見出し画像

ネットフリックス独り勝ちの理由 西田宗千佳

“家族”というより“プロスポーツチーム”。/文・西田宗千佳(フリージャーナリスト)

ネットフリックスはテクノロジーの会社

アメリカ西海岸のサンフランシスコから車を南に走らせること1時間。山沿いにロスガトスという人口3万人の小さな街がある。

世界を牽引するハイテク企業がひしめくシリコンバレーのベッドタウンとして知られ、1年を通して穏やかな天気に恵まれる。緑に囲まれた高級住宅地が広がりとても静かで落ち着いた場所だ。そんな地に世界最大の映像配信会社は本社を構える。

Netflix(ネットフリックス)はインターネットを介して映像配信をおこなう会社だ。全世界の視聴者数は2.2億人、日本国内でも有料会員数は500万人以上。2020年の売上高は2兆5000億円を超える。世界各国に拠点を置き昨年は韓国発の『イカゲーム』が世界中で大ブームを巻き起こしたことは記憶に新しい。

日本市場に参入したのが2015年のこと。IT分野を中心に取材してきた私はその頃からネットフリックスを本格的に追いかけ、以来、アメリカ本社を5回訪ね同社幹部社員たちにインタビューを行ってきた。

本社のオフィスに行けば、ハリウッドの映画会社とは全く異なるタイプの会社であることに気づく。

まず、オフィスに入ると、入り口付近のショーケースの中に技術・工学エミー賞のトロフィーが飾られている。2014年にネット配信を世に広めた功績をたたえ表彰されたものだ。

社員は専用の机を持たず社内のどこで仕事をしても良い。役員クラスにも個室はない。ミーティングルーム、カフェテリア、外のベンチ……電源は至るところにあり、どこにいてもネットに接続できるように配線が張り巡らされている。

大きな自販機のようなボックスが各所にあり、中にはパソコン用のケーブルやバッテリー、ACアダプターなどの備品が陳列されている。値段のタグはついているものの、社員はタダで持ち出し可能だという。

「ネットフリックスは技術をひとつの柱とする会社」

グレッグ・ピーターズ最高執行責任者(COO)が私の取材にそう語ったことがある。

本社には約2000人のエンジニアと研究者が働くが(2018年時点)、これはアメリカのネットフリックスに勤める従業員の約半数にあたる。大前提として、ネットフリックスはテクノロジーの会社なのだ。

1_イカゲーム

全世界1億世帯以上が視聴した「イカゲーム」

世界同時配信を支える技術

技術的に1番優れている点は世界190カ国に同時配信できることだろう。

アメリカから日本に映像配信するためには、太平洋の海底ケーブルを使って映像通信する。もし、日本にいる500万人もの会員が同じ時間帯にインターネットで視聴するとなると、回線がパンクして映像が途切れたり、他の通信ができなくなってしまう。

そこで、ネットフリックスは、専用のサーバー、作品を蓄積し配信するためのデータセンターのようなものを、日本各地に設置している。アメリカからではなく、日本国内の近いところから映像を送れるようにしているのだ。

専用サーバーには、その地域でどのような作品が多く見られるかという統計分析に基づき、ニーズの高い作品を優先的に保存する。新作を一斉配信するときには、事前に、それもネットへのアクセスが減る深夜に少しずつ映像データを移しておく。そうやって、転送コストやネット回線の負担を減らす工夫が施されている。

映像圧縮の技術開発も進む。スマートフォンで映像を見るためには、データ容量を小さくする必要がある。同社は7年間で、5分の1の容量まで下げても標準画質の映像を見られるようにした。そこからさらに容量を下げてもハイビジョン映像を見られるまでに改良を重ねている。容量が下がっているのに高画質の映像を見られるという信じられないことをやってのけたのだ。

“NO RULES”経営

快適な映像体験はこうした最先端のテクノロジーが支えている。ネットフリックスが映像配信会社として特異なのは、自前で技術開発をしている点にある。AIを駆使したデータ解析で好みにあった作品を推薦する「レコメンド機能」も、同社独自の技術。テックカンパニーであるからこそ、世界最高峰のエンジニアが集まるシリコンバレーに本拠地を置き大量のエンジニアと研究者を雇用してきたのだ。

ネットフリックスの創業者で共同最高経営責任者(co‒CEO)のリード・ヘイスティングス氏は、『NO RULES 世界一「自由」な会社、NETFLIX』を上梓し、そこで語られたユニークな経営哲学が話題となった。

2020年10月、日本で「日経フォーラム 世界経営者会議」にリモート登壇し、経営をテーマに講演を行っている。そのタイミングで彼をインタビューしたが、その中で最も印象に残ったのは次の言葉だ。

