この東京のかたち

「東京」誕生――門井慶喜「この東京のかたち」#1

 東京駅ってなんて小さいんだろう、と思うことがあります。

 もちろん現在のそれは1日あたり乗降客数90万人、列車発着本数4100本という日本のまさしく大玄関なのですが、しかしたとえば丸の内中央口から少し皇居のほうへ行ったところで振り返ると、意外にも、赤煉瓦の駅舎はあっさり一望できてしまう。プロポーションが極端に横長であるにもかかわらずです。

 もともと人間の視野そのものが横長だからでもあるでしょうが(テレビやPCのディスプレイの形状はこれに対応したもの)、それ以上の理由はたぶん、皇居にむかって建っていることでしょう。皇居とくらべれば、どんな建物もまあ大きさを誇ることはできません。東京駅の開業は大正3年(1914)12月18日、いまから105年前の冬ですが、設計者・辰野金吾はこの点ちょっと損をしました。

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 ところでこの「東京駅」ですけれども、建設中はべつの名前でした。「中央停車場」。ここでの中央とは東京のまんなかというよりも、むしろ鉄道網の核心というような意味だったでしょう。何しろ当時の路線図を見ると、まるで円形のバリアでも張ったかの如くそこだけぽっかりあいている。

 こんにちの路線名・駅名でいうなら東海道本線は新橋で、中央線は飯田橋で、東北本線は上野で、総武線は両国で、それぞれバリアに阻まれて内部へ入りこむことができない。

 だから乗客がたとえば大阪から青森へ行こうと思ったら、新橋‐上野間の路線がとだえる。市電かバスで移動しなければならない。なかなかの距離である上に、貨物はさらに面倒です。当時の鉄道には軍需物資をはこぶという、或る意味、人間をはこぶより重要な使命がありました。

「中央停車場」という駅名は、まずまず理由があったのです。それが「東京駅」になった。正式に決定したのは大正3年12月5日付の鉄道院総裁達113号による、ということは開業のたった13日前。ぎりぎりもぎりぎり、看板などの用意は間に合ったのかと余計な心配もしてしまいますが、どちらにしろこの余裕のなさは、はしなくも、鉄道院内部でよほどの議論があったことを露呈してしまいました。

 反対派がそうとう粘ったわけです。彼らの論拠のうち、いちばん目立ったのは、

 ――東京は、ここだけが東京ではない。神田も赤坂も目黒もそうじゃないか。

 というものでしたが、この主張には、じつは大きな隙があります。この時点ではもう大阪には大阪駅がありましたし、京都には京都駅があったからです。しかも大阪駅は明治7年(1874)開業、京都駅は明治28年(1895)改称だから(それ以前は「七条停車場」でした)、先例はずいぶん前に成立していた。

 それをなんでいまさら蒸し返すんだ、おかしいじゃないかと言われれば答に窮するのは当然であり、だからこそ結局、言い負かされたわけですけれども、しかしとにかく、くりかえしますがこの反対論はぎりぎり開業13日前まで粘りぬいたわけで、べつの言いかたをするならば、大阪や京都ではすんなり決定したものが、東京では揉めた。それほど「東京駅」は違和感があったということなのです。

 ここに東京という街のおもしろさがあります。その違和感の理由はいろいろ考えられるでしょうが、いっとう根本的なのは、そもそも彼らが東京という地名に慣れていなかったことでした。

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 ここで言う「彼ら」とは、駅名をきめる局長会議に出席した人ととらえてもいいし、一般市民ととらえてもいい。大阪や京都の人々はちがった。おのが地名になじんでいた。

 ずっと前から存在していたからです。もちろん徳川時代には大阪は表記が「大坂」だったし、京都は「京」「京師」「みやこ」などと称されましたが、心理的には連続性がある。むかしとつながる実感がある。

 だから駅名に採用しても「まあいいか」とわりあい大様になれたのです。いっぽうこちらは、もともと江戸という名前でした。東京などという地名はごく最近、そう、東京駅の完成から見ればたかだか50年くらい前にとつぜん世にあらわれたものにすぎず、それも江戸っ子がみずから変えたものではない。維新の元勲といえば聞こえはいいが要するに田舎から来た志士あがりの連中がどさくさまぎれに押しつけたものにすぎないのです(この経緯はまたべつに述べたいと思います)。

 要するに、徳川時代には神田も赤坂も目黒もあった。ただ東京だけがなかった。それくらい頼りない地名であってみれば、あの「中央停車場」案にぎりぎりまで土俵を割らせることができず、薄氷の勝利を余儀なくされたのも無理なかったでしょう。逆にいえばここで「東京」はようやく市民のものになったわけで、私には、この東京駅開業の日こそが真の東京の生誕の日であるように思われるのです。

 こんにち、あの駅の駅舎がこんなに小さく見えるのは、ひょっとしたら人間の視野が横長とか、目の前に皇居がとかいう以前に、そもそもその生誕の残像がいまだ消えていないからなのかもしれません。赤んぼうの絵が重なるというか。なおロンドンにロンドン駅はなく、ニューヨークにニューヨーク駅はありません。

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(連載第1回)
★第2回を読む。

門井慶喜(かどい・よしのぶ)
1971年群馬県生まれ。同志社大学文学部卒業。2003年「キッドナッパーズ」でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。08年『人形の部屋』、09年『パラドックス実践』で日本推理作家協会賞候補、15年『東京帝大叡古教授』、16年『家康、江戸を建てる』で直木賞候補になる。16年『マジカル・ヒストリー・ツアー』で日本推理作家協会賞(評論その他の部門)、18年『銀河鉄道の父』で直木賞受賞。その他の著書に『定価のない本』『新選組の料理人』『屋根をかける人』『ゆけ、おりょう』『注文の多い美術館 美術探偵・神永美有』『こちら警視庁美術犯罪捜査班』『かまさん』『シュンスケ!』など。
2020年2月、東京駅を建てた建築家・辰野金吾をモデルに、江戸から東京へと移り変わる首都の姿を描いた小説『東京、はじまる(仮)』を刊行予定。



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