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エリザベスの艦隊が、スペイン無敵艦隊を破る/野口悠紀雄

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※本連載は第30回です。最初から読む方はこちら。

 スペインのフェリペ国王は、イングランド征服のため、無敵艦隊を差し向けます。しかし、無残な敗北を喫し、スペインの没落が始まりました。

  スペインは膨大な富を手にしながら、それを経済発展に用いることをしなかったのです。

 一方、イングランドのエリザベス女王は、賢明に国を導きました。

◆フェリペのイングランド経営計画

 スペイン国王フェリペ2世は、イングランドに神の鉄槌を下すべく、準備を始めます。

 彼の「イングランド経営計画」は、つぎのようなものでした。

 3万人の軍勢と130隻の艦船からなる艦隊が、イギリス海峡を抜ける。フランドルには、フェリペの摂政パルマ公とその1万6000人の精鋭部隊が駐留しているので、彼らを乗艦させる。これによって、史上空前の大軍勢が形成される。

 そして、エセックスの海岸に上陸し、ロンドンに進軍する。

 イングランドの陸軍は、軍と呼べるような代物ですらないだろう。しかも、イングランドにはカソリック教徒も多数いるので、彼らは、プロテスタントの女王を見捨ててスペイン軍に合流するだろう。

 フェリペは、勝利に絶対的な自信を持っていました。

◆経済的に疲弊していたイングランド

 フェリペがそう考えたのも無理はありません。

 イングランドはヨーロッパの北にある弱小国で、産業と言えば羊毛生産くらいのもの。

 しかも、ヘンリー8世( 1491年 - 1547年)治世下の財政は、ほぼ破綻状態でした。父王から相続した豊かな富は、宮廷での奢侈と豪奢な建築に費やされたのです。

 その上、フランスやスコットランドと戦争をしていたので、ヘンリー8世は、戦費調達のために貨幣改鋳を行ないました。貨幣の品質を落とすことによって発行する通貨の量を増やし、不足する財源に充てる政策です。

 1526年に行なった改鋳で銀貨の純度を2分の1にし、1544年から1546年にかけての改鋳でさらに3分の1に引き下げました。これは、大悪鋳(The Great Debasement )と呼ばれた政策です。「ヘンリー8世は、造幣局を能力の限界まで稼働させた」と言われました。

 経済は打撃を受け、激しいインフレーションが起きました。これが多くの困窮者を生み、農民一揆も頻発しました。

 ヘンリー8世の死後、国家は重い負債を抱えることになったのです。エリザベスが引き継いだのは、破綻寸前の国家でした。

◆悲壮なティルベリー演説

 1588年、130隻の艦船から成る史上最強の艦隊アルマダ・インヴィンシブル(無敵艦隊)が、イングランド征服のため、リスボンを出港しました。

 スペイン艦隊が壮大な姿を沖に現したとき、イングランドの人々は、「これまで公海上で見た艦隊で最大のもの」と驚嘆しました。

 フェリペは、イングランド艦隊を小規模なものと予測していたので、イギリス海峡を我が物顔に押し通れると思っていました。

 これから起こることは、誰の目にも明らかであるように思われました。無敵艦隊は、英仏海峡を通過したあと、テームズ川を遡ってロンドンを占領するでしょう。

 エリザベスは、スペイン軍の捕虜となり、スペインに連れて行かれて異端審問を受け、有罪となって火あぶりになるでしょう。

 エリザベス自身も、そう覚悟していたに違いありません。

 彼女は、鎧に身を固め、白馬に乗って、エセックスの戦場に赴きます。そして、ティルベリーで、全軍に向かって演説を行ない、将兵を激励しました。

 My loving peple ! (我が愛する民よ!)という呼びかけで始まるこの悲壮な演説は、後に「ティルベリーの演説」と呼ばれることになります。

 「貴方たちの中で生き、そして死ぬために、戦いの熱気の真っ只中に私は来た。……たとえ塵になろうとも、我が神、我が王国、我が民、我が名誉、そして我が血のために!」

 あまりに素晴らしい演説なので、後世の創作や脚色があると考える人がいるかもしれません。しかし、現場に居合わせた士官のメモが残っているので、これは間違いなく、彼女が最前線で発した言葉です。

◆無敵艦隊の屈辱的敗北

 ところで、フェリペが期待していたパルマ公からの返事は、なかなかスペイン軍に届きませんでした。そこで、スペイン艦隊はフランスのカレー沖で停泊せざるをえなくなりました。

 ここは水深が十分ないので、沖に錨を下ろさなければなりません。

 スペイン艦隊が攻撃に対して弱い態勢となったのを観て取ったイングランド軍は、このチャンスにとばかり、可燃物を満載して火を放った船を大量に送り込んだのです。

 スペイン艦隊に大火災が起こり、阿鼻叫喚の大混乱に陥りました。

 一夜あけて、誰もがイングランドの大戦果に驚きました。すでに勝敗は決していたのです。

 その後もいくつかの戦闘がありましたが、スペイン艦隊は、北の外洋に向けて逃走するしかすべがありませんでした。

 そして、できるだけ多くの船と人員を救おうと、遠回りをしてスコットランドとアイルランドの北を回り、スペインに帰還しようとしました。

 食料と飲料水の不足、悪天候、そして風邪と赤痢に苦しみながら、9月13日にようやくスペイン北部のサンタンデルにたどり着いた時には、出発時に130隻だった艦船は63隻に減り、3万人いた軍隊は1万人になっていました。

 この屈辱的な大敗北は、スペイン衰退の始まりとなったのです。

 一方、イングランドでは、ロンドンに戻ったエリザベスに市民が群がり、「陛下に神のご加護を」と歓喜の声を上げました。

 エリザベスは、神に感謝を捧げるため、賞牌を作り、つぎのように刻ませました。

「神、風を与え賜いて、彼ら四散せり」(”Thou didst blow with Thy winds and They were scattered")。

◆スペインはなぜ負けたのか?

