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【創業者対談】一風堂×丸亀製麺 世界中の国に「日本の麺」を!

 とんこつベースの博多ラーメン「一風堂」(1985年創業、福岡市)を中心に、世界15カ国に約300店舗を展開する力の源(もと)ホールディングス。創業者の河原成美氏(67)は、「日本のラーメンを世界食に」を目標に掲げ、「2025年までに国内海外合わせて600店舗」を目指す。

 2000年に兵庫県加古川市で創業した「丸亀製麺」は、それまで香川県以外では馴染みのなかった「セルフうどん」で人気を博し一気に全国展開。2019年6月末時点で国内に約800、海外では13の国と地域に241店舗を展開している。運営元のトリドールホールディングス創業者の粟田貴也氏(58)は、2025年度に「世界6000店舗」という目標に挑む。


 外食産業を盛り上げる2人の創業者の「野望」と「原点」とは?/河原成美(力の源HD社長)×粟田貴也(トリドールHD社長)

海外の洗礼

粟田 いま握手をしてわかりました。河原社長は、“職人の手”ですね。大きくて分厚くて、まさに若い頃に相当やり込んでらっしゃった手ですよ。「一風堂」の看板と博多ラーメンを世界に広めてきた創業者ならではの、ごっつい手。握手した瞬間、ものすごい迫力を感じました。いつでも厨房に戻れるんじゃないですか。

河原 やれと言われればやりますよ(笑)。カウンター1枚あれば、大繁盛店を作る自信はあるんです。世界で多店舗を展開することに比べたら、1店舗を成功させることは難しいことではない。一風堂が海外に1号店を出して12年になりますが、世界で勝負するのはものすごく難しいね。

粟田 「丸亀製麺」も海外の洗礼を受けて大変でした。でも、その洗礼を受けたからこそ今があります。

河原 僕なんか、もう洗礼を受けっぱなし(笑)。これからもそうだろうね。

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粟田氏(左)と河原氏(右)

ハワイの店舗が売上世界一に

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河原 みんな「一風堂の河原」と言いますけど、私は元々ラーメン屋じゃなくて、「アフター・ザ・レイン」というバーからスタートしました。26歳の時です。5坪ほどの小さな店から始めて、それなりに長いことやっていました。今でも自分の商売の原点は飲み屋だと思っているし、最初の店に対する愛着はありますね。粟田さんも最初はうどんじゃなく、焼鳥屋からでしたね。

粟田 はい。カウンターのみ10席ほどの小さな店で15年ほどやっていました。よく「喋ってないで料理を作れ!」って叱られたものです。たくさんの常連さんに恵まれました。

河原 そういう経験は、僕らの稼業には財産だね。現場から上がってきた創業者の強味だよ。

粟田 いまも休日になるとよく台所に立ちます。

河原 トリドールの海外躍進には本当に驚かされます。2017年9月の時点で海外店舗は375だったのが、2年後の19年6月には594店舗。その原動力は何なんですか。

粟田 お恥ずかしい話、原動力なんてないんですよ。僕自身は、「いずれは店を大きくして、ちょっといい格好したい」という創業当時の気持ちからあまり変わってない。そもそも僕は海外展開すら考えていなかったんですから。たまたまハワイに行った時に、ちょうどいい空き物件を見つけたんです。その時にインスピレーションが湧いて、「ここに店を出してみよう」という気持ちになりました。それが国内外で一番売上のいい店舗になるなんて、思ってもみませんでしたよ。

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丸亀製麺ワイキキ店(ハワイ)オープン時の行列

河原 私もハワイの丸亀製麺に食べに行って驚きました。クヒオ通りは観光客も多くて、路面店ならではの良さがあったね。朝からいろんな国の人がわんさかやって来てうどんを食べている光景は壮観。ハワイの空気感の中で食べるうどんの、いい意味での猥雑で雑多な感じがたまらないし、カッコイイんだな。これはアジアでもウケるなと思った。

