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芥川賞 受賞者インタビュー|古川真人「4度目の選考会、ロング缶5本飲んだ夜」

第162回芥川龍之介賞は、古川真人さんの『背高泡立草』に決まった。大学を中退し、新潮新人賞を受賞するまでの6年間は無職だったという古川さん。ひたすら寝転がっていたと回顧する。日々どのような気持ちで小説を書いているのか。そして受賞への想いを語った。

ちゃんとした予定は気が重い

――芥川賞受賞が発表された1月15日は、祝賀会を早めに切り上げられたそうですね。

古川 帝国ホテルで夜8時に記者会見が終わって、選考委員の先生方に挨拶に行ってシャンパンを飲み、それが終わったら近くのお店に移動してまた飲んで……。自分の意志を持たずに、ふらふらと人に連れられるがまま移動していたので、「ああ、やっと飲めるぞ」というより「ああ、また酒か」という感じでした(笑)。お酒は好きなんですけどね。

どちらかというとお酒よりも、たくさんの人に一気にお会いしたことで酔っちゃいました。10時を過ぎたくらいから何を言われても一切頭に入ってこないという状態になって、11時過ぎには帰りました。

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古川氏

――古川さんは2016年に初めて自身の作品が芥川賞の候補作に入り、今回が4度目の選考会でした。やっとの受賞なのに、あまり美味しく飲めなかった?

古川 そもそも発表日前夜にかなり飲んだので、当日は二日酔いだったんです。風呂からあがって「小説でも書こうかな。書かなきゃな」とは思いつつも、翌日のことを考えるとやっぱり気が散るものがあって。じゃあ寝ようと思って布団に入っても、不安で寝付けませんでした。何よりもまず、スーツを用意して所定の場所に時間通りに向かうという、ちゃんとした予定があるということが、出不精の人間には気が重かったんですね。

それで冷蔵庫を見たらちょっとビールが残っていたので、1本だけ飲んで寝ようかなと思っていたんですけど、飲んでいるうちに楽しくなってきてコンビニに買い足しに行き……結局、ロング缶を5本も飲んでしまいました(笑)。

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スーツが入らなかった

――ちなみに、何をよく飲まれるのですか?

古川 サッポロから出ている「ホワイトベルグ」をよく飲みます。質(たち)が悪いのは、家で1人で飲むのがどうも苦手で、誰かに電話してしまうんですよね。「何してる?」って。非常識な時間帯には、許容してくれそうな相手を選びますけど。

――記者会見はスーツにネクタイ姿でしたが、勤め人の経験がないため、「ネクタイを1人で結べなかった」とおっしゃっていました。あのスーツはご自身のもの?

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古川 2016年に「縫わんばならん」で新潮新人賞をいただいてデビューした時に、「もしかしたら、今後そういう場に出る機会があるかもしれない」と親戚のおじさんがいたく気にかけてくださいまして。そうして誂えてもらったスーツを、芥川賞の発表当日には毎回用意していました。それをいざ着ようとしたら、驚いたことにこれが入らなくなっていまして。足の大きさは変わらないので革靴はちゃんと履けたんですけど。仕方なく、スーツは兄のものを借りました。大きな病気をして激痩せしたら、着られるようになるんだろうと思います(笑)。

――会見では「僕はこれからどうなっちゃうんだろう」と困惑されている印象でしたが、1晩たって心境の変化はありましたか?

古川 芥川賞は、はなから自分には縁のないものだと思っていたので。中学の同級生などから来たお祝いメールにポツポツ返信していく中で、「ああ、俺、本当にとっちゃったんだ……」という実感は湧きましたが、まだ気持ちは追いついていません。なるようにしかならないのかな。

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――古川さんは福岡県福岡市で生まれ育ちました。子供の頃、本はよく読まれていましたか?

