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開成OBの研究 小林哲夫

岸田首相、大物次官を育んだ「ボートレース」と「棒倒し」。/文・小林哲夫(ジャーナリスト)

開成高校OBが集う「永霞会」

「恐れを知らない希望に満ちた時代だった。そうした時代をともにした仲間は人生の財産だ」

2017年9月、開成高校OBの政治家と国家公務員が集う「永霞会」の設立総会。会長に就いた岸田文雄(1976年卒、以下、カッコ内は開成卒業年)は挨拶でこう語った。同会には、当時の安倍晋三首相がメッセージを寄せ、北村滋内閣情報官(当時、1975年)、元財務次官で日本たばこ産業会長の丹呉泰健(1969年)らが出席するなど、「岸田首相」誕生にむけた応援団の様相を呈していた。

それから4年。総理の椅子に岸田文雄が座り、首相秘書官には開成OBで元経産次官の嶋田隆(1978年)、新設された経済安全保障担当大臣には小林鷹之(1993年)が起用された。

「事務方のトップである官房副長官には結局元警察庁長官の栗生俊一氏が就きましたが、直前まで岸田総理擁立に尽力した開成OBの北村氏が有力視されていた」(政治部デスク)

開成出身者が重要なポジションを占める政権の誕生に、永田町、霞が関のOBは大いに盛り上がった。

小泉純一郎首相の秘書官を務めた、前出の丹呉は、岸田首相にこうエールを送る。

「岸田さんには内政のみならず、外交でもリーダーシップを発揮してほしい。国際問題が山積みのなか、外交は内政以上に速やかなトップの判断が求められる。いろいろな意見を吸い上げた上で決断し、実行していただきたいと思います」

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岸田首相

開成同級生が語った岸田

言わずと知れた東大合格者日本一の進学校である開成高校。だが、岸田自身は東大受験に3度失敗し、早稲田大法学部に進学。受験失敗を「人生最大の挫折」と語っている。

商工中金代表取締役社長をつとめる関根正裕は、岸田の同級生であり、野球部で一緒にプレーした仲間だ。2年生の夏季大会初戦で岸田が内野ゴロをトンネルして最終的にコールド負けを喫したことは、いまでも語り草となっている。

セカンド岸田と二遊間を組んでいた関根が振り返る。

「入学当初は野球が上手いという印象はなかった。ただ本当にひたすら真面目にひたむきに練習していた。彼はサボることを知らない。合宿の練習後にはランニングが恒例になっていたけど、常に最後まで走りきり宿舎で倒れ込むこともあった。結果ちゃんとレギュラーになったしね」

同じクラスで三菱製紙の欧州現地法人で社長をつとめる林康司が懐かしむ。

「岸田はものごとを仕切ろうとすることは絶対になかった。それでも話を振るとしっかりとした考えを口にするんだよね。『岸田どう?』と聞くとビシっと言うので、その方向に物事が決まるケースが多かった」

林は岸田の自宅を訪ねたことがあった。

「父親(文武、のちに衆院議員)が官僚で、祖父(正記)が政治家なんてことは一切言わない。学校の誰も知らなかったんじゃないかな。あんまり特別視されたくないと思ったのか、あるいは敢えて言うものではないと考えていたのか。自分の口からは言わない男でした」

同じく同級生で京都大教授の三ケ田均は、岸田の印象を「がり勉タイプだった」と語る。それだけに浪人したのは意外だったという。

「長銀に入行したと聞いたとき、なんてぴったりな職業だろうと思いました。さすが自分を自分でわかっているなと。真面目一徹で堅実に物事をこなしていく。でも、今年の総裁選では真面目さに加えて力強さを感じた。リーダーシップを身につけた印象です。昔は全然そんな感じではなかったので。立場が人を変えるということなのかもしれません」

開成の開校は1871(明治4)年。共立学校という校名で、当初から東京大の前身の1つである旧制第一高等中学校(後の旧制一高)への進学に力を入れていた(『開成学園90年史』より)。

戦後、新制高校になってから、1960年代まで東大合格者数は、日比谷、西、新宿、戸山など都立の進学校に押されていたが、1970年代に入ると、灘高校とトップ争いを繰り広げるようになる。

