この東京のかたち

「浮沈艦」高橋是清 門井慶喜「この東京のかたち」#6

★前回の話はこちら。
※本連載は第6回です。最初から読む方はこちら。

「浮き沈みが激しい」という慣用句があります。

 人生のいいときと悪いときの差が大きい、くらいの意味でしょうが、それで行くと、近代日本史上もっとも浮き沈みの激しい人はまちがいなく高橋是清。大正期には総理大臣をつとめ(第20代)、昭和11年(1936)の二・二六事件では現役の大蔵大臣のまま青年将校に射殺されましたが、彼の人生は、むしろそれ以前のほうが乱高下がはなはだしかった。

是清

 
 何しろ元来は徳川幕府の御用絵師という立派な家に生まれながら(これは「浮」の始めでしょう)、生まれて3、4日もたたないうちに仙台藩士の家へ里子に出された(これは「沈」です)。

 しかしその出された先でたいへんにかわいがられて正式な子となり(浮)、藩の留学生にえらばれてアメリカに渡り(浮)、アメリカで奴隷に売られました(沈)。

  何とか日本へ帰りつき、農商務省に入り、昇進して初代の特許局長になった(浮)とき是清はまだ32、3です。いくら明治前半のみずみずしい時代のことといっても、すでにして普通の人の何倍もの盛衰のくりかえし。この直後、是清の人生には、地球の裏側のペルーで銀山の廃坑をつかまされ無一文になるという特大の「沈」が来るのです。

  まさに不沈艦ならぬ浮沈艦。こういう人の伝記がおもしろくないはずがなく、事実、彼の死の直前に刊行された『高橋是清自伝』は飛ぶように売れました。私の所蔵する1本は刊行の翌日に第15版が、1か月後には第70版(!)が出たと奥付にありますから、版元にすれば、いわゆる「札束を刷るようなもの」。

奥付

『高橋是清自伝』第70版の文字が見える

 是清がほんものの「札束を刷る」日本銀行の総裁もつとめたことを思い合わせると、何か暗合のふしぎさがある。現在は中公文庫におさめられています(電子書籍版もあり)。私はじつはこのお正月、こたつに足をつっこんで、この古本をのんびり読み返したのですが、ひとつおもしろいことに気づきました。

 浮沈のうちの「浮」のほうは、たいてい江戸または東京で起きているんです。上に記した以外もふくめ、ちょっと列挙してみましょう。

○仙台藩の留学生にえらばれた。
○アメリカからの帰国直後、大学南校(現在の東大)の英語教師の職を得た。
○ペルーの銀山一件後、日本銀行本店の建築所主任の職を得た。
○そのまま西部(さいぶ)支店(現在の下関支店)の支配人になった。

 仙台藩うんぬんは一見すると東京とは何の関係もないようですが、決定そのものは江戸の藩邸でおこなわれました。どうやら留守居役の大童信太夫(おおわらしんだゆう)という人が関与したらしい。

 ほかにも大学南校に入るよう勧めたのは外国官権判事・森有礼であり、日銀建築所主任の職を紹介したのは日銀総裁・川田小ー郎であり……この高橋是清という傷だらけの経歴のもちぬしは、自分ひとりの力で這い上がったわけではありませんでした。そのときどきで、つねに誰かに引っぱり上げてもらったのです。

 その結果、総理大臣にまでなった。人間を浮上させる最高の装置は人間である、ということの端的な例にほかなりませんが、これがみな江戸または東京で起きたというのは偶然ではありません。なぜなら江戸または東京は、当時から、日本国内はもちろん世界的に見ても一、二をあらそう人口密集都市だったからです。

画像2

日本銀行で高橋是清に思いを馳せる


 都市そのものが、つまり巨大な浮上装置だった。もちろん是清はその人物もたいへんなものでした。語学力は抜群だし、人との会話は当意即妙。それでいて性格的に愛嬌があり……だとしても是清がもしも山奥の寺に生まれていたら、漁村の船大工の家に生まれていたら。

 ちなみに言うと日露戦争時、戦費を調達し、日本を勝利にみちびいたのは是清です。日銀副総裁としてイギリスにわたり、外債募集に成功したのです。

 これも地位と人脈あってこそ。くりかえしますが是清がもしも山奥の寺に生まれていたら、漁村の船大工の家に生まれていたら。こんにちの首都機能移転論がまちがいを通り越して亡国の論であることは、この一事からも明らかなような気がします。

(連載第6回)
★第7回を読む。

 門井慶喜(かどい・よしのぶ)
1971年群馬県生まれ。同志社大学文学部卒業。2003年「キッドナッパーズ」でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。08年『人形の部屋』、09年『パラドックス実践』で日本推理作家協会賞候補、15年『東京帝大叡古教授』、16年『家康、江戸を建てる』で直木賞候補になる。16年『マジカル・ヒストリー・ツアー』で日本推理作家協会賞(評論その他の部門)、18年『銀河鉄道の父』で直木賞受賞。その他の著書に『定価のない本』『新選組の料理人』『屋根をかける人』『ゆけ、おりょう』『注文の多い美術館 美術探偵・神永美有』『こちら警視庁美術犯罪捜査班』『かまさん』『シュンスケ!』など。
2020年2月、東京駅を建てた建築家・辰野金吾をモデルに、江戸から東京へと移り変わる首都の姿を描いた小説『東京、はじまる(仮)』を刊行予定。

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