見出し画像

「香港は習近平に屈しない」周庭だけではない。民主派の若者は立ち上がる

国家安全法制定と同時に強烈な弾圧を開始した中国共産党。8月10日には、周庭(アグネス・チョウ)が当局に逮捕された(その後12日に保釈)。だが、香港には自由と民主主義を求める若者たちが他にもいる。彼らの本音に迫った。/文・安田峰俊(ルポライター)

使用_安田峰俊_トリミング済み

安田氏

香港史上最年少の立法会議員

「イギリスに着いてから、国会内の香港問題委員会で発言する機会があり、与野党の有力な政治家につながることができた。最後の香港総督だったクリストファー・パッテンにも会った。イギリス政府の香港政策に影響を与えた手応えを感じている」

7月21日、リモート取材の画面越しにそう語ったのは、同月に27歳になったばかりの香港の活動家、ネイサン・ロー(羅冠聡)だ。

スクリーンショット 2020-07-20 17.17.47

イギリスに渡った羅冠聡氏

香港では昨年6月以来、激しい街頭闘争を伴う大規模な反政府デモが続いてきた。日本ではこのデモについて、女性活動家の周庭(アグネス・チョウ)が代表者のように見られているが、彼女は実際には日本向けのPRやロビー活動の担当者でしかない。

いっぽう、ネイサンはより大物だ。彼は2014年に起きた大規模デモ・雨傘運動に学生団体の幹部として関わり、2016年に香港民主派の政党「デモシスト(香港衆志)」を結成して党首に就任。同年おこなわれた香港立法会(国会に相当)選挙に参戦するや、5万票以上を集めて香港史上最年少となる立法会議員への当選を果たしたが、間もなく香港政府によって議員資格を取り消されたという人物である。

ちなみにデモシストは、同じく雨傘運動で有名になった学生運動の闘士であるジョシュア・ウォン(黄之鋒)や周庭も所属しており、ネイサンは彼らのリーダーにあたる。立法会議員の資格が取り消された後も、主に対英米向けの遊説やロビー活動を担ってきた。

しかし、ネイサンは現在、すでに香港にはいない。イギリスでの亡命生活を余儀なくされた彼は、事情をこう話す。

「自分の出国はジョシュア・ウォンと相談した。彼には理解してもらえたが、デモシストの他のメンバーには伝えづらい部分もあって、あまり話さないまま香港を去ることになった。もちろん、自分の安全上の理由だけではなく、海外に香港の声を広く伝えたいという目的もあっての決定だったが」

ネイサンの亡命に先立つ6月30日深夜、香港では悪名高き国家安全維持法(国安法、後述)が施行されている。

その直前、ネイサンとジョシュア、周庭はデモシストからの脱退を宣言したが、やがてデモシスト自体も組織の解体を宣言した。国安法について「流血の文化大革命のはじまり」と厳しく批判していたネイサンは海外に脱出。彼は取材にこう話す。

「昨年8月から今年3月まで、私はアメリカで活動していて、ハーバード大やイェール大などでの演説や、香港民主法案の制定を目指すロビー活動をおこなったりしていた。ポンペオ国務長官や、ナンシー・ペロシ下院議長にも会っている。今後、私のこうした活動が国安法に抵触するのは間違いない」

香港デモを「殺した」国安法

ネイサンに香港脱出を決意させた香港の国安法について、あらためてまとめておこう。これは収束の気配が見えない反政府デモに苛立った北京の中央政府が、香港に突きつけた究極の荒療治だ。

中国の特別行政区である香港は本来、国家に準ずるレベルの「高度な自治」がうたわれていたが、国安法は北京が解釈権を持つ香港基本法(香港の事実上の憲法)の附則に組み込んで成立した。すなわち、中央政府が香港議会の頭越しに法案を押し付けた形である。

内容は凄まじい。「国家分裂」「政権転覆」「テロ活動」「外国勢力との結託」を厳しく禁じ、最高刑では終身刑を科す。いっぽう、条文の文言は曖昧で、反中国的・反香港政府的な言動がどこまで制限されるかは、当局側の恣意的な解釈に任される。香港の法律の制約を一切受けない、北京の治安維持機関「国家安全維持公署」を香港域内に新設することも定められ、国安法違反者は中国大陸に移送される可能性がある。

同法の第37条と第38条には、それぞれ「香港永久居民や香港で設立された企業などの団体は、香港以外の場所で国安法に違反した場合も罪に問われる」「香港の永住権を持たない者が香港以外の場所で国安法に違反した場合も罪に問われる」といった意味の記載もある。

香港人か外国人かを問わず、国外での反中国的な言動はすべて摘発対象に含められかねないということだ。当局による通信の傍受や財産の凍結も令状なしに可能で、容疑者にパスポート没収や出境(出国)禁止措置を加えることも定められた。