官僚向きの資質

そして1977年、開成は東大合格者数で初めて全国一に。

主な要因は、学校群制度導入による志望者数の増加、校舎前に西日暮里駅が開業するなど鉄道網が整備されたこと、そして高校からの入学定員の増加である。

77年以来、開成は、毎年100人以上を送り出し、82年から2021年まで40年連続トップの座を守り続ける。

また同校は、官僚機構と親和性が高く、これまで1000人以上の卒業生が霞が関の門をたたき、数多くの次官が誕生した。財務省事務次官は、武藤敏郎(1962年)、前出の丹呉、香川俊介(1975年)など大物の名前がずらりと並ぶ。近年では元経産次官の嶋田、元厚労次官の樽見英樹(1978年)、環境次官の中井徳太郎(1981年)などもOBだ。

永霞会の事務局長である衆議院議員の井上信治(1988年)によれば、開成OBの国家公務員は現在、600人にのぼり、事務次官級が10人近くいるという。開成出身の国会議員は9人いるが(10月29日現在)、そのうち6人が官僚出身だ。

霞が関で働くOBが多い理由を、学習院大教授の福元健太郎(1991年)が分析する。

「開成は学問重視というより実務的で、学者より官僚や政治家に求められる資質に合っているのだと思います。生徒が主体となって運動会、文化祭、旅行などのイベントを催しますが、男子校特有の荒っぽい生徒や言うことをきかない生徒がいるなか、チームをまとめ上げて、イベントを開催する実務能力が養われていく。

また先輩後輩の上下関係を重んじる文化もある。気合いを重視する校風でもありますしね(笑)。ただ先輩に唯々諾々と従うだけでなく、言うべきことはきちんと口にする。それでも、方向性が決まれば実現に向けて走る。こうした資質が霞が関で働く際に生きてくるのでしょう」

一方、ライバル校の麻布高校出身の大物官僚は、松永和夫元経産次官、奥原正明元農水次官などにとどまるが、近年、永田町に反旗を翻した前川喜平元文科次官、経産省出身の古賀茂明もOBだ。開成出身者には見当たらないタイプである。

政治家は、橋本龍太郎、福田康夫の元首相を筆頭に、与謝野馨、谷垣禎一、中川昭一、平沼赳夫など錚々たる大臣経験者を数多く輩出している。いずれも世襲政治家だ。

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嶋田秘書官

入試問題はどう違うのか

両校の違いはどこで生まれるのか。よく指摘されるのが入試内容だ。

通産省で勤務した経験のある東京大教授で政治学者の内山融(1985年)が語る。

「開成中・高の入試問題は基礎的なものが多く、与えられた課題を短い時間で解く能力が必要です。この点でも開成は官僚向きかもしれません」

中学受験塾の関係者が付け加える。

「開成は、幅広い分野から出題され、問題数も多い。また出題のクセがない一方で少しでもミスをすれば受かりません。一方、麻布は思考力が問われる記述式の問題が多く、出題内容が非常に特徴的です」

たとえば、麻布では「『ドラえもん』が優れた技術で作られていても、生物として認められることはありません。それはなぜですか。理由を答えなさい」(2013年理科)といった問題が出る。

開成では、いざ入学すると、受験対策を念頭に置いた授業ではなく、生徒の知的好奇心を深める教育が施されているという。

鳥取県知事の平井伸治(1980年)が懐かしそうに語る。

「教師にも開成出身の方が多く、名物教師がたくさんいらっしゃいました。たとえば中2の時、古文の授業は、半年間かけて『古今著聞集』だけを習いました。完全に先生の趣味ですよね(笑)。しばらくすると飽きてくるので、生徒は先生をおだてて『古今著聞集』の妖怪の話をリクエストする。先生はお化けの存在を信じているので、ずっとその話ばかり。このような感じで、先生が自由に授業をしているんですよ」

立憲民主党の衆議院議員、下条みつ(1974年)が「いわゆるがり勉タイプはいない」と語る。

「開成にはこれだけ勉強したよとアピールするような人はいなかった。それでいて自宅でしっかり勉強する。みんな切り替えが上手です。岸田さんの政治スタイルと似ているような気がします。裏方で我慢しながら勉強し、政務、党務を黙々とこなす。首相になれたのも、その頑張りが認められたからでしょう」