「ネットフリックスは“家族”というよりも“プロスポーツチーム”」

一体、どういう意味か。発言を紐解いてみよう。

ネットフリックスの社員の給料はIT業界、映像業界のなかでもトップクラスと言われる。プロスポーツのトップチームにいるわけだから高い報酬は惜しまない。その代わり一流プレイヤーとしてパフォーマンスを十分に発揮できなければ、すぐにクビを切られることでも知られる。

同社の企業文化や社員の行動規範を定めた「ネットフリックス・カルチャー・デック」には、そうした雇用方針が赤裸々に書かれている。

〈Netflixでは、それぞれの社員が他社で受け取ることができるであろう最も高い報酬額を見積もり、その最大額を支払います〉

〈能力がいまひとつ振るわない社員に対して十分な退職金を提示し、ポストを空けることでさらなる優秀な社員の雇用に力を注げるようにしている〉

優れた人材を集めるために、ヘイスティングス氏が最も重視するのが自由な働き方の環境づくりだ。本のタイトルにある通り“NO RULES”(ノー・ルールズ)を徹底する。

決まった就業時間はなく休暇規定もない。これによって社員は自分の生活をコントロールしやすくなる。

出張旅費、経費も一定額までは事前に申請する必要はなく上司の承認を待たなくてよい。このため余計なフラストレーションをためることなく、次のアイディアを生み出すことに集中できる。

何か物を購入するときは、自己判断で購入し、領収書の写真を撮って経理担当者に送るだけだ。経理による監査はあるが、出張旅費と経費に関してあるガイドラインは〈ネットフリックスの利益を最優先に行動する〉という一文のみ。会社に利益をもたらすのであれば、ファーストクラスでの出張も高額な接待も認められる。

「ノー・ルールズ」の根底にあるのは、優秀な人材であれば、自由な選択肢を与えても会社の利益にそった責任ある行動をとってくれる、「自由と責任」の精神なのだ。

2_創業者

創業者のリード・ヘイスティングス氏

エラーはプロセスの一部

また、上司が部下の働き方を管理することもない。適切な人材がいれば、別に指揮命令系統は必要ないからだ。社員一人ひとりに自立した意思決定を促し、上司が部下に命令することを極力なくしている。

その裏返しで「指示待ち」は許されない。上司はその部署が十分に機能しているかを監督はするが、部下に指示をする役職ではない。「あなたがやりたいのなら、YOUやりなさいよ」なのだ。

プロスポーツチームというと、一つのミスも許されないのではないかと思ってしまうが、実はその反対である程度の失敗は許容される。

前出の取材で、ヘイスティングス氏はこうも述べている。

「安全性が第一であるという企業においては、(ノー・ルールズは)追求すべきではない。例えば、百万単位のワクチンを作るということであればすべてが完璧でなくてはならない。工場など安全第一の事業・業態では、イノベーションよりも精度のほうが優先されます。

一方、革新的なことをする場合には、さまざまなことが起きます。エラーもミスも起きます。それを許容した上で進むアプローチが重要です。イノベーションを高めようとしているとき、エラーはプロセスの正常な一部として受け入れられるべきものなのです」

プロ野球に置き換えてみると分かりやすい。選手はエラーや三振の数よりも、良いプレーをいくつしたかで評価されるもの。ネットフリックスも失敗は当然という価値観のもと社員たちがのびのびと働けるようにしている。ただし、トータルで会社に貢献できなければ、プロ野球選手と同じで契約終了となる。

個人に最大限の自由と裁量、そして十分な報酬を与え、チームへの最大限の貢献を求める。

こうしたカルチャーに合わないことを理由に、違う会社へと移る社員は一定数いる。また、求められる役割が終わった場合もクビを告げられ転職へと進む。同社の離職率は年8~10%で、これはシリコンバレーの他のIT企業とあまり変わらない水準だという。シリコンバレーでは転職は当たり前のことでマイナスなことではない。日本の終身雇用制とは大きく異なるのだ。

なぜ、技術を共有するのか?

日本では馴染みのない経営理念は他にもある。それは、情報を積極的に公開している点だ。

続きをみるには

残り 4,992字 / 1画像
noteで展開する「文藝春秋digital」は2023年5月末に終了します。同じ記事は、新サービス「文藝春秋 電子版」でお読みいただけます。新規登録なら「月あたり450円」から。詳しくはこちら→ https://bunshun.jp/bungeishunju

文藝春秋digital

¥900 / 月

月刊誌『文藝春秋』の特集記事を中心に配信。月額900円。(「文藝春秋digital」は2023年5月末に終了します。今後は、新規登録なら「…

「文藝春秋digital」は2023年5月末に終了しました。今後は「文藝春秋 電子版」https://bunshun.jp/bungeishunju をご利用ください