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【相模原45人殺傷】植松聖の「優生思想」を生んだもの

なぜ彼は障害者を全否定するのか。/文・渡辺一史(ノンフィクションライター)

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事件の1年ほど前から急速に植松は、「世界を裏側から牛耳っているのは、イルミナティという秘密結社の存在である」という、いわば“陰謀論”に感化されていった
▶︎植松が、「障害者なんて、いらなくね?」と口に出していうようになったのは、2015年6月頃。ドナルド・トランプ氏が大統領選に出馬表明した時期と一致する
▶︎「植松は職場で冷遇され、居場所を失っていたのではないか。そして彼の怒りの矛先は、職員ではなく、より立場の弱い利用者さんに向かっていったのではないか」

「心失者」という造語

「私は、どんな判決でも控訴いたしません!」

植松聖(31)は、横浜地裁の最終意見陳述でそう宣言した通り、昨年3月30日、弁護側の控訴を自ら取り下げ、確定死刑囚となった。

私が、植松と最後に横浜拘置支所で面会したのは、その1週間後の4月6日のことだった。月刊『創』の篠田博之編集長も一緒だった。

篠田さんは、数々の死刑囚や受刑者らと交流し、その実像を発信し続けている人だ。植松とも、最初に彼の接見禁止が解かれた2017年以降、数十回もの面会を重ねる。

私は篠田さんとともに、植松が少しでも控訴の取り下げを先延ばしするよう説得を続けてきた。死刑が確定すると、刑場のある東京拘置所へと移送され、それ以降は外部の人との面会や手紙をやりとりする自由も制限されるからだ。植松と社会との接点がほぼ失われることになる。

「控訴審が始まる直前に取り下げても、キミが嘘をついたことにはならないんだから。急ぐ必要はないよ」

そういって篠田さんが何度も提案したのだが、「ダラダラしてても、かっこ悪いし、潔くないんで」。

結局、植松を翻意させることはできなかった。植松は判決に納得したのでも、ましてや被害者への思いから控訴を取り下げたのでもない。

「二審三審とだらだら裁判を続けるのは、かっこ悪いから」

彼特有の“かっこいい・かっこ悪い”という価値基準で判断したにすぎない。被害者家族が口にした「自分が犯した罪としっかり向き合ってほしい」という言葉に対しても、

「自分こそ、『心失者』は社会に必要ないという事実と向き合うべきだ」と悪びれない口調でいった。

植松は、2016年7月26日、相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で、入所者19人を殺害、26人に重軽傷を負わせた。

衝撃的だったのは、彼がその施設に3年以上勤務した元職員だったこと。そして何より「意思疎通のとれない障害者」を、「心失者」という造語で呼び、「心失者は社会に不要な存在であり、不幸をばらまく元である」などと主張し続けたことだ。

しかし、裁判では、そう主張する植松こそが、「不幸をばらまき、社会に不要な存在である」と宣告されたに等しい状況となった。彼が今後、その現実とどう向き合っていくのか、それを見続けることは、社会にとっても大きな意味があるはずだ。

「こうしてみなさんと会えなくなるのは、さみしいし、かなしいです」

植松が神妙な顔つきでいう。

「この3年間、いろんな人と面会したことは、植松さんにとってどんな体験でしたか?」

私が聞くと植松は、「すさまじい価値。お金では買えない価値でした」。

名残惜しそうな口ぶりでいった。

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津久井やまゆり園

珍妙な世界観

しかし一方で、その頃の植松がしきりに口にしていたことがある。

「自分は、死刑では死ぬ気がしない。死刑になる前に、日本が崩壊するからです」という。

植松によると1年ほど前、拘置所の壁がバラバラと崩れ去る光景が脳裏に浮かび、それはまさに「イルミナティカード」に描かれていた予言の通りだと直感したのだという。

「6月6日か7日に、首都直下型地震で首都圏が潰滅します。だから、青森より北か、山梨より西に避難してください」——そういって真顔で私たちに忠告するのだった。

植松のこうした妄想とも幻覚ともつかない言動は、別にそのとき始まったものではない。事件の1年ほど前から急速に彼は、「世界を裏側から牛耳っているのは、イルミナティという秘密結社の存在である」という、いわば“陰謀論”に感化されていった。最初はテレビのバラエティ番組でその存在を知り、その後ネット検索でさまざまな情報に触れるうちにのめり込んでいったのである。

