賛成するだろう。「9割」が誇大だと感じるとすれば、認識が楽観的すぎる。中国の世論は台湾統一について、たとえ代償を払うことになっても支持する。政府から民間まで同様だ。習近平政権の姿勢はこうした世論が背景にある。

これは中国共産党による国民洗脳の結果ではない。むしろ中国の伝統的な「大一統」(王朝の統一状態をよきものとする思想)の価値観に根ざし、知識人層にも受けがいい。中国の知識人の多くは党に面従腹背だが、かといって政策をすべて拒否しているわけではない。たとえ国外の自由主義的な価値観に触れた人物でも、「大一統」の認識を持たずにいられる中国人はごく一部だ。

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習近平は必ず台湾統一に踏み切る

――習政権が3期目を迎え、台湾問題はどうなるのか?

異例の任期延長について、習は台湾問題の解決を約束することで党内の不満を抑えたと見ている。政権のスローガンの「中華民族の偉大なる復興」を象徴するのが台湾統一だ。

この点について習は一切ブレがなく、自分が完遂するべき仕事だと考えている。さもなくば、いかに習でも党内を説得できなかっただろう。今後10年以内、おそらく政権の第4の任期となる2027年以降に、彼は必ず台湾統一に踏み切る。

もし、統一ができなければ習の統治の合法性が動揺する。世論のこだわりが非常に強い問題だけに、台湾を決して叩けないと国民に思われることの負の影響は非常に大きい。

――台湾の民主主義体制への国際社会の支持は根強いのではないか。

台湾の拠り所は「それしかない」と言える。最近、蔡英文は国際社会に民主的な台湾を守ることを求めている。これは、道義的な訴え以外の主張は難しいという意味でもある。

台湾はよくウクライナと比較されるが、違いもある。ウクライナは主権独立国家であって、ロシアの武力行使は主権の侵害であり侵略だ。いっぽう台湾の場合、彼ら自身の認識はともかく、アメリカや日本を含む大部分の国から承認されていない。

国際法的な観点から見た場合、中台間の対立は「内戦」だ。毛沢東と蒋介石が戦った国共内戦は大昔の話に思えるかもしれないが、停戦協定が結ばれているわけではなく、潜在的な戦闘状態は続いている。中国が再び武力を用いる場合も、国内問題だと主張するだろう。

明確な「侵略」であるウクライナ戦争ですら、アメリカや欧州各国はゼレンスキー政権への支持を表明して武器や資金を援助したものの、出兵はしていない。いわんや台湾について、軍事的な行動に出ることはいっそう難しいだろう。「内戦」の調停はできても干渉はできないのだ。中国はそれを理解しているので、台湾への武力統一の方針を取ることができる。

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弾圧を強める習近平

アメリカを蝕む中国の麻薬

――ペロシ訪台を評価するか?

私は評価しない。結果的に中国の大規模な軍事演習を招き、中台間の海上の中間線が越えられ、台湾は封じこめられた。アメリカ側はなぜ、こうした事態を防ぐ形を作ることもなしに、わざわざ挑発的な行動に出たのか。

本来、台湾の最善の戦略は、できるだけ時間を引き伸ばすことだ。中台間の軍事バランスの格差は圧倒的だが、中国は将来の不確実性が大きく、台湾の不確実性は少ない。

問題を先延ばしすれば、中国が民主化したり内乱が起きたりするかもしれない。台湾はその時に、自分たちがどう動くかを考えても遅くない。しかし、今回のペロシの不用意な訪台で、時計の針は大きく進んでしまった。

――今後、中国がアメリカとの戦争を選択するシナリオは?

中国は正面からは絶対にアメリカと戦争をしない。ただ、別の方法で代価を払わせる。

冷戦時代と違い、現在の米中関係は非常に密接だ。それは経済のみではない。たとえば温室効果ガスの排出問題がある。中国の温室効果ガスの排出量は、他のすべての工業国家の排出量の合計に迫る。もし、中国が削減プロジェクトに参加しなければ、地球温暖化防止の計画そのものが絵に描いた餅となる。

また、中国が麻薬禁止に関する米中両国間協力を破棄するとアメリカに極めて大きなダメージとなる。中国は世界最大の麻薬輸出国で、第三国を経由するものを含めれば、アメリカのドラッグの90%は中国から来ている。アメリカの麻薬戦争において、中国の協力は不可欠だ。

なかでも近年の問題はフェンタニルだ。これは一種の麻酔剤で、服用すると興奮や幻覚があり、わずか0.2グラムの服用で死に至る。2021年、アメリカにおけるフェンタニルが原因の死亡者は7万1238人で、これは薬物中毒死したアメリカ人全体の66.2%だ。

このフェンタニルは、ほぼすべて中国で生産されている。往年、トランプが習近平と会談した際も、中国側の管理徹底を求め、中国はこのときフェンタニルを輸出禁止リストに入れた。しかし現在、中国はまず薬物をメキシコに送り、そこからアメリカ国内に流し込んでいる。

大国同士の衝突では、単純な軍事力以外の要素も大きく、中国は多くのカードを持っている。麻薬禁止を政治利用するのは実にゴロツキ的だが、中国はそういう国なのだ。

――中国が台湾を併合する場合、どんなプロセスを踏むと思うか?

