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【世田谷一家殺害事件】真相を覆い隠していた“闇”|伝説の刑事「マル秘事件簿」【最終回】

 警視庁捜査一課のエースとして、様々な重大事件を解決に導き、数々の警視総監賞を受賞した“伝説の刑事”と呼ばれる男がいる。
 大峯泰廣、72歳――。
 容疑者を自白に導く取り調べ術に長けた大峯は、数々の事件で特異な犯罪者たちと対峙してきた。「ロス事件(三浦和義事件)」「トリカブト保険金殺人事件」「宮崎勤事件」「地下鉄サリン事件」……。
 老境に入りつつある伝説の刑事は今、自らが対峙した数々の事件、そして犯人たちに思いを馳せている。そして、これまで語ってこなかった事件の記憶をゆっくりと語り始めた。/構成・赤石晋一郎(ジャーナリスト)

【4人を殺め、白昼の公園に姿を消した】

2000年12月30日。その日、東京の夜空は黒い雲に覆われていた。

23時をまわったころ世田谷区にある祖師谷公園に、ある不審な男の姿があった。グレーのバケット帽子(クラッシャーハット)に黒のジャンパー、黒手袋にダークトーンのマフラーを巻き、足元には韓国製スニーカー・スラセンジャーを履いていた犯人は、公園横に建つ瀟洒な一軒家に視線を向けていた。

視線の先には会社員・宮澤みきおさん宅があった。一家4人が在宅中であることは暖かな窓明かりから伺えた。犯人は中二階の浴室の小窓が少し開いていたことを見て、犯行を決意する。

小窓に頭から入り込んだ犯人は、浴室内に侵入する。中二階の廊下の先には子供部屋があり、わずかに扉が開いていた。犯人は音を立てずに扉をあけると、2段ベッドの下で寝ていた礼くん(当時・6歳)を見下ろした。犯人は両手で礼くんの首を絞め、一気に力を込めた。礼くんは足をバタつかせて抵抗したものの、やがて静かになった。

犯人は礼くんを殺めると、中二階から2階に上がる。台所を通り抜けると、居間に入った。帽子と手袋を脱ぎ、ダイニングテーブル上に置く。ジャンパーを脱ぎ、マフラーと共に椅子の背もたれにかけた。更なる殺人を行うためには身軽のほうがいい。犯行の為の身支度を整えると、犯人はヒップバックから柳葉包丁を取り出した。刃渡り21センチの柳葉包丁は、『関孫六 銀寿』という商品名で、福井県の業者により製造され、関東一円でも広く販売されていたものだった。ヒップバックからはフランス・ギラロッシュ製香水『ドラッカーノワール』の香りがほのかに漂っていた。

犯人が素手で持つ柳刃包丁の柄には特殊な形で黒い布が巻かれていた。男は静かに1階に降りると、気配を感じたみきおさん(当時・44歳)と階段下で鉢合わせになった。犯人は躊躇うことなく柳葉包丁を振りかざし、顔面を切りつけた。みきおさんは声にならない声を発し、顔を腕でガードしながら必死に防御した。慌てて階段を上り逃げようとするみきおさんを下から追いかけた犯人は、後ろから大腿部に柳葉包丁を突き立てた。動脈を切り裂いた傷口から大量の血が溢れ出る。みきおさんは意識を失い階段を転げ落ちた。顔を腕覆い、膝を折ったままの姿勢でみきおさんは息絶えた。みきおさんの頭部には、柳葉包丁の折れた数ミリの刃が刺さったままだった。

中二階の部屋には妻の泰子さん(当時・41歳)が、にいなちゃん(当時・8歳)を寝かしつけようと一緒に布団に入っていた。周囲の異変には気が付いていない。犯人は静かに寝室に侵入すると、2人の顔面に向かって柳葉包丁を振り下ろした。

目を覚ました泰子さんは必死に抵抗する。揉み合っているうちに犯人も手に深い刃傷を負う。

慌てた犯人は、刃が欠け切れ味を失った柳葉包丁で殺害することを諦める。台所へと走ると柳葉包丁と黒い布を流し台に置き、凶器となるものの物色を始める。そして流し台の下に収納されていた洋包丁を見つける。

血まみれの泰子さんは止血のために身を布団でくるみ、になちゃんを抱きかかえながら部屋を出た。一刻も早く逃げようと転げ落ちるように梯子階段を下りたところで、犯人と再び出くわしてしまう。犯人は洋包丁を何回も親子に突き立てる。泰子さんは娘を抱えた姿で絶命する。になちゃんは身を丸めて正座するような恰好で息絶えた。壁には血痕が飛び散り、血だまりが出来ていたーー。

犯人は手の傷の手当をすると、冷蔵庫を物色する。アイスクリームを取り出し、カップを握りつぶすようにして食べた。2つめのアイスクリームを取り出すと、食べながら室内の物色を始める。収納棚、引出しを空け続け、食べ終えたアイスクリームのカップは床に投げ捨てた。

3つ目のアイスクリームを取り出すと、パソコンの操作を始めた。

再び物色を始めると運転免許証やパスポート、カード類を集め居間の床上に並べた。暗証番号を割り出そうと試みたと思われるが、結局、カード類は放置したままとなった。物色し不要と見なされた書類などは、中二階の浴槽に投げ込まれていた。デスク内の文房具なども同様に浴槽に投げ込まれた。

犯人は4つめのアイスクリームに手をつけ、食べ終わるとまたカップを放り捨てた。その手は切り傷で血が滲んでおり、ナプキンを使って止血していた。血のついたナプキンは1階の机の上に放置されていた。

犯人は殺害と物色で相当疲労したのだろう。2階の居間に戻ると、クッションを枕にして寝ころんだ。血の付いたトレーナーは脱ぎ棄てられ、ヒップバックも放置されたままだった。犯人は箪笥で見つけたみきおさんのTシャツに着替えていた。

