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西寺郷太 小説「'90s ナインティーズ」#14

第二章
BIRD SONG / 自由の小鳥

★前回の話はこちら。
※本連載は第14回です。最初から読む方はこちら。

 1995年6月25日、日曜日。

 目覚めた僕は石神井公園の焼き鳥屋で上条兄弟と飲んだ昨夜の記憶をぼんやりと反芻しながら、TVをつけた。SHARP の14型ブラウン管に映し出されたのは「いいとも! 増刊号」。番組アシスタント「あさりど」が笑っている。

 深夜1時過ぎ。飲み終わった頃には終電の時間も過ぎていた。二人は「大丈夫か?」と心配してくれたが、僕にとってはむしろそこからが至福の時間だ。ヘッドフォンをしてディスクマンで好きなアルバムを聴きながらダラダラと歩く。選んだのは、ティーンエイジ・ファンクラブ《バンドワゴネスク》。湧井さんにバイトで出会った半年前、彼に最初に買うようにと勧められたCD。1991年の作品だ。

「このアルバム聴きながら帰るんで全然大丈夫です!」

 僕は派手なピンク色の《バンドワゴネスク》のジャケットと、出たばかりの彼らの新譜《グランプリ》、そしてこれまた数日前にリリースされたマイケル・ジャクソンのベスト盤と新譜がミックスされた《ヒストリー》二枚組CDをリュックから出して見せた。

「ふふ、めちゃくちゃ持ってる」

 盛也さんが笑った。

「あるって帰るのも、楽しいよな、気いつけて。というか今、ティーンエイジとマイケル、同時に聴いてるのゴータくらいだよ、はは」

 欽也さんも笑った。

 石神井公園から適当に南下すれば早稲田通りにたどり着く。トータル2時間ほど歩けば、東中野だ。《バンドワゴネスク》を聴き終えて、《グランプリ》にスウィッチ。好きな音楽さえあればどこまででも行ける。帰り道、ひとりティーンエイジ・ファンクラブを爆音で聴きながら考えていたのは「バンド」のことだ。自分達のバンドがあって、協力してアルバムを制作すること。たとえそのプロセスでメンバー間に感情的なトラブルが巻き起こったとしても、すべて作品の中に落とし込める……。欽也さんと盛也さん、そしてこんな凄い先輩達とバンドを組んでいる、自分とほぼ同い年のベーシスト林ムネマサが本当に羨ましかった。

「いいとも! 増刊号」はダラダラと日曜日の午前中を染めてゆく。上条兄弟と飲んだ翌日だからだろうか、「双子の工藤兄弟は、いつ『いいとも青年隊』を辞めたんだろう」と、妙に気になったもののそれを知るすべなどない。ぼやっとそのまま眺めていると「テレフォン・ショッキング」のまとめコーナーでタモリが「今日は久しぶりですねー、荻野目慶子ちゃんです! うわわ」と、本当は妹の荻野目洋子がゲストなのに姉の名を間違えて呼んだシーンがピックアップされていた。「きょうだい」か……。

 ふと実家の京都から、高校一年生の弟がこのところ学校に通わなくなっているという話がきていたのを思い出した。友達や女子の家を泊まり歩き、困り果てた母親は夜中に鴨川の河川敷や三条、四条河原町などへ探しに行くなどして疲弊しているようだ。僕は弟への伝言を母親に託した。「京都は狭い。どうせ学校に行ってないなら、しばらく気分転換に東京に来たらどうか」と。親には反抗していた弟も6歳上の兄である僕の言うことだけは、まだ素直に聞いてくれている。彼が東京に来たならば、今の下北沢や周囲の先輩たちとのとんでもなく楽しい状況を味わわせて「ともかくなんとか高校だけは卒業し、その後上京してこい」と、諭すつもりだった。

