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立花隆|二つの「空しさ」——『文藝春秋』での連載「日本再生」最終回

文・立花隆(評論家)

本稿は『文藝春秋』2019年5月号に掲載されたものです。立花さんは、長年にわたり『文藝春秋』の巻頭随筆で連載「日本再生」をお書きになってこられました。故人を偲び、連載の最終回を特別に掲載します。立花さんのご冥福を心からお祈りいたします。

長年にわたって続けてきた、この巻頭随筆を、今月号をもって終えることにした。

最終回、何について書くか迷ったが、二つの「空しさ」について書いておきたい。一つは、哲学の空しさについてであり、もう一つは、大英帝国の空しさについてである。

哲学概念の中で、私が今も文章を書く際に指針にしているものが「オッカムの剃刀」である。

オッカムの剃刀とは、中世最大の哲学者・論理学者といわれるウィリアム・オッカムが発見した思考上の大原則「不要で非合理的な概念はすべて剃刀で切り落としてしまえ」という不要概念切り捨て法のことだ。オッカムの剃刀でわからなければ、一九八六年の有名映画『薔薇の名前』(ウンベルト・エーコ原作、ジャン゠ジャック・アノー監督)の中でショーン・コネリーが演じた主人公の修道僧のモデルがウィリアム・オッカムその人だった。あの映画の中で、主人公が謎の殺人事件の真犯人発見にいたる推論過程(真犯人発見法)が不要概念切り捨て法そのものだった。

中世以後、すべての哲学的議論はオッカムの剃刀を通した上で整理された形でなされている。というと、こむずかしく聞こえるかもしれないが、実はオッカムの剃刀は、むずかしい哲学推論過程というよりすべての人が日常不断に用いる、ごく当り前の推論過程である。オッカム以後、西欧では政治でも経済でも、社会現象でも、くどい議論をする人はすべて敗けるようになり、スッキリした議論をする人が勝つようになった。

オッカムの剃刀は、私に哲学の面白さを教えてくれた概念の一つだが、それは同時にものを書くときの要諦ともなった。論理的にわかりやすくスッキリがそれだ。

私は大学で哲学に熱中し仏文科を卒業したときも卒論は哲学的内容だった。卒業後は哲学科に学士入学したが、哲学を本業にすることはなかった。そのきっかけは、現代西欧哲学の新潮流を作ったヴィトゲンシュタインを知ったことにある。

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