古川 活字をほとんど読まない子供でした。好きで読むとかはなく、星新一が実家の本棚にたまたまあったから読んでみる、くらいのレベルでしたね。中学生になって仲良くなった友達の1人に、小説が好きな子がいたんです。その子が本を勧めてくるというよりか、「読んだか?」と聞いてくるタイプで。中学生ってカフカとかカミュとか、そういう単語を言いたくなっちゃうんですよね。「お前、カフカの『変身』っていう小説知ってる? 虫になっちゃうんだよ。すごくねえ?」とか言われたりしました。知らないって答えると、「読んでないんだ、へぇ〜」みたいな。1度そう言われたことを、こちらが勝手に根に持っていたんです(笑)。じゃあ……とブックオフに出かけて最初に手にとったのが、三島由紀夫の『作家論』でした。

――そこからどのように興味を広げていったのですか?

古川 『作家論』の中で言及されている作家や作品自体に注目するよりも、それぞれの作家を自分の中で繋げていく作業が好きになりました。その際、文庫の巻末にある解説や年譜といったガイドを手掛かりにしていました。大正から昭和の作家まで、各作品がいつ頃発表されて、誰に批判されたり、影響を与えたりしたのか――そうやって読んでいった作家を挙げていくと、武田麟太郎、島木健作、内田百閒、牧野信一、上林暁、尾崎一雄、稲垣足穂、外村繁、室生犀星、堀辰雄、泉鏡花などです。

――現代の作品を読もうとは思わなかったんですか?

古川 現代の作家って、ガイドがないじゃないですか(笑)。昭和以前の作家のように系譜がまとめられていない。あとは単純に、値段の問題がありました。何篇も入った文学全集は、ブックオフで100円くらいで買える。最近の作家だと定価の単行本になってしまうので、なかなか手が届きませんでした。

――小説以外に熱中したものはありましたか?

古川 洋楽をよく聞いていました。1960年代後半のイギリスに登場したプログレッシブ・ロックというジャンルが好きで、さらにそのサブジャンルとなるクラウト・ロックやカンタベリー・ロックにも手を出しました。カンタベリー・ロックは、最初に1つあったバンドが、最終的にメンバーがばらばらになって10個くらいのバンドが乱立するんです。同じジャンルの中で合流したり解体したりを繰り返しているんですが、その流れを遡っていくのが好きでした。小説の楽しみ方と似ていたのかもしれません。

自分に現代文学は書けない

――高校時代に小説を書き始めたそうですね。自分でも文章を書いてみようと思ったきっかけは?

古川 いわゆる文芸部に入部したことが大きいです。アウトプットをしたい欲がずっとあったんだと思います。泉鏡花を読んでいて、「こういう日本語の使い方って、自分が実際に書いてみたら同じようになるんだろうか」と思ったりして。エレキギターを買ったら、コードは分からないなりに、とりあえず触らないともったいないじゃないですか。

初めて書いた小説は、武田麟太郎の影響を受けていました。それまで知っていた豪華絢爛な三島の世界に対し、武田の小説を読むと貧乏人しか出てこないし、話のオチが大体悲惨で、「こういう小説もあるんだ」と驚きました。「自分も似たような話を書けるんじゃないか」と思って書いたのが、夫が家で退屈して散歩をするだけの話でした(笑)。

――高校卒業後、國學院大學文学部に入学。サークルは「近代日本文学研究会」に所属されていました。作家になろうと決意されたのはこの頃でしょうか?

古川 ずっと書きたいという思いはあったんですけど。大学に入って初めて作家になるための新人賞があることを知ったりして、明確に意識するようになりました。さすがに山崎ナオコーラさん、川上弘美さんなどの新しい作家さんの名前を知るようになって、自分が今まで好んで読んでいたのはかなりオールドファッションなものだったということも分かりました。では自分にそのような現代文学が書けるかというと、自信はまったく湧いてこなかったです。

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受賞会見で直木賞の川越宗一さんと
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