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西川美和 ハコウマに乗って12 そういうもの?

そういうもの?

この仕事につく以前、私には映画関係の知り合いは1人もなかった。映画や写真や音楽にのめり込んでいた大学時代の仲間も、4年生になると出版社や鉄道会社や商社に就職を決めていったが、私は1人「映画の仕事をしてみたい」と青臭い夢に浸りつつ働き口を探していた。

そんな折、故郷の父が通う床屋の息子が映画会社で撮影助手をしているという話を聞いた。クラスの中でも物静かだったO君が、大きなキャメラを担いで撮影現場に立っているとは意外だった。床屋には巨匠キャメラマンの傍らに立つO君の写真が飾られているそうだ。すごーい。

私は図々しくもO君を頼って、撮影所の先輩を紹介してもらうことにした。そうしてO君のアパートにやってきたプロの「助監督さん」が、私が生まれて初めて出会った映画人であった。

「現場に入りたいって? 将来監督になりたいと思ってるわけ? きつい世界だし、将来性はないし、君みたいな子が思ってるような場所じゃないよ」

O君が用意してくれた鍋をつつきながら、黒いジャンパーに白ちゃけたジーンズの助監督さんは暗い目をしてそう呟いた。若い女だからって、俺は本当のことしか言わねえからな、という壁を感じた。けれどそれもやみくもな排他というより、この人自身の夢のくじかれた果ての表れのような気がした。泥にまみれて仕事をしても、割ばかり食って監督になんてなれない。これだけ勉強して、情熱を注いでる俺たちがだ。それをお前みたいな半端な女が簡単に考えてくれるなよ。と言われているようだった。O君のせっかくの鍋は全く美味くなかった。

とりあえず大手の映画会社に就職するのはよそうと思った。貧乏や苦労はさておき、もっと自由で独創的な映画を作っている場所に行きたいと思ったからだ。その後私はフリーランスの助監督になって、客の入りそうにない、はちゃめちゃな、だけど楽しい現場で、予想通りの貧乏と苦労と過剰労働に首まで浸かった。撮影中は新宿や渋谷に朝6時集合して帰宅は24時過ぎが当たり前。睡眠時間は3、4時間。2週間以上休みなしで現場が続くことも少なくなかった。洗濯、掃除、ゴミ出しはおざなりになり、部屋の中は散乱した。初任給は8万円。カチンコの叩き方すら知らないんだから授業料だと思って学生時代よりアパートの家賃を落とした。この仕事をする限り、将来子供を産み育てたり家を買ったりという人並みの営みはないのだろうなと覚悟した。でもまあ、「そういうもの」だろう。だってみんなまともな就職をしたのに、自分だけが子供の頃から好きだったものにこだわっちゃったんだから。

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