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尾身茂コロナ分科会会長インタビュー「マスクはいつになったら外せるのか」|【連載】専門家、コロナを語る。#2

3度目の緊急事態宣言発出から1週間が経過した。全国で感染者増のトレンドは衰えない中、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の分科会長の尾身茂氏は28日、東京五輪について「開催に関する議論をしっかりすべき時期に来ている」と発言して再び注目を集めた。

「宣言の後」はどうなるのか、「マスクを外せる日」について尾身氏に訊いた。/文&写真・広野真嗣(ノンフィクション作家)

©︎広野真嗣_210423緊急事態宣言が決定された直後に西村大臣とともに会見する尾身氏

緊急事態宣言が決定された直後に西村大臣とともに記者会見する尾身会長

——宣言発出が決まる当日の未明、人気バンドRADWIMPSの野田洋次郎さんが「3回目の緊急事態宣言なんて聞く気になれねぇ」とネットに投稿して12万件以上の「いいね」がついた。自粛、GoTo、医療体制など1年間のさまざまな施策の検証もなく納得できない、という指摘だった。

「たしかに、医療や保健所といった現場の人々、そして国民の皆様の努力でここまで持ちこたえてきたものの、多くの人の気分はそろそろ限界のところまできていて、『やっていられない』と感じておられるのでしょう。私も解放されたいという気持ちがないといったらうそになります。

そんな中で、道徳的な目線で『もう一回頑張りましょう』といわれてみても、それが心に響かない部分があることも間違いないですよね。だから国や自治体が率先して汗をかくことが大切だ、と国会で重ねて申し上げてきました。

何に汗をかくか。実は、これも検証ということになると思いますが、ここまでの1年ですでにいくつもの課題を明らかにしてきています。

例えば、一般市民へのリスクメッセージの在り方です。

もちろん欧州やアメリカの大統領のように、情熱的な言葉で伝えることで国民の心が動くこともあります。でも、人がまずは期待するのは雄弁でなくとも、しっかりとした説明です。質問にきちんと答えることは大前提になる。ただ『やってください』ではなく、『こういう理由からです』ということをわかりやすく説得力を持って説明することです。

国も説明する努力をなされていると思いますが、残念ながら、そのメッセージが一般の人に充分には届いていなかったのでしょう。

今回、なぜ、緊急事態宣言を急いで出したのか。なぜ、病床が逼迫した大阪府など関西圏と、そこまでではなかった東京都を同時に宣言の対象にしたのか。その理由は、感染力の強い変異株への置き換わりが進む中で、東京都も早晩、急拡大することが間違いない、などという説明が充分には理解されなかったのだと思います」

「さらに、次の課題として、検査があります。検査については、戦略的な活用が不充分だったということです。

分科会ではすでに昨年7月に『検査体制の基本的な考え・戦略』と題した提言をまとめ、公表しています(Go Toトラベルキャンペーンの開始時期と重なってしまったためにほとんど報道されなかったことは残念でした)。

提言では、症状がある人(1)、無症状者かつ、感染リスクおよび事前確率が高い人(2A)、無症状者かつ感染リスクおよび事前確率は低い人(2B)——と3つに分類して、(1)と(2A)は行政で、(2B)については民間の力を使ってやろう、ということをいってきました。

昨年7月には検査へのアクセスが限られていたが、現在は、抗原定性検査(検査キット)のような選択肢も拡充されてきましたし、民間検査もあります。

こうした検査手段を、高齢者施設をはじめ陽性率が高いと思われる場所でフルに活用していく必要がある。

人々の生活を日常に少しずつ戻していく上で、戦略的な検査は重要なツールの一つになります。

その際に重要になるもう一つのツールは、『健康アプリ』です」

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——昨年4月、長崎のクルーズ船で集団感染が起きた際、隔離した船員たちの体調把握に使われた「N-CHAT」(エヌチャット)というアプリは専門家らの高い評価を得たが、まだ全国的に普及はしていない。

「そうです。日本はテクノロジーの活用はまさにこれからで、うまくいけば感染拡大防止と経済活動との両立を図りやすくなります。

アプリが有効に働くのは、多くの人が働いている職場で、『倦怠感』といった軽い症状がある人が出てくるようなケースです。

日々、健康状態を入力してもらい、有症状者が一定程度報告された日には、すぐに抗原定性検査(検査キット)などを行って、大きなクラスターを防ぐということです。こうすると、感染者を見つける的中率が高くなり、より効果的な方法になるのです。

ただし、症状があるのに、『軽い症状だから』『休めないから』と黙って働き続ける人がいると感染拡大防止には全くつながりません。実際、かなりいるようです。その人たちは、なぜ黙っているか。