フロントランナーの一風堂

粟田 ハワイの成功に手応えを感じて、次の一手をどうしようかと世界を見渡した時、最初に海外進出で成功した「一風堂」の存在は大きかったんです。海外進出している日本の外食産業は皆、一風堂をベンチマークにしている。我々は、河原さんが作った道を、あとから追いかけて行けばよかったわけです。その点、先頭を歩いて道を作っていったご苦労は、僕などの想像の域を超えるものでしょう。

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丸亀製麺ワイキキ店の内観

河原 元々「50歳になったら海外進出」という気持ちはあったんです。42歳の時に上海に行って、日本で感じたことのない強烈なエネルギーを目の当たりにしたのがきっかけかな。1994年のことです。その時から本気で考え始めて、「2000年にニューヨーク進出」を目標にしました。同時多発テロの影響などがあって2008年に延びてしまったんだけどね。

粟田 海外1号店にニューヨークを選んだのは、どうしてですか。

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洒落た内観が話題に(一風堂NY1号店)

河原 パリという案もあったんだけど、博多ラーメンを世界に向けて発信していく拠点となると、やっぱりニューヨークかな、と。

粟田 いまニューヨークはラーメンブームですね。当時のラーメン店事情はどんな感じでしたか。

河原 一般的な日本のラーメン店はあったけれど、それは単にラーメンを作って出すだけの店で、ブームを創り出す訴求力はなかった。“仕掛け”の必要性を感じたね。斬新なデザインで、創造性があって、感度の高いニューヨーカーに、日本のラーメンは「食べなきゃいけないもの」と感じさせる空気を作りたかった。それが成功して、今の大ブームの火付け役になれたと思います。

粟田 ニューヨークの一風堂は革新的な店ですよね。日本人が行ったら間違いなく「ここがラーメン屋さんなの?」と驚く造りです。ウェイティングバーがあるラーメン屋さんなんて日本じゃ見たことがないし。

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河原 向こうの人たちは滞在時間が長いでしょう。ならば酒も飲んでもらおうと。バーがあれば見た目にもカッコイイし(笑)。食前酒を楽しみ、前菜が出て、それからメインのラーメン――そんな店は他になかったから。でも、僕がやらなければ誰かがやったと思うよ。

粟田 いえ、河原さんの仕掛けが成功したから我々も遅まきながら出ていくことができたんです。

河原 「遅まきながら」の割には大繁盛しとる(笑)。特に東南アジアでの勢いはすごい。

粟田 インドネシアでの成功は自信になりました。中国は店舗数が増えたわりに、思うように行きません。何だか中国で翻弄され続けているときに、インドネシアがうまく行った。これでどうにか軌道に乗せることができたような気がします。一進一退ですけどね。

河原 ロシアはどうなの。

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粟田 ロシアは散々でした。1号店は大成功したんです。ところが、それで立て続けに店を出したら大失敗。現在は現地社員に会社ごと譲渡しました。丸亀製麺の名前を残して今も続けてくれているので、感謝しています。1号店の成功はたまたまいい場所で、ビギナーズラックだったんですね。ベストを尽くしましたが、ダメでした。今見えている成功の下には、かなりの失敗があります。

河原 僕らも一緒ですよ。僕は「動物的なカン」で「ここは行けるな」と思う国や地域に行くけれども、一進一退。じつは丸亀製麺がロシアの1号店で成功したという話を聞いた時、「ウチも行こうか……」って考えた。実際に誘いの話も来ていた。でも、やっぱり手が出ない。私はこう見えて慎重、というより臆病だから(笑)。

粟田 創業者って、感覚的に動くところがありますよね。思いの部分が強いので、ことを成すときにどんな壁も飛び越えられるような感覚を持ってしまう。それで失敗することもあるけれど、うまく行くことも限りなく多い。あとは、ビジョンを描けるかどうかでしょうね。河原さんには、「こうすればヒットする」というビジョンが明確にある。

河原 粟田さんもあるでしょう。

粟田 僕の場合、予言が下りて来るんです(笑)。でもそれは、つねに頭の中にビジョンを描いているからだと思います。考えていない人に予言は来ないだろうと。

河原 いいね、その発言。俺が言ったことにしていい?(笑)

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