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中国依存の脱炭素は愚かだ 杉山大志

CO²と独裁国家、どちらが喫緊の脅威なのか?/文・杉山大志(キヤノングローバル戦略研究所研究主幹)

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杉山氏

脱炭素とはどういうことなのか

地球温暖化問題への対策として、いま日本は「脱炭素」に邁進している。だが、これはもはや単なる環境問題を超えて、日本という国家の生存を左右する問題になっている。このまま脱炭素に突き進むならば、中国はますます強くなり、日本は弱くなる。畢竟、日本の自由、民主といった基本的な価値すら危うくなる。

2021年4月、新任のバイデン米大統領は、気候サミットを開催した。G7を構成する先進国は軒並み「2030年までにCO2等の温室効果ガス排出を半減、2050年までにゼロ」を宣言した。

日本も追随し、菅義偉首相(当時)は、「2050年までにCO2ゼロ」「2030年までに2013年比で温室効果ガスを46%削減する」と宣言した。

これに対して、中国はどうだったか。中国はCO2をゼロにする時期は2060年として、2050年への前倒しはしなかった。そして何よりも、「2030年までCO2等を増やし続ける」という計画を変えなかった。

この手のことで大事なのは、2050年といった遠い将来のことではなく、直近、せいぜい10年以内の約束だ。その肝心なところで、先進国と中国は正反対の約束をしたのである。

2021年11月の国連気候変動枠組条約締約国会議(COP26)でも、この構図はまったく崩せなかった。詳しくは後述するが、中国は何一つ譲らなかった。

本論に入る前に、脱炭素とは一体どういうことなのか、おさらいしておこう。

CO2は、石炭・石油・天然ガスなどの化石燃料を燃焼することによって発生する。脱炭素とは、これを発生させないということだ。すると、石炭、石油、天然ガスを使わないことになる。

しかし現代の経済は、まさに化石燃料の利用によって成り立っている。自動車はガソリンで、トラックはディーゼル燃料で動いている。工場に行けば、蒸気を沸かすボイラーや、材料を加熱するための炉がある。これらは石油やガスを燃料にしている。

もちろん、化石燃料を使う代わりに、電気を使うことも出来る。けれども、電気を起こすためにも化石燃料が必要だ。いまなお、日本では石炭と天然ガスによる発電が7割を占めている。水力発電所はもうこれ以上建てる場所がない。原子力発電所の新規建設は政治的に容易でない。太陽光発電や風力発電は出力が安定しないのでその割合を高くすると停電が起きる。

したがって、「脱炭素」をするとなると、経済活動に重大な支障が出る。G7諸国の「2030年半減、2050年ゼロ」というCO2排出の目標は、出来るはずがない。のみならず、それを無理に目指すならば、工場は閉鎖され、物価は上がり、経済は崩壊する。

ところがCOP26で、日本をはじめ先進国は無謀な約束をしてしまった。これは一方的な自滅への道だ。

先進国が2030年の目標を守れないことは年々明白になる。中国はそれを大いに非難し、外交上の優位に立つだろう。

そして先進国は太陽光発電や電気自動車を大量導入するであろうが、それは中国からの原材料の輸入を意味し、大いに中国を利することになる。他方で先進国は重い経済的負担を抱える。中国は敵の自滅をみて、笑いが止まらないはずだ。

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習近平国家主席

一歩も譲歩しない中国

COP26で採択されたグラスゴー気候合意について、NHKは「COP26閉幕 気温上昇1.5℃に抑制「努力追求」成果文書採択」(11月14日付ニュースウェブ)とまとめており、いかにもその成果として1.5℃目標に合意したかのように書いている。

けれども、1.5℃抑制への「努力追求」というのは、2015年に締結されたパリ協定にもともとあった文言を踏襲したに過ぎない。のみならず、中国の脱炭素の目標年を2050年へ前倒しすることさえ出来なかった。

合意文書を見ると、2050年の目標については「今世紀の半ばまでまたはその頃に(by or around)」脱炭素をする、となっている。ここでor aroundとなっているのは、中国の2060年という脱炭素の目標年は変えなくてよいための譲歩だ。

結局、この合意文書はこれまで中国が宣言してきたことを追認したにすぎなかった。

石炭火力発電についてはどうか。合意文書では、石炭火力発電の「削減(phasedown)に向かっての努力を加速する」ことを「COPが諸国に呼びかける」となっている。

しかしこの文言は、英国がCOP26前後にしきりにメディアに訴えていた「石炭の終焉」というイメージからは程遠い。

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世界一のCO²排出国は中国

米国民主党の売国外交

じつはこのphase down(削減する)という文言は、COP26会期中に発表された米中グラスゴー共同宣言で先に用いられたものだ。

中国は現行の第十四次五か年計画の下で、2025年までの5か年でCO2排出を1割増やすことになっている。中国は日本の10倍のCO2を排出しているから、この増分だけで日本の年間排出量に匹敵する量だ。

だがその後の第十五次五か年計画においては、元々、発電用の石炭消費量は低下すると見られていた。ガス火力、原子力や再生可能エネルギーなどが導入されるからだ。現在の中国は石炭火力の割合が高すぎるから、そのほうが発電全体としてのバランスが良くなるのだ。

つまり、この「削減」という合意も、中国の考えを追認しているものに過ぎず、中国に譲歩を迫ったというようなものではない。バイデン政権の対中融和的な姿勢がよく見える。

だが呆れたことに、これと引き換えに米国は、2035年までに発電によるCO2排出をゼロにするというとんでもない約束をした。どう考えても出来るわけがない。今後、中国はこの文言を持ち出しては米国を非難するだろう。

ちなみにこの米中合意、短いので簡単に読めるが、ひたすら「〇〇に協力します」といったことばかり書き連ねてある。この中で中国は、上述の石炭の「削減」以外、何1つ約束していない。

ではこの合意はいったい何だったのか?