裁判の被告人質問のさいにも、彼はイルミナティについての自説をとうとうと語り、「横浜には原爆が落ちると描かれています」といった。

弁護人が、「それもイルミナティカードに描かれているんですか」。

そう尋ねると、「いえ、それは『闇金ウシジマくん』というマンガに描かれています」と答えた。

そんな珍問答が延々と繰り広げられる光景に、傍聴人も「気は確かか」と首をひねったものだった。

私たちが面会に訪れた昨年4月といえば、新型コロナウィルスの感染拡大により、最初の緊急事態宣言が発令される直前だったが、植松によると、その背後にもイルミナティの存在があり、「裁判長もすべてイルミナティですからね」という。

「じゃあ、死刑判決もイルミナティの意図ということですか?」

「うーん、それは、まだはっきりしたことはいえない」――彼なりの自我防衛的な心理機制なのだろうが、死刑判決をまったく別のコードで読み取っているところがあった。

植松が、東京拘置所に移送されたのは、その翌4月7日のことである。以降、植松は社会との接点を失い、ただ死刑執行を待つ身となった。

20200112植松聖

普通にいいやつ

私は、植松とトータルで17回の面会を重ねてきたことになる。

彼と面と向かって話をする限りにおいて、病的な印象はまったく感じないのだが、彼の荒唐無稽な世界観には、正気と狂気がモザイクのように入り混じった印象を受ける。

私は、2003年に『こんな夜更けにバナナかよ』という本を書いて以来、障害や福祉を20年近く取材してきた。また、自ら介護を経験することで、本当にたくさんのことを学んできた。かたや植松は、同じ障害者の支援に関わりながら、なぜ彼らを全否定する考え方に至ってしまったのか。それを直接、彼と会うことで確かめたいと思ったのだ。

植松が、事件を起こす1年ほど前から、それまでとは異なる人格に変貌してしまったというのは、私が取材した彼の友人たちに共通する証言である。また、裁判でも弁護側の重要な論点の一つとなった。

しかし、裁判においては、植松の「刑事責任能力」のみに争点が絞られ、彼の人間性を広く深く掘り下げようという視点に欠けていた。

植松は、非常に多様な側面をもった人物である。友人関係はきわめて豊かで、女性関係にも不自由はなく、中学時代に2人、高校時代にも2人の交際相手がいた。また、大学は帝京大学文学部に進学し、卒業時に小学校の教員免許を取得している。

大学ではサークルの輪の中心にいるような、いわゆる“リア充(生活が充実した人)”と呼ばれるタイプの学生だった。例えば、2008年に起きた「秋葉原通り魔殺人事件」に代表されるように、犯人がまともな人間関係や職業に恵まれず、ある意味、社会に復讐するかのように起こした無差別殺傷事件とは、まったく質の異なる事件ということだ。

ところで、植松には、幼稚園時代から同じ地元(相模原市緑区)で育ち、犯行直前まで頻繁に遊んでいたという幼なじみが2人いる。ここではX氏とY氏と呼ぶが、互いの両親についてもよく知る間柄だ。

植松は、父親が小学校教師、母親は漫画家という家庭に生まれた一人っ子だが、その家族関係についてX氏は、「普通に仲良かったですよ。そこは自信満々にいえるけど」。

一方、Y氏によると、「さと君(植松)は、僕んちに泊まりに来たときとか、人んちの冷蔵庫を勝手に開けますからね(笑)。そういうのを見て、小っちゃいなりに、あ、自己中っていうか、親から甘やかされて育ったのかなとは思ってましたね」。

小中高と進むにつれ、3人とも地元の不良仲間の一員となり、やがてバイクや車に夢中になる。そして、高校3年のとき、八王子市との境にある大垂水峠の走り屋襲撃事件を起こし、仲間のほとんどは少年院で半年間を過ごすことになった。

一方、植松はタバコや飲酒、万引きくらいまではしたが、そこから先には興味がなく、襲撃事件には加わっていない。「みんなが『これ』っていっても、俺はいいや、みたいな。良くも悪くもマイペース。『自分は自分』って感覚でしたね」とX氏。

「植松は、不良グループの下っ端だった、という記事が報じられたことがあるんだけど、どうでした?」

私が尋ねると、X氏もY氏も、

「俺たち、上とか下とかないすよ」

「さと君は普通にいいやつ。一番最初に友だちができるっていえば、さと君だったよね」という。

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