その一つの要因は、周囲の同調圧力です。ひとたび陽性者が出ると、その人が所属する組織が過敏に反応する。そういう空気を感じている個人は『同僚に迷惑がかかる』とか、『陽性と知れたら辞めさせられるのでは』という不安を抱くのです。

こうした偏見への恐れが検査や健康アプリの活用を滞らせる一因になっているように思います。『もっと検査をやれ』という人は多いのですが、こうした視点からの分析も必要です」

——日本人の公衆衛生の意識の高さや同調圧力はいい面もあるが、感染者に不利益を生じることもある。妙案はあるか。

例えば、緊急事態宣言で中止している大学のクラブ活動も、宣言が解除されればいずれ、部員たちが集まります。特に運動系は接触が激しいから、陽性者がいれば感染しやすい。したがって、解決策としては、クラブの当事者がその活動を再開したいと考えるならば、抗原定性検査(検査キットによる検査)を受けてください、というお願いをすることで検査を受ける動機につなげることはできないでしょうか。

もはや、感染することは、誰でもありえますよね。だから、仲間の陽性判定の事実がわかったら、対策に改めて気を配るきっかけをもらったと受け止めていただきたいんです。周囲は白い目で見るのではなしに、『警告を発してくれて、ありがとう』と感謝するようなカルチャーをつくらないといけません」

——保健所や医療提供体制についても感染スピードにキャパシティがおいつかない窮状が繰り返し起きている。

「先ほどの検査によって感染状況が判明しますが、これを対策の側から見ると貴重な疫学情報になる。この情報をデータとして集約していくのが保健所で、そのデータを国や自治体の対策につなげるためには情報の『質』と『スピード』が、専門家としての大きな課題として意識されてきました。

その予兆をできるだけ早くつかんで対策にいかそうと、分科会では4月15日に『新しい指標』を発表しました。

感染拡大の早期探知を目的に『感染拡大の兆しを早期に捉える指標』と『強い対策を取るタイミングの指標』の2つからなりますが、国に助言する専門家としては、こうした指標を活用して、早い段階でリバウンドを防いでもらいたいと考えています。

ところが、国と自治体、都道府県と政令市等の間にそれぞれ見えない壁があり、適切なタイミングで充分な質の情報が上がってこない。これでは変異株のスピードに先手を打つことはできません。

『壁』は有事における国と自治体の権限・役割分担が不明確で、さらに、平時のルールが有事の妨げになっているのです。平時には、個人を守るために機能を発揮するルールでも、危機対応では公共の利益の観点から別のバランスがありうるのではないでしょうか」

——人口あたりの病床数が先進国の中でも突出している日本が、どうしてこんなにすぐに医療逼迫に陥るのか、という疑念が国民に広がっている。分科会も繰り返し医療提供体制の整備を提言しているが、何がネックなのか。

「現在緊急事態宣言が出ている大阪府は、数値から見れば緊急事態宣言を発出する水準のステージⅣを通り越して、(実際にはないが)ステージⅤとでもいうほど病床数が逼迫している。

すでに地元の医療界は頑張っておられますが、そもそも国の影響力が届きにくい民間病院が多いこと、これらの民間病院には比較的小さな病院が多いこと、さらにICUなどを持ち急性期医療を行っている民間病院は少ないことなど、日本には根源的な難しさがあります。

今の局面は、災害医療と同じように考えるべきです。国はさらに音頭を取って全国的な医療従事者の派遣や、患者の転送などの協力を進めてほしいと思います」

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——東京都墨田区や長野県の松本医療圏など、基幹病院と支援に回る地域の病院や医師の連携が回っている地域の取り組みも報じられているが、厚労省は、こうした体制づくりのため各地の医師や民間病院に強い指示が出せないものか。

「医師や病院に対して国が強い指導力を発揮する英国のような仕組みとは違い、日本の厚労省というのは公立や民間などさまざまなステークホルダーの意向を尊重する必要があって、上から目線ではいわない。平時はそれも大切ですが、危機の局面ではどうなのか。この機会に考えてみる必要はあります」

——医療提供体制の拡充やワクチン接種準備で、国民が納得するだけの結果を示せないことに国民は苛立ちを感じている。強権的なイメージが強い菅義偉首相だが、結果を示せない理由は?