習近平は、多くの人々が考えるほど愚かな人物ではない。おそらく台湾人自身の暴走を口実に、中国が「反撃」する形を作るはずだ。

そして、国際社会が反応を決めるまでに問題を解決する。例えば武力行使から数日のうちに、台湾島内の中台統一派の代表者に「私たちは台湾を代表して中国大陸との平和協議を受け入れる」と声明を出させる。話はこれで済む。

洪秀柱(親中派で有名な中国国民党の有力政治家)や張安楽(親中国的な言動で知られる台湾のマフィア関係者)のような人間は、台湾の内部では民意を得ていないが、中国にとって、ここ1番の局面で利用価値がある。中国共産党は狡猾だ。

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救急搬送は「カネ次第」

――2017年にCCTVを退職した理由は?

習近平政権下で報道内容の制限が強まって社会問題を伝えることができなくなり、ポジティブなニュース(正能量(ヂェンナンリャン))しか認められなくなったことが大きい。私は過去、社会派の報道ドキュメンタリー番組を作ってきた調査記者だ。これではやりたい報道ができない。

――制限の具体的な事例は?

たとえば、2016年に私がCCTVで最後に手掛けた仕事だ。北京市の救急車問題についての報道だった。通常、救急搬送はできるだけ近い病院に送ることが望ましい。だが、北京市の救急車は、仮に近くに別の病院があり、彼らの病院が現場から50キロ離れていても自分の病院に搬送してしまう。その後、患者の支払い能力を見て、カネを払えるなら入院させ、払えそうになければ他の病院へ送るのだ。搬送中に患者が亡くなってもお構いなしであり、非人道的だった。

そこで私はこの問題を詳しく取材したのだが、番組の放送は許されなかった。これまでも似たようなことが積み重なっており、社会問題の指摘すら認められない現状に失望し、結果的にCCTVを離れることになった。ちなみに北京市の救急搬送の状況は、現在も改善されていない。

――放送を差し止められた他の事例で、印象深いものは?

中国の大学統一試験「高考(ガオカオ)」にまつわる不正行為だ。10年ほど前、東北部(旧満洲)の吉林省では8000元の賄賂を支払うことで、高考がカンニングできると聞いた。誰もが平等に受験できる高考は、社会の公平性を担保する最後の一線だ。不正行為の横行は、衝撃が大きかった。

そこで私たちは潜入取材をおこない、カンニング業者がカネと引き換えにイヤホンを渡す現場を撮影した。試験当日に会場外の車内でイヤホンの音声を聞くと、試験開始から40分ほど経った段階で答えが流れてきた。その様子もすべて撮影した。カンニング業者は地元の人々らしいが、正体は不明だった。

そこで、まずはこの時点の取材内容を『東方時空』(CCTVの人気ニュースドキュメンタリー番組)で放送し、世論の話題にしたうえでイヤホンの現物を持って吉林省政府に取材に行き、カンニング業者の正体をつかもうと考えた。

しかし、番組が出来上がってから、局内のニュースセンターの主任が、受験生に対する影響が大きいので、放送は試験終了後の明日にするようにと言った。もっともな話だと考え、ひとまず納得した。

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CCTVキャスター時代の王氏

特ダネを潰した共産党幹部

――だが、それだけではないと。

ああ。翌日、放送まであと10数分というときに、スタジオに他の番組スタッフがきて「これから俺たちが放送することになっている」と。CCTVの局長命令で、私たちの番組の公開が差し止められた。

理由は、当時の若手政治家のホープである孫政才が吉林省のトップだったからだ。彼は2017年秋の党大会で、党指導部入りをうかがう立場で、任地でのトラブルが表沙汰になるのを嫌がり圧力をかけたのだ(注・孫政才は習近平の次の政権で、国家主席や総理に就任する可能性が高いとみられていたが、2017年7月に汚職を理由に失脚)。

彼が公安機関を使い、私たちの撮影をすべて監視していたことも判明した。取材の過程で泊まったホテルも監視下にあり、部屋の電話は盗聴され、街の監視カメラのデータまで確認されていたようだ。

――CCTVの番組が「お蔵入り」になるパターンを教えてほしい。

真正面からの規制には、テレビ局を管理する党の中央宣伝部が「この番組を放送するべきではない」と、正式に文書で通達する形がある。宣伝部が局に電話をかけて差し止めたり、局の上層部の判断で自粛したりするケースもある。ただ、これらは差し止めた人の顔が見えるだけ、ましなほうだろう。

ほかに裏から放送を差し止める方法が数多くある。先程の孫政才のようなケースだ。CCTVは局内の幹部に東北部出身者が多いので、私的なネゴシエイトがおこないやすかっただろうと思う。

往年、私たちが地方に取材に行くと、現地の党宣伝部門がしばしば接待し、食事をおごったり宴会に連れ出したりと懐柔を図ってきた。このようにして局内の幹部と良好な関係を築いていれば、番組の放送を差し止めることもできるようになる。

「食品偽装」をスクープ

――圧力に負けずに報道できた事例はどういったものがある?

たくさんある。たとえば鉱山事故で数十人が亡くなった際に、採掘会社や地方政府が「犠牲者2人」などと発表する例があった。犠牲者が多いと重大事故とみなされ、中央から調査を受けるからだ。そこで、遺体をひそかに焼き、遺族にカネを握らせて沈黙させ、事故の真相を隠蔽する。1990年代の中国では多かった話だ。こういう事件を調査して、しばしば実態を伝えていた。

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