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東京オリンピックは「参加の同調圧力」から「自粛の同調圧力」へ|辻田真佐憲

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※本連載は第10回です。最初から読む方はこちら。

 日本を取り戻す。いわずとしれた、安倍首相のキャッチフレーズである。そしてそれはときに、戦前回帰への願望と批判されたりもする。保守派は、明治憲法を復活させ、自由や人権を制限し、軍事大国に戻ろうとしているのだと。

 しかし、昨今の東京オリンピックをめぐる混乱を見ていると、それは戦前回帰というより、むしろ「昭和史の摘み食い」という表現が適切のように思えてくる。

 そもそも戦前回帰などありえない望みだった。日本の保守運動の担い手は、高齢者が多い。書店で並んでいるその手の雑誌や書籍をみてみればよい。活字が極めて大きく、消費者が那辺にあるのか、いやでも思い知らされる。

 とすると、かれらは戦前回帰と実存的に相性が悪いことになる。というのも、戦前日本の平均寿命は50歳にも満たなかったからだ。もちろん、今日のように医療制度や保険制度も整っていない。それで戦前回帰をすればどうなるだろう。「お前はもう死んでいる」。いささか漫画チックにいえば、かれらの少なからずがそう宣告されざるをえないのである。

 日本を取り戻す。それは実際には、日本が歴史上もっとも政治的・経済的・軍事的に影響力を持った昭和史から、都合のいい部分を寄せ集めた「虚構のニッポン」への改造願望にほかならない。軍事的には戦前のように強力な軍隊を持ち、経済的には戦後のような経済大国の地位を望むーー。「世界の中心で輝く」「美しい国」は、キメラと呼ぶのがふさわしい。

 それゆえに、現政権は東京オリンピックを手放しがたいのである。前回の東京オリンピックは戦後のイベントだけれども、「取り戻すべき」日本の核心部分のひとつだった。大阪万博の招致も、札幌冬季五輪の招致運動も、同じ文脈のなかで考えられる。

 もとより、戦前の歴史が参照にならぬというのではない。あれもこれも戦前だ、戦前だと騒ぐのは、かえって批判の鋭さを損なうといっているのである。要はバランスの問題で、東京オリンピックをめぐる混乱ぶりには「日本のいちばん長い日」さながらの光景も観察される。

 橋本聖子五輪大臣は、ここまでコロナ禍が広がっている今月17日になお、予定どおり東京五輪を実施するつもりだと述べた。まるで本土決戦を訴える青年将校の叫びだった。

 そしてその上に鎮座するのは、「日本は神の国」でお馴染みの森喜朗御大なのだから、よくできている。いつもの冗談とはいえ、先月21日、「早くコロナウイルスどっかに消し飛んで欲しいなと神にも祈るような毎日」「私はマスクをしないで最後まで頑張ろうと思っている」と述べたことは、悪い意味で記憶に新しい。

 これにたいして、首相官邸では水面下で中止や延期のシミュレーションも行っているとされる。さしずめ「終戦工作」といったところだが、現状をみれば、こちらのほうが現実的な選択肢だろう。とすると、「玉音放送」がなければならない。

 しかしながら、今回はこれがむずかしい。いまの天皇には立場的に求められないし、かといって、安倍首相にも荷が重いだろう。先日も「復興五輪」の看板を「コロナ決戦人類完勝記念式典」に書き換えようとしたばかりなのだから。

 おそらく東京オリンピックは、擦った揉んだの挙げ句、外圧(WHO、IOC、米国など)によって良くて延期、最悪で中止となるのではないか。

 そこで恐れるべきなのは、新しい同調圧力の出現である。国策イベントである東京オリンピックですら延期・中止になった。それなのに、なぜお前は自粛しないのか。こういう「自粛の同調圧力」が懸念される。

 これは事前に警戒されていなかった分、国民団結して東京オリンピックに参加しようと促す「参加の同調圧力」よりも厄介だ。すでに自粛せず、イベントを決行したライブハウスへの嫌がらせなども起きているという。

 それにしても、東京オリンピックはとんでもない難物になってしまった。進むも地獄、退くも地獄。「参加の同調圧力」にさえ注意すればよかった昔日が懐かしくも思われるのである。

(連載第10回)
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■辻田真佐憲(つじた・まさのり/Masanori TSUJITA)
1984年、大阪府生まれ。作家・近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科中退。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書に『天皇のお言葉』『大本営発表』『ふしぎな君が代』『日本の軍歌』(以上、幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)、『文部省の研究』(文春新書)、『たのしいプロパガンダ』(イースト新書Q)、『愛国とレコード』(えにし書房)などがある。監修に『満洲帝国ビジュアル大全』(洋泉社)など多数。軍事史学会正会員、日本文藝家協会会員。


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