両校の校風の違いが顕著になるのが文化祭だという。

開成の生徒はきちんと制服を着用し、見学に来た小学生を優しく案内する。一方、麻布は校則がなく金髪やアロハシャツで迎え入れ、ハチャメチャな出し物を披露する。両校を訪れた小学生は、開成か麻布かどちらが自分に合っているか、自分の適性がなんとなく分かるのだという。

「棒倒し」で根性を身につけた

こうした校風の違いについて地域性を指摘する向きも多い。前出、岸田の同級生である林が語る。

「開成の校舎は荒川区の西日暮里の駅前にあったためか、下町の家庭に育った子供が多かった。一方の麻布や武蔵中学・高校はどちらかというと新興住宅地で山の手の上品な印象でした。今も昔も生徒は色んな地域から通っているのでしょうが、我々の時代はそういう傾向が強かった」

林や岸田が通っていた当時の開成は、戦前の空気が残っていた。

「元々、ガラが悪いと言ったら変だけど、がさつな感じの雰囲気ですよね。簡単に言うと上品な学校ではない。僕らのころは軍隊上がりのような先生方もいた。叩くわけじゃないけど、鞭とか棒を手にしていた。本当に古い昔の学校というイメージでしたね」(同前)

岸田の4年後輩である、前出の平井知事が付け加える。

「当時はお金がなかったので、窓ガラスが割れても直してくれない。冬場は雪が吹き付けてきたりして、生徒はコートを着ながら授業を受けていたものです。バンカラで自由なのですが、どこか寺子屋的な部分が続いているのかもしれません」

その校風が如実に残っているのが、ボートレースと運動会の二大行事だ。

4月のボートレースは筑波大附属ボート部との対抗戦で、中1と高1が応援に駆り出され、高3から理不尽なまでに怒鳴られる。その洗礼は入学直後から始まるという。

前出・関根が明かす。

「中1の入学したてのとき、昼食時間に高3がいきなり教室に入ってきて怒鳴りまくるわけですよ。『てめえら! 箸を置け! 先輩が話しているときに飯食ってるとは何事だ!』とね。高3が応援練習と称して応援歌や校歌を徹底的にたたき込む。校庭に机を置いて、竹刀をもった高3がその上に立って檄を飛ばす。もちろん殴ったりはしないけど、竹刀で机を叩くみたいなさ。最初は本当ビビっちゃうよ。でもそれで連帯感ができるって感じです」

5月の運動会は、さらに体育会系の色が濃いという。

経済安全保障大臣の小林は、岸田が所信表明演説で発した「早く行きたければ1人で進め、遠くまで行きたければ皆で進め」というフレーズをこう読み解く。

「開成では運動会の準備に1年かけますが、生徒全員がそれぞれの役割をまっとうする。岸田さんのあのフレーズにはチームワークで大きなことをやり遂げようという開成らしさが見てとれます」

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小林氏

その運動会のハイライトが棒倒しだ。組ごとに綿密な戦略が練られ、かつては棒がなかなか倒れず夜20時ごろまで競技がつづき、毎年のように骨折者が出ていたという。

衆議院議員の城内実(1984年)はこう振り返る。

「私には自民党の公認が得られず4年間の浪人生活があり、その期間の支えとなったのが開成で培った精神力です。開成で学んだ一番大事なことは何かと聞かれたら、その答えは棒倒し。以上おしまいです。体力の限界に挑戦しながら、勝つために執念を燃やす。選挙も一緒です。開成でなかったら、挫折して政界から引退したでしょう。そこまで棒倒しで身につけた根性は大きかった」

運動会では、中1から高3まで8つの色がついた「組」に分かれ、高3が中1を指導するなど、先輩後輩の間で濃密な人間関係が築かれる。その絆は深く、卒業後も運動会の話題で盛り上がるという。こうした人間関係は、官僚の省庁に対する忠誠心、チームプレーに通じる。

開成OBの財務省幹部がこんな話を打ち明ける。

「霞が関、特に財務省のような世界は、ボートや運動会における応援練習みたいな不条理を味わった開成卒業生にぴったりなのかもしれない」

運動会で培われた開成スピリットを重視するのは政治家や官僚だけではない。OBの財界人も口をそろえて効用を語る。

タカラトミーで副社長を務め、現在、T-entertainment代表取締役の佐藤慶太(1976年)が言う。

「先輩後輩という縦の繋がりもメリハリがついており、最終的には先輩を尊敬するようになりました。中1が高3の指導を受けるのは良い慣習だと思いますね。義理と人情を大切にする学校でした」

