ノーベル平和賞・劉暁波の友人が書いた 実録小説『武漢ウイルスがやって来た』
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ノーベル平和賞・劉暁波の友人が書いた 実録小説『武漢ウイルスがやって来た』

今年8月、文藝春秋より実録小説『武漢ウイルスがやって来た』の邦訳が刊行される。本作品は、中国語版が台湾で出版され、大きな反響を呼び、日本語のほか、独語、英語でも翻訳が進められている。

世界的大流行の震源地となった武漢で、何が起きていたのか?——中国当局による隠蔽、監視、プロパガンダの「真実」に迫ろうとする本作は、形式は「小説」だが、書かれている内容はほぼ実際の出来事で、登場人物は、実在の人物、ないしはモデルが存在する。

著者は、国際的に著名な中国人作家である廖亦武(リャオ・イウ)氏。2010年ノーベル平和賞受賞者の劉暁波氏の友人でもある。2人の共通の友人である劉燕子氏が、本作品と著者の横顔を紹介する。/文・劉燕子(作家・現代中国文学者)

1 私にだって一つだけだが「唾」という「武器」がある

 私はマスクをむしり取り、唾を噴射する
 これこそ人民の唯一の武器だ
 ……
 ——我は武漢の病める者
   だが彼らは我を武漢ウイルスと呼ぶ
   我は我が祖国では逃亡者
   だが我が職業は医師——
 この墓碑銘(エピタフ)を、私は前もって書いていたのだ
 私は知っていたから
 この空前の感染流行(エピデミック)において
 ウソの帝国に殉葬させられる中国人は
 誰もが墓碑銘(エピタフ)など遺せないと
(劉燕子訳)

この詩句が、スキンヘッドの硬骨漢の絶望的な咆哮により、北京から7000キロ以上も離れたベルリンの静まりかえった夜空に響いた。

それは、昨年、台湾で出版された『武漢ウイルスがやって来た(仮)』(原題『当武漢病毒来臨』、福島香織訳で文藝春秋より8月刊予定)所収の叙事詩の一節である。作者は中国からドイツに亡命した作家の廖亦武(リャオ・イウ)だ。

『武漢ウイルスがやって来た(仮)』は、未だに実相が不確かな武漢における感染状況について、厳重な情報統制をかいくぐって知り得たことを活写した貴重な記録文学である。強権的に都市封鎖(ロックダウン)された人口1100万の武漢に奇跡的に潜入でき、決死の覚悟で実状を調べて発信し、さらにウイルス流出の謎を解き明かそうとしたが、治安当局に拘束される実在のキックリスが、同じく実在の市民記者の陳秋実や方斌とともに描かれている。

『文藝春秋』2020年5月号に掲載された「武漢・中国人女性医師の手記」の艾芬(アイ・フェン)、新型ウイルスの発生についていち早く警鐘を鳴らし、他の7名とともに地元公安当局から訓戒処分を受けた眼科医で、その後、自身も罹患し、肺炎で亡くなってしまった李文亮(リ・ウェンリャン)も登場する。艾芬は新型コロナウイルスの危険性を、当局の発表前に、いち早く認識して「警笛」を提供し、李文亮が「警笛を吹いた」のであった(李医師が、2019年12月30日、グループチャットで医療関係者と共有した画像は、そもそも艾芬医師が流したものだった)。

だが、武漢の実状を数々の動画で発信していた陳秋実と方斌は「失踪させられ」(中国語の造語で「被失踪」)、突然、跡形もなく蒸発してしまった。艾芬と李文亮は厳しく譴責され、口を封じられたが、2人はウイルス肺炎患者が出ているとSNSで医師グループに知らせただけで——それは医師として当然の情報共有だったが——、「デマを流した」という理由で処罰されたのだ。

歴史学者の艾丁(アイ・ディン、いくつかモデルが実在する創作人物)も登場し、ベルリン在住の亡命作家・荘子帰(チュアン・ズグィ、廖の作品にしばしば登場する彼自身)と連絡をとりつつコロナ禍の状況を発信する。彼はベルリンから武漢に帰ろうとするが、もはや入れず、湖南省の妻の実家に行くが、「在宅封鎖(家から出ることが厳禁)」を強いられる。それでも万難を排して湖南から湖北の武漢に向かうが、村々は分断され、各所に検問所が設置されている。感染防止に加えて治安維持も名目に自警団が組織され、「義和団」のように野蛮に振る舞う。その間に艾丁の父や妻も死去する。そして、やはり彼も当局に拘束され、「失踪させられる」。

このような「被失踪」は、コロナ禍に限らず、人権派弁護士や市民活動家など無数にあり、中国はまさに「失踪人民共和国」と称すべき国家となっている。そして、この章の結びでは日本映画「君よ 憤怒の河を渉れ」——中国でも公開され、人気を博する——で主役の高倉健の自殺を装った暗殺のシーンが引かれており、「被失踪」者の運命が暗喩されている。

本書には、「超限戦」という戦争の概念が登場する。これは、中国人民解放軍空軍少将で国防大学教授の喬良と空軍大佐の王湘穂が『超限戦』という共著(邦訳『超限戦——21世紀の「新しい戦争」』角川書店)で提唱したもので、「未来の戦争は主戦場がなく、無数の戦場がそれを超える」ようになり、「たとえばインテリジェンス、生物化学(バイオケミカル)、ハイテク、ニュース、文化、宣伝などなど、これらがすべて生死にかかわる」ような「新しい戦争」の形を示している。中国当局は、まさに新型コロナウイルスをめぐって、この「超限戦」を意識的に展開しているわけである。発表された「感染者数」や「死者数」は、いまだに疑念がもたれており、とくに武漢での感染拡大初期の状況については、先日派遣されたWHOの調査団も調査に必要なデータにアクセスできなかった。つまり、「当初、武漢で何が起きていたか」を隠蔽し、ひたすら「ウイルスは抑え込んだ」と宣伝すること自体が、すでにこうした「超限戦」の一部をなしているのだ。

これに対して、廖亦武は、結びの叙事詩で、身に寸鉄も帯びない庶民にとって、「唾」が唯一の「武器」だと詠う。コロナ禍、「被失踪」、「生物化学超限戦」に限らず、罪業と嘘と疑惑を次々に積み重ねる恥知らずな時代において、少しでも声を出せば弾圧され、怒りのマグマは鬱積するばかりの民衆にとって、口から発する「唾」は最後の手段なのである。これには民衆のリアルな無念が凝縮されている。

2 廖亦武と劉暁波

筆者が廖亦武と初めて出逢ったのは、2001年3月、北京の書店内の喫茶店を会場にした『中国低層訪談録』(日本語版は集広舎より)をめぐるシンポジウムにおいてであった。閉会後、彼は、新進気鋭の評論家・余傑(当時は北京大学院生、2012年に米国亡命)とともに、私の宿泊先にぶらりと来て、ざっくばらんに語りあい、洞簫(尺八に似た縦笛)を吹き、吼えるように詩を絶唱した。まさに「時に哀しく号泣し、時に狂おしく吼え、時に尻尾を巻いて沈思する」という「野良犬」的な姿(『この帝国は分裂せねばならぬ』)をかいま見せた。その時に贈られた著書には「相逢於乱世(乱世における巡り逢い)」と記されていた。

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