 スペインは、地球上に太陽の沈まぬ大帝国を建設し、しかも、南米ポトシに大銀山を発見して、無尽蔵の富を手にすることができました。

 それにもかかわらず、弱小国イングランドに敗れてしまったのです。

 なぜこんなことが起きたのでしょうか?

 それは、スペインが、経済成長を実現するメカニズムを作り出さなかったからです。

 確かに、ポトシで得られる銀を使えば、何でも購入することができます。

 しかし、フェリペはそれを何に使ったかと言えば、マドリッド郊外に離宮エル・エスコリアルを作ったり、軍備を拡張することにしか使いませんでした。宮殿も軍も、それだけでは、国の生産力に寄与することはありません。

 国はどうすれば豊かになるかというメカニズムを、フェリペはまったく理解していなかったのです。ポトシの銀を使ってスペインに新しい産業を作ることができたならば、スペインの運命は、そして世界史は、まったく異なるものになっていたでしょう。

◆現代的指導者エリザベス

 一方、エリザベスは、周囲に有能な人物を集めて国家を経営しました。

 40年間にわたってエリザベスを補佐したウィリアム・セシル (バーリー男爵)。スパイと秘密警察活動で凄腕を発揮したフランシス・ウォルシンガム。そして、そしてアルマダ海戦においてイングランド海軍を指揮したドレイクなど。彼らは貴族の出身ではなく、有能さによって頭角を現した人物です。

 ところで、セシルのように有能な側近がいるなら、財政はまかせきりにするのが普通でしょう。しかし、エリザベスは自ら細かく管理しました。そして、実に節約家、というか、ケチでした。

 クリストファー・ ヒバート 『女王エリザベス』( 原書房、1998年)によると、無敵艦隊との対決の準備が必要な時にさえ、海軍支出を渋りました。

 戦いが終わったあとには、(当たり前のことなのに)膨大な支出にショックを受け、財布の紐をさらに引き締めました。

 アルマダを撃破したにもかかわらず、完全に満足したわけではありませんでした。なぜなら、身代金を要求できる捕虜や捕獲品がなかったからです。

 エリザベスは、アルマダ海戦の後、なぜスペインに進軍し、これを撃滅しようとしなかったのでしょうか?

 ストレイチーは、『エリザベスとエセックス』 (中公文庫、1999年)で、「戦争を好まなかったからだ」と答えています。ただし、彼女が戦争を嫌ったのは、平和主義者だったからではありません。単純に、戦争が採算にあわないと考えたからです。

 そして、こうした現実主義こそが、軍部の膨張を抑えたのです。

 シュテファイン・ツバイクは、『メリー・スチュアート』(みすず書房 、 1998年)の中で、エリザベスは、「独裁制から立憲制へと進んでゆく時代の動向を理解していた」と言っています。

 この評価はまったく正しいと思います。ただ、ツバイクがいうようにスコットランド女王メアリーとの比較においてよりは、スペイン王フェリペ2世との比較において言うほうが適切な評価ではないかと思います。

 フェリペは、敬虔なカトリック教徒でしたが、それは国を経営するには何の役にも立ちませんでした。彼の周りにいたのは、カトリックの神父ばかりです。神への願いは届いたかもしれませんが、国家経営上の実務的なアドバイスなど、期待できません。

 そして、離宮エル・エスコリアルに閉じこもったまま、無敵艦隊へのすべての命令を文書で送ったのです。

 コロナ時代の言葉で言えば、「リモートで軍を指揮した」ということになるでしょうが、Zoomもなかった当時では、十分な意思疎通はできなかったでしょう。

 少なくとも、危険をものともせず最前線に赴き、悲壮な演説で将兵を奮い立たせたエリザベスとの差は、明白です。

 彼女は、この時に限らず、どんな時にも、民衆の前に歩み出て、彼らの心を掴もうとしました。

 戴冠式の日のパレードでは、時々行進を止めて群衆に語りかける。小学生の讃美歌に耳を傾ける。子供が贈呈した聖書を胸にしっかりと抱きしめる……。これらは実に見事なプロパガンダだったと、ヒバートは言います。

 エリザベス暗殺計画はつねにあったのですから、民衆に姿を晒すだけで勇気ある行為です。

 それだけではありません。テームズ川に船を浮かべていた時、発砲を受けて漕ぎ手が負傷する事件がありました。普通なら、第2弾を避けるために身を隠すでしょう。しかし、ヒバートによれば、彼女は前に跳びだし、出血している男の手に自分のスカーフを巻いて、「恐がってはだめ。私が面倒を見るから」と叫んだそうです。

 フェリペやメアリー・スチュワートなど彼女の敵対者たちとの、何たる違いでしょう。

(連載第30回)
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■野口悠紀雄(のぐち・ゆきお)
1940年、東京に生まれる。 1963年、東京大学工学部卒業。 1964年、大蔵省入省。 1972年、エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。 一橋大学教授、東京大学教授(先端経済工学研究センター長)、 スタンフォード大学客員教授などを経て、 2005年4月より早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授。 2011年4月より 早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問。一橋大学名誉教授。2017年9月より早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問。著書多数。
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