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日本型の閉鎖的組織は、深刻なレガシー問題/野口悠紀雄

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※本連載は第46回です。最初から読む方はこちら。

 現在の日本の組織の基本構造は、戦時経済への対応のために1940年頃に形成されたものです。終身雇用制や年功序列給与体系、企業別労働組合などがその特徴です。

 この時に形成された日本企業の基本的な形態は、戦後の日本にそのまま受け継がれました。それは、組織間の流動性が極端に少ない閉鎖的な組織です。

 日本型企業は高度成長期にはうまく機能し、大型コンピュータを用いるデジタル化で、日本を世界のトップに押し上げました。

 しかし、この仕組みは、1980年代頃から進展したITには対応できなかったのです。

戦時期に確立された日本型組織

 日本のレガシー問題は、日本型組織と密接に関連しています。

 これは、「1940年体制」の一環です。

 1940年体制とは、戦時経済への対応のために形成された日本特有の仕組みです。

 近代的な税制を確立し、金融の仕組みに統制を導入して経済全体の資源配分を間接的にコントロールしたのです。

 それと並んで、労働者を組織に定着させて生産性を上げるための仕組みがいくつも導入されました。

 戦前の日本では、製造業の比率が低く、製造業も繊維産業などの軽工業が中心でした。そして、技能労働者が会社を転々と移る傾向があり、それが生産性向上の障害になると考えられていました。

 ところが、戦時経済に対応するために重化学工業化が必要となり、そのためにいくつもの改革が行なわれました。

 とりわけ、生産性向上のため、労働者を一企業につなぎとめることが必要と考えられ、さまざまなインセンティブが導入されたのです。

 企業別労働組合の原型となるような仕組みは、この時に導入されたものです。また、終身雇用制や年功序列給与体系も導入されました。

高度成長期にはうまく機能した

 労働者が一つの組織に定着するとは、逆に言えば、組織間の流動性が少ないということです。

 この時に形成された日本企業の基本的な形態は、戦後の日本にそのまま受け継がれました。

 この仕組みは、高度経済成長期においては、うまく機能しました。なぜなら、その当時の経済状況を考えると、労働者が一つの企業に定着し、仕事を通じて技能を高めていくという方式が、生産性向上に寄与したからです。これは、製造業が中心的な産業である経済の特徴です。そして、「キャッチアップ型」の成長を実現している経済の特徴でもあります。

 こうして、高度成長期に、「会社第一主義」が形成されていったのです。

 1970~80年代には、日本型組織が、新しい技術の導入に対してポジティブな効果をもたらしたと考えられます。

 1970年代になって、情報化が行われるようになりました。この時代の仕組みはメインフレームコンピュータ(大型コンピュータ)を用いるものでした。これは、組織ごとに閉じた仕組みになっていたのです。

 「大型コンピュータを組織ごとに持つ」というのは、1940年体制の日本型組織とは相性の良いものでした。

 この当時の日本は、デジタル化において世界の最先端にありました。例えば、1970年代に完成された銀行のオンラインシステムは、世界の最先端を行く仕組みでした。

制度は崩壊したが、組織の閉鎖的構造は残った

 その後、「1940年体制」は制度としては崩壊しました。

 まず、1940年体制を必要とした経済的条件(資金割り当てによる高度成長)が消滅し、それを支えた制度(官僚制度、銀行制度)も、90年代を通じて崩壊しました。とくに大蔵省と日本長期信用銀行について、これが顕著です。

 しかし、1940年体制の主要な部分は、その後も生き続け、いまだに残っています。

 それは、企業間の流動性が限定的なことです。

 厚生労働省の「雇用動向調査」によれば、入職率(新たに就職した率)が高いのは20~29歳の階層です。そして、離職率が高いのは60歳以上です。途中年齢での入職率・離職率は、極めて低いのです。そして、この傾向に趨勢的な変化は見られません。

 つまり、「学校を卒業して就職し、退職までその企業にとどまる」という仕組みは、いまでも高度成長期と変わりなく続いているということです。

 従業員が労働市場に出されれば、ハローワークの世界になります。あとは、非正規労働の労働市場だけです。日本で労働市場といえるものは、新卒者を対象としたものしかないといっても過言ではありません。

 退職後の再就職も、市場を経由するとは限りません。大企業からの場合は、系列子会社への就職がかなり多いのです。

 日本では、いったん雇用した労働者を容易に解雇できません。そのため、中途採用者の雇用市場が発達せず、そのためさらに解雇が困難になります。

 とくに、高学歴者が組織間を動かないことが大きな問題です。なかでも、経営者の労働市場は、存在しないに等しい状態です。これがもたらす問題については、後述します。

 第2に、年功序列賃金体系も変わりません。高賃金者の賃金は年齢が上がるほど上がります。

IT化に対応できない1940年体制型組織

 問題は、1980年頃から、情報システムが、大型コンピュータからITに移行していったことです。

 IT(Information Technology:情報技術)とは、情報技術を一般的に指す概念ではなく、1980年代以降に支配的となった情報技術のことです。

 その中核は、PC(パソコン)とインターネットです。それまでのメインフレームと専用回線によって行なっていたことを、より小さなコンピュータとネットワークによって行なえるようになったのです。そして、90年代から、インターネットの活用が始まりました。

 大型コンピュータの場合には、組織を超えたデジタル情報の交換には、高価なデータ回線を使わなければならなかったため、それほど頻繁には行なわれませんでした。組織ごとに閉じた仕組みの中でのデータ処理が中心だったのです。

 しかし、ITでは、インターネットによって組織を超えたデータ交換が極めて容易に行えるようになりました。非常に低いコストで地球規模でのデータ交換が可能になったのです。組織の枠を超えた情報のやりとりが重要な意味を持つようになりました。

 このような大きな技術革新が、経済活動を大きく変え、1990年代以降の世界を一変させました。

 ITがもたらす巨大な変化は、産業革命のそれに匹敵します。産業革命のときと同じような変化が、情報処理に関して生じたのです(そして、現在も進行中です)。

 したがって、この変化を「IT革命」と呼ぶのは、まったく適切なことです。

 ところが、上で見たように、日本の組織は閉鎖的な仕組みであるために、これにうまく対応することができなかったのです。

 いま日本が直面しているのは、デジタル化の遅れであると言われます。

 DX(デジタル・トランスフォーメーション)という言葉がよく使われますが、それは、「アナログを脱してデジタル処理を行う、それによってビジネスの形態を変えていく」という意味で用いられています。

 しかし、これまで述べたことから明らかなように、デジタル化自体は、すでに1970年代から行われていたことです。

 問題は、デジタル化の中身が、中央集権的なものから分散的でオープンな仕組みに転換したこと、そして、その変化に日本が対応できていないことなのです。

 そして、その根底に、これまで述べてきた日本型組織の問題が横たわっています。

 新しい情報通信技術が、日本の経済社会構造、とくに大組織のそれと不適合なのです。

 こう考えると、「レガシー問題」は、大型コンピュータだけではないことが分かります。

 日本型組織が、深刻なレガシー問題なのです。これは、きわめて根が深い問題です。

(連載第46回)
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■野口悠紀雄(のぐち・ゆきお)
1940年、東京に生まれる。 1963年、東京大学工学部卒業。 1964年、大蔵省入省。 1972年、エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。 一橋大学教授、東京大学教授(先端経済工学研究センター長)、 スタンフォード大学客員教授などを経て、 2005年4月より早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授。 2011年4月より 早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問。一橋大学名誉教授。2017年9月より早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問。著書多数。


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