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西寺郷太 小説「'90s ナインティーズ」#8

第二章
BIRD SONG / 自由の小鳥

★前回の話はこちら。

(8)

 1995年4月22日土曜日。下北沢 Club Que で浴びた洗礼……。その後数日、僕はずっと STARWAGON 、エレクトリック・グラス・バルーン、N.G.THREE のCDや、PEALOUT のカセットテープを繰り返し聴きながら、自分の過去と現在と未来について考え続けた。そして、バイトの上司・棚倉千秋さんに「辞めたい」と告げなければいけない、そう思った。

 棚倉さんとの繋がりは、僕が数年前から通い、弾き語りイベントもしていた西早稲田のロック・バー『ジェリージェフ』から生まれている。

 時は半年遡る。94年の年末に、音楽サークル「トラベリング・ライト」幹事長の任期を終え、サークル活動から卒業することになった僕は、それまで続けていたバンド「Slip Slide(スリップ・スライド)」の消滅を受け入れた。「解散」ではない。「解散」は、一度は対等の関係になり、同じ目標に向かって邁進出来る日々を過ごしたバンドのみが使える言葉だ。

 往生際の悪い僕は、サークルの3学年上の先輩でドラマーの矢野博康さんに頼みこみ、彼が所有していたPC〈Color Classic II〉を使って、最後のライブの告知ポスターを作ってもらうことにした。矢野さんはサークル活動最後の晴れ舞台でトリをとることが慣習の「幹事長」職にありながら、バンドを最後まで組みきれなかった後輩のために一肌脱ぎ、この「総決算ライブ」でサポート・ドラマーとしても手を貸してくれていたのだ。学内でも屈指の名ドラマーとして知られた大先輩・矢野博康さんからの「スタジオ代、出すのは嫌だけど、叩くのは手伝うよ」という助け舟に僕は狂喜した。

 矢野さんは、すでに自室をスタジオ代わりにし、Mac を使ったプログラミングでビート、トラックを作っている憧れの先輩だった。それまで僕の周囲にいた学生バンドのフライヤーやポスターは「セックス・ピストルズ」のジャケットのように、雑誌や新聞から切り抜いた文字でデザインしたり、手書きだったり、逆にワープロで明朝体やゴシック体の文字を使った悪い意味で簡素な告知が多かった。パソコンで作れば、無限のフォントが使えて本格的でクールなポスターが出来るはず。興奮した僕は手描きのラフ・スケッチを下井草の矢野さん宅に持参し、同じデザインをPCで再現してもらうことにした。

 完成したデザインを意気揚々とフロッピー・ディスクに保存した僕は、自分で5000円ほど支払って早稲田の印刷所で50枚のポスターを作り、早稲田近辺のカフェ、バーなどに貼らせてもらった。これで客が増えると思っていたわけでもない。完全に自己満足の世界だったが、問合せ先として自宅の電話番号もそこに記しておいた。すると、まさかの展開が……。ポスターに書いた自宅の電話番号に突然連絡が来たのだ。

「もしもし、私、タナクラと申します。Slip Slide のポスターを見て電話したんですが」

 94年12月初頭。見知らぬ男からの低い声。初めての経験に驚いた僕は、狼狽えながらも可能な限りの冷静さを保って答えた。

「えー、はい。そうです!」

「ジェリージェフで貼ってあるポスターを見たんですが。このポスターなんですけど、どなたがデザインされたんですか?」

「えーと、それはですね。僕はそのバンドのヴォーカル担当のゴータって言うんですが」

「はい」

「僕が、Mac を持っている先輩の家に行って作ってもらったポスターなんです」

 音楽のことでなく、ポスターのデザインに終始するそのムードに一瞬期待が高まっていた僕は拍子抜けした。そして、「デザイン」したのは詳細なスケッチを描いていった僕だが、実際に Mac を使って完成させたのは、先輩の「矢野さん」なんだと言うことを一生懸命伝えた。電話口の彼の目的が、この時はまだ掴めなかった。

「Mac は使えますか?」

「いや、全然使えないです。めちゃくちゃ使いたいですが持ってなくて」

「でも、出来てるじゃないですか? デザインしたのはあなたなんですよね?」

「あ、デザインという意味では、僕です。さっきも説明したんですが、僕が絵を描いたら、先輩がそれを Mac で形にしてくれたんです」

 僕より7歳年上、20代後半の棚倉さんは、若いアシスタントを雇えることになり探しているとのことだった。出来れば Mac やコンピュータを使えた方がいい、デザインなども後々出来ればいい、その人材を探していたところ、ジェリージェフでポスターを見たのだ、と説明してくれた。

 結果、採用されたのち僕がまったくパソコンを使えないことがわかると、彼は「本当に使えなかったんかい! 謙遜だと思うだろ! ゼロからじゃねーか!」とダミ声で笑った。逆に開き直った僕はこのチャンスを逃すまいと「何回も何回も『僕は覚えたいけど、ド素人です!』って言いましたよ! 雇うのが悪い」などと言い返していたのだが、ともかく「インターネットで世の中が変わる」などと喧伝されていたこの時期、ひとりのミュージシャン志望の学生としても高価な Mac に触れられるバイトは魅力しかなかった。

