
西寺郷太 小説「'90s ナインティーズ」#19
第三章
Distortion And Me
★前回の話はこちら。
※本連載は第19回です。最初から読む方はこちら。
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結局、マイカとほぼ同時のタイミングで完全に酔っ払った古閑さんが Que にいたはずのカズロウと共に「敦煌」にやってきたことで、僕ら3人の「なんでんかんでん」行きは未遂に終わった。何気なくマイカの表情を見ると、小柄な古閑さんが全身から醸し出すバイタリティと陽気なムードを見て笑っている。完全に「ラーメン・モード」に心のスイッチが入っていたはずのケースケさんはほんの少し残念そうに顔を歪めたが、計画の作戦変更は真夜中の下北沢では毎度のことだ。ケースケさんはカウンターの中から、僕が一度2階にある店まで上げた看板に視線をやり、右の掌を軽くあげて元の歩道へと戻そうとする僕を制した。
ケースケさんに促されて、僕はマイカと古閑さんに挟まれる席に座った。ふと見るとさっきまで店にいたはずのカズロウは、知らぬ間に誰にも別れの挨拶もせずに帰っていた。そんなことはこれまで一度もなかった。さっきまで僕らはモリヘーに頼まれマイカを探していたはずなのに、そのことについて何も反応がなかったのが何故なのか気になった。古閑さんがコロナ・ビールをオーダーしたので僕もマイカも同じものを頼み3人で乾杯した。ケースケさんがカウンターの向こうから僕に向かって『ソロ・モンク』と書かれた、オレンジ色のアルバム・ジャケットを見せた後でターンテーブルに乗せた。
「この前、早朝に警察が誰かを起こしてる!と思ったら古閑さんでしたよ、あはは」
僕は言った。
「いやいや、お恥ずかしい限りでさー。でも、ほんといい街だよ、シモキタは。何回酔っ払って寝てても、一回も何にも盗まれたりしてないしねー」
古閑さんは腰についたチェーンと長財布を触りながら笑った。ケースケさんが言った。
「それは古閑君のことを皆が知ってるからだよ、はは」
僕は左隣のマイカに向かって言った。
「マイカちゃん、俺、最近、遅ればせながらなんだけど『ヴィーナス・ペーター』初めて聴いてさー、めちゃくちゃかっこいいね」
「もちろんっ。私、ヴィナペ、高校生の頃からファンだから。『Velvet Crush』の来日公演、原宿クロコダイルから観てるんですよ」
マイカは口角を軽く上げて、黒いノースリーブのワンピースを着た胸に静かに手を当てた。
「え、あの時のフロントアクトが最初の俺らのライヴだったんだよ。それマイカ、来てたの?」
「はいっ!」
「そうなんだ、凄いわ、ははは。というかね、ゴータ君、マイカちゃんはウチのヴォーカルだった沖野俊太郎先生のファンなんだよねー」
古閑さんが少し皮肉を込めた口調で言った。
「古閑さんー! いつも言いますけど、私! 沖野さんだけのファンじゃないですよー!」
何度も繰り返された会話なのだろう。マイカは慣れた様子で古閑さんに怒ってみせる。
「いやでもね。沖野君はホンモノだから」
「ほぉぉ」
僕は唸るように相槌を打った。
「それは俺もわかってるんだよねー。ゴータ、認めたくないけど、ヴォーカルはクセのある奴の方がいいですよ。沖野君は毒舌でね。いや、褒めるものは褒めるんだけど。ともかく、ホンモノだったね」
「えー!? 幸せじゃないですか。自分のバンドのヴォーカルだった人にそう言えるのは」
「それが、ある意味俺の不幸の始まりでもあったね、あはは。才能ってそういうもんだよね。あいつの作ってきたデモや曲を聴いた時、正直ショックだったもん、あー、俺はニセモノだなって」
「え?」
「いや、ニセモノはちょっと言い過ぎかもだけど、もっとそれまでやってきたことって取ってつけた感じだったんだよね、『流行もの好き』と言うかさ。例えば、パンクやメタルが好きだったらある時代はまんまその感じ、スミスが好きならスミスみたいに。でも沖野君はちゃんと曲が書ける人で。もう沖野先生って呼んでたもん、途中から」
「あはは」
「ともかく彼はそもそも曲作りのちゃんとした王道を知ってた。それがネオ・サイケだったりバニーメンだったりのアレンジのムードで包まれてただけでね。最初、小山田君と組んでた『ビロード』のテープもらった時、カッコよすぎてびっくりしてさ」
「『ビロード』、私、さいっこうに大好きでした!」
マイカが目を輝かせた。
「古閑さん、元フリッパーズの小山田さんや、小沢さんとは仲良いんですか?」
「あー、小沢君は本当にそこに居合わせたことがあるだけというか。小山田君は『ヴィーナス・ペーター』よりも前かな、よく会ってたのは。ギターの石田君がそういう『渋谷系』界隈に仲間が多くてさ。俺はどっちかというとこの町、シモキタだね。というかもっと言えば『SHELTER』、あはは」
「へー、今度のバンド『JUPITER SMILE』は、沖野さん以外のメンバーは『ヴィナぺ』のままなんですか?」