三井住友海上火災保険社長の舩曵真一郎(1979年)が語る。

「運動会などの行事で先輩と後輩の上下関係ができますが、トップダウンの傾向が強いからこそ、逆に先輩が後輩の気持ちを汲み取ることが大切になる。これが岸田総理の聞く力につながったのではないかと想像しています」

「尖ったキャラが多かった」

実務的で体育会系な校風を背景に多彩な人材を送り出していた開成だが、1980年以降はチャレンジ精神旺盛な人材が目立つ。

筑波大准教授でメディアアーティストの落合陽一(2006年)もその一人だ。落合自身が学生時代を振り返る。

「きちんと授業を聞いた記憶がないですね。のびのび自由な校風で、誰もエリート意識を持っていなかった。みんな頭がいいので、勉強以外で一番になれるのを探す。得意分野で能力を伸ばすことで、尖ったキャラクターをもつ生徒が多かった」

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落合陽一氏

ライフネット生命創業者の岩瀬大輔(1994年)が、在学当時の校風を語る。

「とびきり優秀な人間が一学年に何十人もおり、知的層の厚みに驚きました。一方で麻雀や競馬に夢中だったり、社会人の彼女がいる同級生もいて、大きな刺激を受けました」

学生時代、棒倒しに打ち込んだという、まん福ホールディングスの代表取締役社長、CEOの加藤智治(1993年)は岸田首相が唱える「新しい資本主義」に期待を寄せる。

「岸田首相には起業家が活躍できる環境を整備してほしい。社会にイノベーションを起こし新陳代謝につなげることで、新たな雇用が生まれる。新しい企業を作ることは国力の活性化に必要です」

他にも起業家は、マネックス証券会長の松本大(1982年)、freeeCEOの佐々木大輔(1999年)、キャスターの小川彩佳の前夫として注目された医療ベンチャー「メドレー」取締役の豊田剛一郎(2003年)など、いずれも著名な人物ばかりだ。

前出の岩瀬は、開成人脈が起業の際、大いに役立ったという。

「ライフネット生命の創業時、法律面はクラスで一番優秀だった弁護士に頼み、IT分野はパソコンが得意な同級生に相談しました。また開成の大先輩が役員をつとめる金融機関に出資をお願いするなど、卒業生のネットワークに助けられましたね」

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岩瀬大輔氏

グローバル化に舵を切った

また近年は、前出の落合や「東大クイズ王」の伊沢拓司(2013年)など、従来の職種の枠にとらわれない異能の人材も輩出している。

昨年まで9年間校長をつとめた柳沢幸雄(1967年、現在は北鎌倉女子学園長)に尋ねると、学校の体質にも変化が起きていたという。

「校長就任時、すでに東大合格者数日本一を30年続けており、その意味で開成は成功した学校でした。しかし就任して違和感に気付きました。新しい物事を判断しようとするとき教員は前例を調べましょうと言い出す。これでは思考停止につながります。そこで、まず自分たちで判断することを徹底しました」

2013年、開成は国際交流・留学生委員会を学内に設置。海外大学に入学を希望する生徒を手厚くサポートする体制がととのった。国内難関大学への進学にこだわらないグローバル化に舵を切ったのだ。

開成の校長は歴代、同校での教員経験はなく、外部からOBを招聘するのが慣例だ。柳沢は東京大教授、現校長の野水勉(1973年)は名古屋大教授からの転身だ。校内のしがらみをもたないことは、組織が陳腐化せず、新陳代謝を図るために重要だと柳沢は考えている。

現在の野水校長(2020年就任)も、グローバル化をさらに進めている。本人が説明する。

「この20年間、中国や韓国などアジア諸国、EUの学生に比べて日本の学生の海外留学者数は伸び悩んでいます。これまで以上に日本の若い世代に国際的に活躍してもらわないと日本は世界から立ち遅れてしまう。開成ではハーバード大、ケンブリッジ大やMITなど世界のトップ校への入学希望者をきちんとサポートしていきたいと考えています」

時代に対応し柔軟に取り組む母校の姿勢から、岸田首相は学ぶことが多いのではないだろうか。

(文中敬称略)

文藝春秋2021年12月号|開成OBの研究

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