朝10時半ごろ、けたたましく電話が鳴る。隣に住む泰子さんの母親がかけた電話だった。応答がないので、母親は家を出てみきおさん宅の玄関をノックする。

驚いた犯人は、中二階の浴室に向かう。再び浴室の小窓をくぐり抜けると、地面に飛び降りた。そして公園を徒歩で後にすると、白昼の街中にその姿を消したーー。(捜査資料等から推察した犯行状況の再現)

【新設ポストの未解決担当理事官に任命】

2001年の新年は凄惨な殺人事件の報道で幕を開けた。

〈31日午前10時55分ごろ、東京都世田谷区上祖師谷3丁目、会社員宮澤みきおさん(44)宅で、一家4人が血を流して倒れているのを、隣に住む宮澤さんの妻の母親(71)が見つけた。宮澤さんが1階で首などを刺されて死んでおり、2階では妻泰子さん(41)、長女の区立千歳小学校2年にいなちゃん(8つ)、長男で区立保育園児の礼君(6つ)の3人が死んでいた。室内を物色した跡があり、警視庁捜査一課は強盗殺人事件とみて成城署に捜査本部を設置した。

調べでは、泰子さんの母が電話をかけたところ、応答がないため、合いかぎを使って宮澤さん宅に入った。宮澤さんは1階の階段の下で首や腕など数カ所を刺され、うつぶせで倒れていた。階段に血痕が続いており、上から転げ落ちたとみられる。泰子さんとにいなちゃんは2階の階段近くで首や顔など数カ所を刺されて並んで倒れ、床に大量の血が広がっていた。さらに2階の子供部屋で、礼君がベッドの上で首を絞められて死んでいた。(中略)

2階の台所に血のついた2本の包丁があり、これが凶器とみられる。2階の居間や子供部屋などのたんすの引き出しが開けられ、書類などが散乱していた。

30日午後6時ごろ、母が内線電話で泰子さんと話をした。検視結果などから、捜査本部は一家の死亡推定時刻を30日午後6時から31日未明とみている〉(2001年1月1日付 朝日新聞)

世間を震撼させた世田谷一家殺人事件。多くの遺留品を残した犯人の検挙は早いものと思われていたが、警視庁の捜査は遅々として進まなかった。

事件から5年後の2006年2月、大峯は警視庁捜査一課に呼ばれた。

「大峯には未解決担当理事官として働いてもらう。重要事件、全てを担当してくれ」

大峯はこう久保正行・捜査一課長から指示を受けた。未解決担当理事官は奥村万寿雄警視総監(当時)によって設置、任命された新しいポジションだった。その辞令を受けたのだ。

警視庁が重要視していた未解決事件とはスーパーナンペイ事件、世田谷一家殺人事件、東村山警察官強盗殺人事件、柴又上智大生殺人事件などである。その中でも世田谷一家殺人事件は特に世間の注目度が高く、歴代警視総監が何度も解決への強い決意を表明していた最重要事件だった。

理事官職とは本来は捜査一課長に次ぐナンバー2のポジションで、発生事件の捜査を指揮する立場にある。しかし大峯が拝命を受けた未解決担当理事官は、発生事件は担当しない。未解決事件のみを専門に捜査指揮する、“コールドケース”捜査官という新しいポジションだった。

未解決事件の捜査本部には管理官や係長以下の係員が専任捜査員としている。大峯は彼らを掌握し、新しい事件解決法を見つけ出し指揮監督するという役だった。

この未解決事件担当理事官職という新しいポジションは、現在まで引き継がれる専門職となっている。初代の未解決事件担当理事官として任命を受けたのが大峯だった。

今日は世田谷に行き、明日はスーパーナンペイ事件の捜査本部がある八王子に行くなど、大峯は4つの未解決事件現場を転々とする日々を送ることになった。

【真相を覆い隠していた“闇”の存在】

着任してから半年ほど経過したとき、大峯は4つの事件を平行に捜査するのではなく世田谷一家殺人事件に注力しようと方針を変えた。

警視庁の威信がかかっている重要事件であるのもそうだが、現場には指紋や多数の遺留品が残されていることから、それらを精査、再検証すれば新しい解決策を見つけることが出来るはずだと考えたのだ。

まず警視総監決済を受けて、捜査員を約30人体制だったのを、期間限定ではあるが150名体制にまで拡充してもらった。各警察署から1~2名、大峯が目星をつけていた優秀な人間を特命捜査員として派遣してもらったのだ。とにかく、捜査でやれることは全部やろうと大峯は動いた。

世田谷一家殺人事件で、捜査の死角となってしまったのがあまりに多い遺留品、指紋、犯人の血液などの存在だった。大峯はここから世田谷一家殺人事件についてあるポイントに着目する。

「伝説の刑事」の最後の事件となった世田谷一家殺人事件。はたして未解決事件に隠された新事実とは、そして真相を覆い隠していた“闇”とは何だったのだろうかーー。

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この続きは12月19日放映の『未解決事件SP 世田谷一家殺人事件 20年目のスクープ ~3つの影を持つ男~』(フジテレビ 15時35分~17時30分 関東ローカル)をご覧ください。番組では大峯氏による犯人像分析、そして驚愕の新事実に迫ります。

また、来春には当連載をまとめた書籍『伝説の刑事 マル秘事件簿(仮題)』(文藝春秋)が発売される予定です。ロス疑惑から宮崎勤事件やオウム真理教事件、そして世田谷一家殺人事件の裏側までーー。数々の大事件の真相ついて、大幅加筆を加えて迫った一冊となっております。ご期待ください。

当連載は今回で最終回となります。ご愛読ありがとうございました。

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