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連載小説「李王家の縁談」#6 |林真理子

【前号まで】
韓国併合から八年経った大正七年(一九一八)。佐賀藩主の鍋島家から嫁いだ梨本宮伊都子妃には、方子という娘がいた。当時、迪宮(後の昭和天皇)の妃候補として、方子の従妹にあたる、良子女王との縁談が進んでいた。そこで伊都子妃は、韓国併合後に皇室に準ずる待遇を受けていた李王家の王世子、李垠に方子を嫁がせようと奔走する。なんとか納采にはこぎつけたものの、李太王の死去により、結婚は一年延期となってしまう。

★前回の話を読む。

 それにしても延期の一年間は長かった。思いもかけぬいろいろな災いがふりかかってきたのだ。守正が師団長をつとめる京都第十六師団が、満州へ移動したのである。慣れぬ土地で、守正はたちの悪い風邪にかかり、そのまま肺炎にすすんでしまった。重体という電報が届き、伊都子(いつこ)はどれほど心配したことであろう。そして真先に考えたことは、

「これでまた延期になったら」

 ということだ。万が一、守正が亡くなることになれば、もう一年延期になるに違いない。迷信の類は嫌いな伊都子であるが、そうなったら覚悟を決めるつもりだ。この縁談には何か大きな意志がはたらいていると認め、どんな理由をつけても破談にするしかないだろう。

 幸いにも守正は回復に向かい、気候の悪い満州を避けて帰国することになった。そして大磯の別邸で静養に入った。伊都子にとって、介護はお手のものだ。なにしろ講習を受け、免許を持っているのである。かつて赤十字の者たちは、

「このようなご身分でなかったら、女医になられた方」

 と伊都子を賛えたが、まんざら世辞ではなかっただろう。吉岡弥生がつくった東京女医学校を日赤の幹部たちと見学に行ったこともある。

 心を込めて伊都子は夫を看た。きちんと消毒をし、いちばん心地よい姿勢にするため、枕や布団を工夫する。滋養のあるスープを鶏からとる。こうして一時ぎくしゃくしていた夫婦仲は、大磯でまたたくまに修復していったのである。

「李太王さまは、つくづく不思議な方ではなかろうか」

 浜を散歩している時、守正は本音を妻に漏らすこともあった。

「もう何年前になるだろうか……。規子(のりこ)が生まれた年だから、明治の四十年だ。李太王はハーグの万国平和会議に、密使を遣わされた。日本の横暴を世界に訴えようとなさったのだ。しかしそれはすぐに露見して、伊藤博文の怒りを買った。そして廃位に追い込まれたのだ」

 それは王世子(おうせいし)に関することだから、伊都子もよく知っている。これによって朝鮮の王は、王世子の兄・純宗(スンジヨン)となった。来日した純宗とは二年前に東京で会っている。

「しかし、歳月がたって、今回、李太王はまた同じことをなさろうとしたのだから驚くではないか。パリの講和会議にまた密書を送ろうとなさった。そのために朝鮮総督府がさし向けた、侍医に毒殺されたという……」

「本当でございますか」

「私は真実だと思っている。いくら不仲だったと言われていても、李太王は自分の妻を日本人に殺された方だ。それなのにまた同じあやまちを繰り返されるとは……。あの方がもっと注意深くことを進めていたら、お命がなくなることはなかったであろう……」

 守正は海の遠くを見つめる。考えてみると李太王は娘の義父となる人なのである。

「満州にいれば、アジアの様子もよくわかる。朝鮮は李太王の死をきっかけに、あちこちで大変な騒ぎになっているのだ。学生たちが銃を持って立ち上がり、日本は許せんと暴動を起こしている」

「そんなことは、まるで知りませんよ」

「あたり前だ。日本の新聞にはほとんど書いていない。書いてあったとしても小さな記事で、不逞の輩がよからぬことをしたことになっている。まあ、満州にいると、日本がまわりの国からどれだけ憎まれているかよくわかる」

「しかしそれもじきに終わりましょう。アジアの長兄である日本が、アジアをひとつに豊かにすればいいのです。アジアを守ろうとする日本の真心を、きっとわかってくれる日がくるはずです」

「そうだといいのだが……」

 守正は海に向かって腕組みをする。病いをきっかけに、閑職に就かされた守正は寂し気である。

「我らは李王家と縁組みすることで、かの地の人々の心が、他の日本人よりもはるかにわかるようになった。かの国の人々に心を寄せることによって、我らは他の日本人とは違う者たちになったのかもしれない」