国安法の施行直後の7月1日、市内では無許可で数万人規模の抗議デモが実施されたが、現場で370人以上が逮捕され、「香港独立」と書かれた旗を持つなどした10人にはさっそく国安法違反容疑が適用された。

暴徒2

「今後、何人(なんにん)を逮捕するつもりといった計画があるわけではない。国安法は懲罰のためではなく、犯罪の予防のためにあるのです」

7月1日、林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官は記者会見でそう述べており、この10人の逮捕は一種の見せしめかパフォーマンスに近いものだったと見られている。だが、単に旗を持っていただけで逮捕される法律の施行は、香港社会に大きな衝撃を与えた。新型コロナ禍の渦中にあることも一因とはいえ、国安法の施行後の香港で目立ったデモはほぼ起きていない。

北京が一国二制度の枠組みを揺るがす大鉈を振るったことで、これまで1年以上続いた香港デモはついに息を止められたかに見える。

「(北京と香港の各政府は)現行の制度内であらゆる手法を駆使してきたが、香港人たちのデモを止められなかった。香港デモはあまりにも上手くいっていたから、国安法の制定を招いてしまったのだ」

「国安法が成立したことで、より国際社会からの注目は強まった。全体的な流れは、決して私たちにとって不利にはなっていない」

デモ側の論理の代弁者であるネイサンは、あくまでもそう強弁した。しかし、客観的な事実として、香港の民主化運動が重大なピンチを迎えていることは明らかだろう。

目の敵にされたデモシスト

「デモシストが『国家の敵』と見られているのは間違いない。(北京の意向を受けた)香港の親中紙には、私たちが反中国分子だとか、香港の民主化運動は外国勢力にコントロールされており、その手先になっているとか、そうした記事が毎日のように掲載されてきた。ネット上でもしょっちゅう殺害予告を受けている」

いっぽう、ネイサンはそう話す。国安法の施行前まで、彼が率いるデモシストは「香港デモの顔」として内外でよく知られてきたが、中国当局からは目の敵にもされてきた。

2017年には雨傘運動の責任を問われ、ネイサンとジョシュアらが禁固刑に処されている。さらに2019年6月に香港デモが勃発してからは、親中紙やオンライン上の5毛党(親中国的な投稿をおこなうネット工作員)からの激烈な中傷にさらされ、香港デモ全体を扇動する黒幕であるかのようにみなされるようになった。

昨年8月末には、ジョシュアと周庭が「デモ扇動」の疑いで突然逮捕されている(2人は同日中に保釈されたが現在も裁判中。今年7月6日には周庭が法廷で容疑を認めた)。今回、ネイサンらが脱退したにもかかわらずデモシストが組織全体の解散を表明したのも、著名人以外の一般メンバーの安全確保が主たる理由だったと言われる。国安法によって強制捜査や一般メンバーの逮捕が避けられないなら、先に解散してしまえというわけだ。

海外への宣伝が北京の逆鱗に

ただ、実はデモシストは香港デモに対して指導的な立場にはなく、デモ隊はネイサンやジョシュアの指示を受けて動いているわけではない。加えてデモシストの主張は、社会の民主化を通じて市民自身による香港の将来の自主決定を求める「自決派」と呼ばれる立場で、中華人民共和国からの離脱を訴える急進的な香港独立派には属さない。

本来、デモシストはこれほどの攻撃を受けるような組織ではないように思えるが、ネイサンはこう話す。

「デモシストの結成以来、われわれが外国政府へのアピールを積極的におこなう活動方針を立ててきたのが一因だろう。たとえば2016年の党創設直後から、私の場合はアメリカへスピーチに行っている。香港デモが起きてから、香港情勢に関心を示す議員がぐっと増えたことも確かだ」

デモシストは香港の組織のなかでは例外的に、ネイサン、ジョシュア、周庭らの有名活動家の国際的知名度を武器に使う形で、外国の政府・世論への宣伝に力を入れていた。しかしこうした行動は、西側国家による中国の体制批判を強く嫌う北京の逆鱗に触れるものでもあった。

そもそも今回の国安法で「外国勢力との結託」が禁止事項に含まれたこと自体が、デモシストの活動を抑制する目的ゆえともみられている。

破産した香港独立運動のホープ

もっとも、国安法はデモシストのみならず、他の組織や個々のデモ隊の行動をも縛っている。

ここから先は

3,793字 / 7画像
noteで展開する「文藝春秋digital」は2023年5月末に終了します。同じ記事は、新サービス「文藝春秋 電子版」でお読みいただけます。新規登録なら「月あたり450円」から。詳しくはこちら→ https://bunshun.jp/bungeishunju

文藝春秋digital

¥900 / 月

月刊誌『文藝春秋』の特集記事を中心に配信。月額900円。(「文藝春秋digital」は2023年5月末に終了します。今後は、新規登録なら「…

「文藝春秋digital」は2023年5月末に終了しました。今後は「文藝春秋 電子版」https://bunshun.jp/bungeishunju をご利用ください