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コロナ下で読んだ「わたしのベスト3」 詐術としての音楽小説|片山杜秀

音楽は時間だ。音楽を味わうには時の推移を記憶せねばならない。3分のポップ・ソングなら、うまく最初から覚えて最後まで聴き通せるかもしれない。しかしマーラーやブルックナーの1時間以上掛かる交響曲だとどうか。30分聴いたところで最初の1分を思い出せるか。至難の業だ。たいてい混乱する。忘却している。記憶の捏造も容易に起こる。聴いたのと違う旋律を覚えたつもりで口ずさんだりする。したがって上手な音楽小説とは、音楽をネタに用いつつ、記憶の関節を外し、夢とうつつ、生者と死者、本物と贋物の区別を曖昧にし、壮大な詐術を展開してゆく小説になるだろう。

その意味で最上級の音楽小説集が、村上春樹の『一人称単数』だ。架空のレコードの批評文を書いたつもりがその現物に中古レコード店で出会って驚くとか、品川育ちでブルックナー・ファンの猿が上州の湯治場で働いていて、しかもその猿が人の記憶を盗む一種の超能力を持っているとか、そんな短編が並ぶ。後者なんて、長丁場のブルックナー聴取の中で意識が朦朧とし記憶の混乱を起こしたことがないと、思いつけまい。そして極め付きは、シューマンのピアノ曲について語りまくる女性詐欺師の魅力に主人公が絡めとられる短編だろう。音楽は人を酔わせ、記憶を乱し、人を容易に騙す。

そうだ、私はこの村上の本の前に、近代英国の2つのディストピア小説、サミュエル・バトラーの『エレホン』と、H・G・ウェルズの『世界最終戦争の夢』を読んだのだったけれど、共に音楽とごまかしに触れていたぞ。前者では、店内にこの世のものと思えぬ不思議な音楽が流れる銀行の様が描かれ、その音楽が弱者の切り捨てられる過酷な社会の現実を忘れさせる。後者では、やはりこの世ならぬ不思議な音楽に人々が踊り狂ううち、最終戦争が迫り来る。優れた作家は音楽小説の醍醐味を知っている。騙りの満ちる疫病時代、気持ち良い音楽にくれぐれも注意しましょう。

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