「そうかもしれません……」

 夫には家に届いた何通かの脅迫文や、「国賊」と書かれた落書きのことを内緒にしていたが、とうに知っているのだろう。

「しかしもう決めたことは仕方ありません」

 伊都子は胸を張る。後戻りをすることは嫌いであった。夫の発病で気弱となった心を奮い立たせる。

「きっとこの婚儀を、人から羨ましがられるものにいたします。もうおいたわしい、といって泣かれるのはごめんですよ」

 それから四日後、王世子が不意に大磯を訪れた。富士の裾野での大演習があり、東京から、藤沢、大磯、小田原と進む際、この別邸に立ち寄ったのだ。

「まあ、こんなところにいらっしゃるとは」

 伊都子は驚き、中に招き入れようとした。

「いや、小休止の時間にここにやってまいりました。三十分程度しかいられません」

 夏のこととて馬から降りた王世子は額にびっしり汗をかいている。

「ここでご挨拶させていただいてもよろしいでしょうか」

 軍人がゲートルを外す大変さを知っている守正が、縁側にやってきた。腰かけて男二人が何やら語っている最中、浴衣姿の方子(まさこ)がひっそりと姿を現す。

「さあ、早くおいきなさい。おもうさまのお見舞いということになっているけれど、まあさんに会いにいらしたのですよ」

「でもこんな格好で恥ずかしい……」

 王世子が渋谷の屋敷を訪れる時は、方子はたいてい振袖姿だ。いくら避暑地といっても、軽装を見られるのは初めてであった。

 方子が近づいていくと、気配を感じた王世子は振り返る。そして朝顔模様の浴衣を着た許嫁をみつめる。

 目に光が走った。恋をする男の顔だと伊都子は思った。

「大磯まで来たものですから……」

 口ごもった。

「ありがとうございます」

 そこへ女中が井戸で冷やしておいた麦茶を運んできた。王世子はそれをひと息に飲む。健康な青年の喉ぼとけがあらわになった。

「演習は大変でいらっしゃいましょう」

 方子が問うと、

「急に暑くなってきたのがこたえますが、この程度の行軍は、そう珍しいことではありません。今夜は御殿場に泊まります」

「泊まるって、まあ、外でおやすみになるの?」

「いいえ、今日は野営ではありません。きちんとした営舎があるのですよ」

 二人はいつのまにか、はきはきとした会話を交すようになった。やがて王世子がひらりと栗毛の馬に乗るのを、方子はせつなげな表情で見つめる。

 その夜、方子はこんな歌をよんだ。伊都子がいずれ東京に届けるようにと勧めたのだ。添削もしてやった。

「はからざりき波うちよする磯の家に

 たちより給うきみを見むとは

 あすはまた箱根の山をこえまさむ

 降るなむらさめ照るな夏の日」

“照るな夏の日”、と伊都子は繰り返す。どうか二人の婚儀がうまくいきますように。もうこれ以上、災難が起こりませんように、と祈っていた。

 大正九年四月二十八日。

 一年間の延期を経て、方子と王世子の婚儀がとり行なわれた。

 すべてのことを吹きとばすような、美しく晴れた日であった。

 方子は白絹地に刺繍をほどこしたローブデコルテに、駝鳥の羽をこんもりと飾ったチュールのベールをつけ冠を頭にのせた。背が低い方子であるが、この英国風の正装はとても似合っている。

 本来ならば、皇族女子の婚儀は袿袴(けいこ)となるが、今回は相手が日本人でないことを配慮したのである。

 十二単を簡略化した袿袴姿は、新聞社に配るためにあらかじめ写真を撮っていた。婚儀は徹頭徹尾、ふつうの日本式で行なわれたが、神道にのっとる皇族の婚儀とはかなり違っていた。

 小笠原流礼法により、三三九度の盃がかわされた。それよりも日本式であったのは、方子の名は今日から李方子となったことだ。

 朝鮮ならば女性は夫の姓を名乗らない。結婚前の姓を生涯名乗ることになっている。が、方子は李という苗字になった。

 このことを伊都子をはじめとする日本側は、別段不思議とは思わない。王世子はずっと日本で暮らすのであるし、日本の政府の歳費で生活していくのである。婚儀のやり方が日本風になったとしても、何の問題があるだろう。もし朝鮮風の婚礼をしたいのならば、いずれ祖国で挙げればよいのである。

 伊都子は満足していた。婚儀の方式は異なったとはいえ、政府は皇族の婚礼にふさわしい体裁を整えてくれたのである。

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