要は米中両政権とも、「気候変動については協力が重要だ」というメッセージを出したかっただけなのだ。

バイデン政権としては、気候変動を理由に、中国との経済関係を作りたい。中国としては、近年になって冷え込んでいる米国との外交関係を改善し、対中包囲網に穴を穿つ格好の機会になった。両政権の利害が一致したわけだ。

それにしても、出来もしない約束を中国相手にしてしまうあたり、米国民主党政権の国際交渉は売国的ですらある。

電気料金はすでに1.5倍に

さて菅政権の時に、日本は2030年までのCO2削減目標(2013年比)を26%から46%へと、20%も引き上げた。

そしてエネルギー基本計画には「再エネ最優先」と書き込まれた。これは当時の小泉進次郎環境大臣と河野太郎規制改革担当大臣が押し込んだものだ。

だがこれを実現しようとすると、いったい、いくら費用がかかるのか。政府は沈黙したままだ。

これまでの実績を見てみよう。過去10年間、「固定価格買取制度」の下で、再生可能エネルギーは大量導入されてきた。これによるCO2削減量は年間約2.4%に達している。

ところがこれには莫大な費用が掛かった。それを賄うため、「再生可能エネルギー賦課金」が家庭や企業の電気料金に上乗せされて徴収されてきた。この賦課金は総額で年間約2.4兆円(2019年度)に達している。

これは1人あたりで約2万円、3人世帯では6万円になる。3人世帯の電気料金はだいたい月1万円だから、年間では12万円くらいだ。すると、12万円に対して6万円だから、賦課金によって実質的に電気料金が1.5倍になるほどの、極めて重い経済負担がすでに発生しているわけだ。

国の総額でみると2.4兆円の負担で2.4%の削減だから、これまでの太陽光発電等の導入の実績から言えば、CO2削減量1%あたり毎年1兆円の費用が掛かっているわけだ。

すると単純に計算しても20%の深掘り分だけで、毎年20兆円の費用が追加で掛かることになる。

20兆円は巨額だ。

いまの消費税収の総額がたまたま20兆円である。すなわち、20%もの数値目標の深掘りは、消費税を倍増することに匹敵する。

これを世帯当たりの負担に換算してみよう。

20兆円は1人あたり約16万円、世帯あたりだと3倍の48万円になる。電気料金が12万円で、それに48万円が上乗せされるとなると、電気料金が実質5倍の60万円になる、という計算になる。

もちろん、現実にはすべてが家庭の負担になるわけではない。だが企業が負担するとしても、給料が減ったり物価が上がったりして、結局は家庭の負担になる。2030年といえば8年後だ。

これに国民が耐えられるとは、到底思えない。脱炭素は必ず破綻する。

太陽光発電という環境破壊

太陽光発電パネルは確かに従前よりは安くなった。だが、それでもまだ電気料金への賦課金を原資に、寛大な補助を受けている。

それに太陽が照った時しか発電できない間欠性という問題は、まったく解決していない。このためいくら太陽光発電を導入しても火力発電所は相変わらず必要なので、結局は二重投資になる。仮に火力発電所を減らしてしまえば、こんどは停電のリスクが高くなる。

のみならず、安価に設置できる場所も減ってきており、これも今後の高コスト要因になる。小泉前大臣は「まだ空いている屋根があるから設置をすれば良い」と言ったが、なぜその屋根がまだ空いているのか、理由を考えなかったのだろうか? これまでも莫大な補助が与えられてきたにもかかわらず、それでも採算が合わなかったからなのだ。

そもそも太陽光発電が環境に優しいかも疑わしい。

大変よく誤解されていることだが、太陽光発電や風力発電は「脱物質化」「環境にやさしい発電」などでは決してない。むしろその逆である。

太陽光発電や風力発電は、確かにウランや石炭・天然ガスなどの燃料投入は必要ない。だが一方で、広く薄く分布する太陽や風のエネルギーを集めなければならない。このため原子力や火力発電よりも数多くの発電設備が必要となり、大量のセメント、鉄、ガラス等の材料を投入せねばならない。

結果として廃棄物も大量になる。これは近年になって問題となり、廃棄費用を太陽光発電事業者から強制的に徴収し積み立てる制度がようやく2022年に実施される段取りになっている。

屋根ではなく地上に設置する方がコストは安くなるが、広い土地を使う。農地や森林がその代償で失われる。施工が悪ければ台風などで破損したり土砂災害を起こしたりして近隣に迷惑がかかる。

2021年の熱海の土石流事故におけるメガソーラーとの因果関係はいまなお調査中であるが、それは別にしても、施工の悪い危険なメガソーラーは全国至るところにある。

太陽光発電はCO2排出こそ少ないが、デメリットは多い。しかも問題はこれに止まらない。

202002 杉山・新谷

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