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長嶋茂雄「東京五輪のアスリートたちへ」競技場で気兼ねはいらない! スポーツには人間を感動させる力がある

取材・構成=鷲田康(ジャーナリスト)

「競技場では気兼ねはいらない!」

「新型コロナウイルスは、世界中の政治や経済を混乱に陥れてきました。そして、このたびは我々の夢と希望である東京オリンピック・パラリンピックを前例のない、新しい様式へと変化させようとしています。

しかしながら出場するアスリートの皆さんには、この混乱に動じることなく、日頃の成果を思う存分、出し切って欲しいと思っています。日の丸を背負っているという誇りを忘れずに、大会までの残されたわずかな日々を競技活動に打ち込んで欲しいと願うばかりです。

競技場では気兼ねはいらない! 私も心の底から応援しています」

東京五輪の開幕まで1カ月余りと迫った6月上旬。巨人軍終身名誉監督でアテネ五輪野球の日本代表監督だった長嶋茂雄さん(85)からアスリートに向けたメッセージを受け取った。

2018年夏に少し体調を崩した長嶋さんは、新型コロナウイルスの感染拡大などもあり、公の場にはあまり姿を見せなかった。

しかし今年の3月26日のセ・リーグ開幕には久々に東京ドームを訪問。巨人・原辰徳監督をはじめとしたナインを激励した後、DeNAとの開幕戦を観戦した。

その後も不振でファーム落ちしていた丸佳浩外野手を激励、アドバイスするため、ジャイアンツ球場に足を運ぶなど、“野球人”として再び動き出した様子がメディアを賑わせている。

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長嶋茂雄氏

「とにかく金メダルを‼」

そこで7月23日に開幕する東京五輪について、また08年の北京大会以来、3大会ぶりに五輪で復活した野球の日本代表について、無理を承知で取材をお願いできないかとコンタクトを取ると、「文章でのやり取りなら」と快諾を得たのである。

冒頭のメッセージはその一部だ。

コロナ下での開催に心を痛めながらも、参加するアスリートたちに寄り添って激励のメッセージを送る長嶋さんは、野球の日本代表への期待や注目点についてこう語っている。

「まず優勝して欲しい! とにかく金メダルを取って欲しい!! その金メダルの鍵となるのは、“日本野球の素晴らしさ”を世界に誇ることだと思います。

もちろん試合の勝敗には、個々の選手のテクニックやゲーム上の戦略などが大いに影響するでしょう。ただこの度のオリンピックでは、稲葉篤紀監督の下で“日本野球の素晴らしさ”を出し切れば、おのずと結果がついてくるのではないかと思っています。

今回の東京オリンピック・パラリンピックは前例のない厳しい環境の中での開催となります。しかし野球ばかりではなく参加するすべてのアスリートの皆さん、観戦する我々も忘れてはならないのは、スポーツには人間を感動させる力があるということです。そしてスポーツの使命は、その感動を分かち合うことなのです。

すべてのアスリートの皆さんが、この晴れの舞台で思う存分に躍動されることを願っております」

五輪には特別な思いを寄せている長嶋さんならではの激励の言葉だ。それは様々な論議が渦巻くなかで開催される東京五輪に参加する全てのアスリートたちへの熱いメッセージとなるものだった。

13年9月の国際五輪委員会(IOC)総会で20年の開催都市が東京に決まり、16年8月には野球・ソフトボールなどが追加種目として正式に承認された。そこから何度か長嶋さんに対して、五輪競技としての野球と五輪そのものへの思いを取材する機会があった。

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稲葉監督

「オリンピックは特別なの」

04年のアテネ五輪では、日本球界史上初めてオールプロによる“ドリームチーム”が結成された。その強化本部長として、また現場の監督としてチーム編成から本大会出場をかけたアジア最終予選の指揮を任されたのが長嶋さんだったのである。

しかし03年11月に行われたアジア最終予選で五輪切符を手にしながら、翌04年3月4日に脳梗塞で倒れ、本大会でチームの指揮を執る夢はかなわなかった。

その後は脳梗塞の後遺症による右半身の麻痺などが残る中で必死のリハビリに取り組み、東京五輪に対して「何らかの形で関わることができたら、自分にとって最高の人生になる」と意欲を燃やしていた。

そんな長嶋さんに私が最後に直接、取材をしたのは18年の4月21日のことである。

東京都渋谷区初台にあるリハビリ専門病院で、まるでウエイトトレーニングかと見まがうような激しいリハビリメニューをこなすところを取材することとなった。そのときほとばしる汗を拭いながら、長嶋さんは五輪への熱い思いをこう語っていたのである。

「やっぱりオリンピックは特別なの。野球ならWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)があるし、他の競技もワールドカップや様々な国際大会がある。ただ、それは一つの競技の大会です。オリンピックはそうした様々な競技が一堂に会して、それぞれの選手たちがそれぞれの国の旗の下に集結して戦う大会なんです。次の東京オリンピックでは、野球も再びその中の1つとして日の丸を背負って戦う。そういう重みを持った大会はオリンピック以外にはないわけですよ」

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昭和39年大会の記憶

“For The Flag”とは長嶋さんがアテネ五輪の代表監督に就任したときに掲げたチームスローガンだ。日の丸の下に全ての競技のアスリートが集い、国を背負って闘う。その象徴として野球の日本代表のユニフォームは、胸の日の丸とは別に、背中の首の付け根にも小さな日の丸をあしらった。そのデザインを提案したのも長嶋さん自身だった。それほど長嶋さんにとってオリンピックは特別な重みと思い入れがあるものである。

長嶋さんが五輪と「出会った」のは、1964年の東京大会だった。報知新聞の「ON五輪をゆく」という企画で、王貞治現ソフトバンク・ホークス球団会長と様々な競技場に赴き観戦記を寄稿した。

そのとき長嶋さんの心には、五輪の原風景とも言えるものが刻まれたのである。

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