 棚倉さんは、サークル活動最後の「総決算ライブ」も来てくれていた。デモテープも何度か渡していたが、僕の「音楽活動」に対しては「いいところも無くはないけど、これではプロは無理じゃないか」と言うのが彼の姿勢だったように思う。言葉は乱暴だが、プリンスの熱狂的なマニアである彼は、変なお世辞や忖度のない人でそこが僕は大好きだった。

 プリンスに関しては、この頃所属レコード会社で副社長まで務めたワーナーとの軋轢が表面化。頬に「SLAVE(奴隷)」とペイントし公の場に登場し、新曲はもう渡さないと宣言するなど様々な情報が錯綜していた。94年にリリースされたシングル〈モースト・ビューティフル・ガール・イン・ザ・ワールド〉の素晴らしさも棚倉さんとは共有できた。曲がったことが大嫌いでめっぽう厳しいが、頼りがいのある「昭和な兄貴」。それが棚倉千秋という男だった。

 卒業論文のテーマを「カリスマとインターネット」に決めたことを母親に話すと、息子がミュージシャンになれるわけなどないと思っていた彼女は「卒業論文にも役に立つなら、Mac を今すぐ買いなさい」と軍資金を送ってくれた。喜び勇んだ僕はバイト先の同僚でPCに詳しい真壁くんのお勧めに従って、「LC630」をすぐさま手に入れる。

 バイトは楽しかった。「手に職」をつけさせてくれたことに対して感謝の気持ちで一杯だった。ただ、僕には残された時間がなかった。授業と凸版印刷でのバイト、そのための移動で1日の大半の時間が奪われている。大学には集中し、ぴったり4年で卒業するべきだと思った。問題は卒業後のモラトリアムの「猶予」だ。世間体や親との関係ではなく、あくまでも自分に対しての「猶予」。

 僕には野心しかなかった。子供の頃から単純にプロになりたかった。なれると思い込んでいた。すべての時間を音楽だけに費やして生きてゆく。僕は、音楽を「美しいもの」だけにとどめた「趣味」にはしたくなかった。プロになれなかったとしたら、これほど好きな音楽、ポップ・ミュージックそのものを嫌いになるしかない。「I LOVE YOU / I HATE YOU」は、表裏一体だ。もし自分が音楽に愛されなかったとするならば、憎むしか……。まったく別の世界に進み、無音の中で生きていくしかない、それくらいの生真面目さが僕にはあった。ただ、自分の理想の音楽を具現化する力、仲間に伝える力はまったくないことも自覚していた。変わらなければならない。決定的に。下北沢で浴びたあの光景。輝く先輩達……。甘えた考えでは、彼らのように作品をお金をとってリリースすることなど出来ない。

 完全に集中出来るのは1年だろうか、2年か。「23歳」の間にプロになる。頭に浮かんだなんとなくのリミット。逆算すれば、21歳6ヶ月の僕にはまったく時間がなかった。

 1日は24時間。バイトの時間を音楽に向けないと。お金のことは父親に頭を下げて交渉するしかない。ただ、せっかくこれからようやく「使える」人材になるかもと育てられた段階で辞めるのは、可愛がってくれた棚倉さんに申し訳なかった。

 棚倉さんに会って話すべきか、電話をするべきか悩んだ。というのも、決意を固めたのは会社がゴールデンウィークに突入する寸前。ただ後任を見つけるためにも早い方が迷惑がかからないのでは?と考えた。僕がバイトを始めたタイミングによって、1ヶ月の区切りは15日からスタートしていた。給料は棚倉さんから、手渡しで毎月10日にもらえることになっていた。5月15日までは働かせていただきます。そう伝えるつもりで受話器をとった。

「棚倉さん、ゴータです」

「おぅ、どうした」

「僕、何度も伝えてきたと思うんですが、プロのミュージシャンになりたいんです」

「それは、知ってるよ」

 棚倉さんのダミ声が、いつもよりも低く沈むのを感じた。

「で、このままでは絶対無理だと思いまして。この前、湧井さんの出演してる下北沢のライヴハウスに行きまして。いろいろ感じたことがあって」

「で?」

「バイトを辞めたいんです。ここまでお世話になって本当に申し訳ないんですが」

「ほぅ……」

 受話器の向こうの棚倉さんは煙草を吸っているに違いない。紫煙を吹く、フゥーっという音がした。彼は、しばらく考え込んでいるようだった。

「5月15日までは責任持って働かせてもらいますので」

 思い詰めた僕の言葉に対して棚倉さんが放った返事は、意外なものだった。

★今回の1曲―― Eye Hate U - Prince(1995)



(連載第8回)

■西寺郷太(にしでら・ごうた) 
1973年東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成したバンド「NONA REEVES」のシンガー、メイン・ソングライターとして、1997年デビュー。
以後、音楽プロデューサー、作詞・作曲家としてもSMAP、V6、YUKI、岡村靖幸、私立恵比寿中学、「ヒプノシスマイク」など多くの作品、アーティストに携わる。
近年では特に80年代音楽の伝承者としてテレビ・ラジオ出演、雑誌連載など精力的に活動。マイケル・ジャクソン、プリンスなどの公式ライナーノーツを手がける他、執筆した書籍の数々はベストセラーに。
代表作に小説『噂のメロディ・メイカー』(扶桑社)、『プリンス論』(新潮新書)、『伝わるノートマジック』(スモール出版)など。
現在NHK-FMで放送中の「ディスカバー・マイケル」に案内役としてレギュラー出演。


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