「いや、ドラムが外村さんに変わった。石田君が元々やってたバンド、ペニー・アーケードの外村公敏さん。地元が同じ熊本で。正直、凄いドラマーだから俺、今ベース練習しなきゃって思ってるとこ」
「え? と言うか、地元この辺じゃないんですか? 熊本なんですか? 古閑さん」
「そうそう。皆、色んなとこから集まってきてるけどそれぞれの地元になってるのがいいよね。シモキタは。マイカはこの辺だよね。だから彼女は詳しいよ、もしかしたら俺よりもこの辺のこと」
「小さい頃から来てましたし、シモキタ本当に大好きですけど。ちょっと……、東京以外からここに来た人が羨ましいなって思うこともあります。ゼロからリセット出来るじゃないですが、いろんなことを……」
僕が少し寂しげなマイカを軽く見つめていると、古閑さんが思い出したように言った。
「あのさ、そうだ。俺、レーベルやってるじゃない?」
「はい」
「やっぱピンと来るか、来ないかのポイントはその人のキャラクターなのよ。さっき『ぶーふーうー』で会った時にゴータくんに言えば良かったと思ってて。当たり前だけど、まずバンドでもアーティストでも相手に『覚えてもらう』ってのが大事なわけだよね」
「はい」
「俺、この名前とキャラクターだからめっちゃ皆から覚えてもらえんのよ。四角い顔だなーとかいつも思うんだけどね。でもそれも含めて親に感謝なわけ。昔から皆でいてもなぜか俺ばっかり古閑君、古閑君ってね。でもゴータもそっちなんだよ。キャラクター側。あはは。じゃない?皆、ゴータ、ゴータって言うでしょ」
「です! いや、そんな風に思ってもらってるなんて……。ありがとうございます! 古閑さんは一回お会いしたら誰だって絶対忘れないですよ、はは」
「同じ雰囲気でそこそこカッコ良くても名前とか顔とか覚えるの大変なわけ。でも、普通じゃない、違う強いキャラクター、色んな人が寄ってくる才能、キャッチーさって大事ってこと。見た目も含めてなんだけど。まずそれが前提だよね。あ、ケースケ、酎ハイソーダ割り、あ、大きい方で」
マイカが質問した。「古閑さん……、新しいヴォーカルは、どうやって選んだんですか?」
「ん? オーディションだね。5、6人来てくれたかなぁ……。それで、もう沖野君と同じ路線で選んでもしょうがないからね。若いダイゾーにね、賭けることにしたー」
ウインクするように右の目蓋を閉じて話す古閑さんに、僕は言った。
「そのダイゾーくん、確かめちゃくちゃカッコいいんですよね?さっき『モリヘー』が TOKIO の長瀬君みたいだって」
「あはは。それは、わかんないけど確かにカッコ良くて、いい奴だねー。ただ……、『いい奴過ぎる』気もちょっとだけするけどねー」
「まぁ、レコードも出して人気がある大先輩と組むわけですしね、そうなるのも当然じゃないですか?」
次の瞬間、不自然な沈黙が下北沢駅前のバー「敦煌」を包んだ。ふと右隣の古閑さんを見ると、彼はカウンターに突っ伏していつの間にか眠ってしまっていた。ほんの数十秒前まで普通に話していた彼の変わり果てた無防備な姿を見て、僕とマイカとケースケさんは目を見合わせて笑った。そして、無意識に古閑さんの肩を揺らして起こそうとする僕を、ケースケさんが制した。「古閑くんは俺が朝まで様子見るから、ゴータ、マイカを家まで送ってやってよ。ここから歩いて15分くらいだからさ。マイカも今日はこの辺で帰りな、家に」
「あ、私、ひとりで大丈夫です」
マイカは言った。
「マイカ、明日は大事な日だろ。帰りな。そっとしておこうかって思ってたけど、会っちゃったら俺も言わないといけない……。哲平は俺の大事な友達だったからさ。な、ゴータ、頼むわ」
「わかりました」
さっきまで聴こえていたセロニアス・モンクのピアノから、クーリオの〈ギャングスタ・パラダイス〉へとBGMはいつの間にか変わっていた。サンプリングされループされたスティーヴィーの聴き慣れた旋律が、バー『敦煌』の壁に静かに何度も吸い込まれていった。
★今回の1曲ーーCoolio Featuring L.V. / Gangsta's Paradise (1995)
■西寺郷太(にしでら・ごうた)
1973年東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成したバンド「NONA REEVES」のシンガー、メイン・ソングライターとして、1997年デビュー。
以後、音楽プロデューサー、作詞・作曲家としてもSMAP、V6、YUKI、岡村靖幸、私立恵比寿中学、「ヒプノシスマイク」など多くの作品、アーティストに携わる。
近年では特に80年代音楽の伝承者としてテレビ・ラジオ出演、雑誌連載など精力的に活動。マイケル・ジャクソン、プリンスなどの公式ライナーノーツを手がける他、執筆した書籍の数々はベストセラーに。
代表作に小説『噂のメロディ・メイカー』(扶桑社)、『プリンス論』(新潮新書)、『伝わるノートマジック』(スモール出版)など。
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