「それは政治のことだから、私にはわかりません。ただ、総理大臣は、いろいろなことを今、四方のことを考えなければいけない立場にあるんでしょう。そう思います」

——欧米諸国と比較した時、同じ私権制約を伴うコロナ対策法制でも、ドイツでは各州の権限で商店や集会施設などが閉鎖され、公共の場で3人以上が集まることが禁止され違反者には罰金が適用される。シンガポールでは公共の場でのマスク着用義務や外食時の人数制限があり、重い違反には約80万円の罰金や禁固刑もある。日本では2月に新型インフルエンザ等対策特措法が改正されたが、規制対象は飲食店など事業者側。それ以上については議論することそのものがタブーになっている。

「それは本質的な問題です。パンデミックの局面では、『個人と社会の健康を守る』という公共の利益の要請と、『個人の自由』という人権の尊重の要請という2つが違う方向を向いていて、ぶつかることもあります。

日本の法制度が、個人の行動というものには制約をかけない仕組みになっていて、それは日本の国民が選んだ政治家が国会で決めたことです。

実際、今、多くの人は、罰則がなくとも感染対策に協力してくれています。協力してくれない人も含めて接触を回避してもらう環境づくりとして、百貨店や寄席の休業要請のような、社会全体を止めるような対策をしているということです。

かくいう私も、できるだけ個人の価値観や自由を尊重する仕組みが日本のような民主国家にはふさわしいと思っている一人です。ただ、今回は、100年に1度くるかどうかの大クライシスですよね。

こういう有事に、「個人の自由・権利の尊重」と「公共の利益」のバランスについて、我々一般市民がどのような社会を望むのか。

つまり、感染症に強い社会をどのようにつくっていくのかについて、国民的な議論をする時期にきていると思います」

——有効性の高いワクチン開発という「福音」と変異株という「脅威」が同時に到来し、私たちはどう構えたらいいのか、複雑だ。

「緊急事態宣言の解除後、感染リスクを抑える工夫をしつつ外に出てもらえるようになるのが理想ですが、それこそが先ほど申し上げた『感染症に強い社会』づくりです。

例えば、飲食店にいつまでも休業や時短をお願いしているわけにもいきません。行政がしょっちゅう見回りを続ければ、警察国家のようになりかねません。

そうではなく、換気、人数制限を組み合わせた対策ができているお店への認証制度をよりよくしていく。また、どのような行動は感染リスクが高く、どのような行動は感染リスクが低いということを、社会のみんなが共通の理解を持つことも必要です。

さらに、これまでは、人々の協力に頼る部分も多かったですが、これからは、ワクチン以外にも、先ほど申し上げた健康アプリや検査、疫学情報のIT化及びAIを活用しての情報分析などテクノロジーの活用を加速していくことが重要です。

こうした工夫を重ねることで、感染症に強い社会というものを少しずつ試していく時期がやってきていると思います。先ほどまでお話しした検査やデータ集約は、そうした社会づくりのツールになります」

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——欧米では2020年の死亡数が平年を上回る「超過死亡」が生じたが、このほど明らかになった最新の人口動態調査によれば、日本の20年の死亡数は前年を約9000人も下回った。コロナのための感染対策が、インフルエンザや肺炎などの流行を抑制したとみられ、約2万人ずつ増えていた傾向から見ると平年より約3万人も死者が減った計算になる。一方で、コロナ対策のために政府は巨額の予算を支出してきた。このバランスに見直す余地はないのか。

「医療現場は今、コロナに対する非常に強い危機感を持ってなんとかコロナによる死者を減らそうと力を注いでいます。ただ、コロナ以外の一般医療も国民の健康にとって大切なものです。

一人の高齢者にとっては、コロナによる死も、ほかの疾病による死も同じように死として近づいてくる。現在はパンデミックを抑止するために『コロナ診療』を重んじていて、結果、一般医療に犠牲を強いている可能性があります。

いつまでこの構えを続けるのか。こうした状況は長くは続かせるべきではないと思います。ちなみに、巨額の予算支出については、日本のような個人への強い縛りを行なえない国で対策の効果を上げるためには、必要なものであったと考えています」

——マスクはいつになったら外せる?

「まだ医療従事者のワクチン接種も済んでいない状態ではありますが、高齢者への接種がすめば、一定程度の安心感ができる、と見てきました。ただ、今回の変異株の登場で、比較的若い人でも重症化する可能性が出てきました。このため、シナリオは少し、変わってきていると思います。

今後、一般の人に接種が広がったとしても、感染はしばらく続くと思うので、マスクの着用もしばらくは必要でしょう。22年の年が明け、2回目の接種が進行していくと徐々に、コロナも一般の病気と同じような感覚で受け止められるようになっていくのではないでしょうか」

(インタビューは4月26日に行われた)

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