 その日もとりあえず、夕方までは自分のソロ・プロジェクトのオリジナル曲2曲を収録したカセット・テープをダビング。日課となったこの作業だが、もうすぐ2ヶ月になり曲を増やすべき次の段階が来ていると感じていた。歌詞カードをプリンターで印刷。自分でカッターで丁寧に切って折り畳む。ジャクソン5はもちろん、ダイアナ・ロス&ザ・スプリームス、ザ・テンプテーションズ、スティーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイなどモータウン所属アーティストへの憧れがともかく強い僕は、自分のマンションの一室を「GOWTOWN HITSROOM」と呼んでいる。モータウンのデトロイト、ウェスト・グランド通りにある最初の本社は「ヒッツヴィルUSA」。モータウンが「ヒットの街」ならば、こちとらワンルーム・マンションだから「ヒットの部屋」だ、と。

 ちなみに僕は高校時代からこの頃まで自分の名前を「GOWTA」と表記していた。ただし、海外の友人に「ガウタ?」と必ず呼ばれてしまうことと、ナチュラルさがクールさの証であった下北沢のギターポップ・シーンには、変わった英語表記で名乗る人などいないことに気づき、次第にフェイドアウト、通常の表記「GOTA」に戻す。それにしても、いい加減、ソロ名義も終わりにしなくては……。もし、仮に自分にとっては残念なことにしばらくの間はソロ・アーティストだったとしても、将来的にバンドやユニットにも発展出来る新しい名前を早くつけないといけない、そう思った。

 2時間ほどかけて、20本のカセットを「増産」し、下北沢駅まで向かう。スケジュールを確認すると、今夜の「CLUB Que」では「叫ぶ詩人の会」による「阪神大震災救済LIVE」が開催されるらしい。いつもの仲間はいないだろうが、「SHELTER」や「251」、喫茶店「ぶーふーうー」に立ち寄れば誰かと会えるはずだ。

 後で彼に自分の居場所が分かるようにとカズロウに電話をかけると、当然のように留守番電話。ニルヴァーナの〈レイプ・ミー〉のサビのコーラスが割れた音で鳴り響く中、奴の「前田カズロウです。ただ今、留守にしております。用件をどうぞ」という声が聞こえてくる。なんでわざわざ〈レイプ・ミー〉を留守電のBGMに選ぶねん、と軽く腹が立ちつつも「あのー、ゴータです。カズロウ、仕事中ごめんー。今日、これから下北沢に行きます。最後はともかくケースケさんのバーに行きます。お互い、どっかで見つけて合流しよなー、じゃねー」と吹き込んだ。

 下北沢ビッグベンビルにいつものように辿りついた時、まだ外は明るかった。一旦「CLUB Que」を覗いて店長の二位さんに挨拶でもしようかと階段を降りかけたが、客がすでに行列を作っていたので諦めて地上に戻る。その時、一階の路面店「ファーストキッチン」の方向から「おーっ、天才ー!」と声が聞こえた。数回、茶化すようなトーンで「天才ー!」と聞こえたので目をやる。その声の主は、日高央。

 サニーデイ・サービス、ZEPPET STORE、そして N.G.THREEなどを輩出したインディ・レーベル UNDER FLOWER RECORDS のコンピレーションCDに、彼のバンド「PESELA-QUESELA-IN(ペセラ・ケセラ・イン)」の楽曲が収録されていて、僕は彼の作る楽曲のクオリティに度肝を抜かれていた。日高さんは、僕が数日前に渡したデモ・テープを聴いてくれたようだった。

「あのねー、ゴータねー、俺、思うけど君は天才! すげーよ、俺本当のことしか言わないから」

「えー……。日高さんに褒められるなんてめちゃくちゃ嬉しいです。僕もケセラ・パセラ・イン聴いて、すごいなと。ともかく曲が良くて」

「おぅ、天才! バンド名、間違ってるよ。ペセラ・ケセラ・インね、あはは」

「うぁー、マジですか、すいません!」

「あはは、呼びにくいバンド名だから正確に呼べた人の方が少ないんで全然いいよ。いやいや、今日は、ちょっと急いでるからあれだけど、また話そう。ゴータは、ちょっとこの辺にいる奴では頭抜けた曲書ける奴だと、俺は思う。そういうの見抜けちゃうんだよね。ともかく天才、またな。じゃなー」

〈自由の小鳥(Bird Song)〉〈She Goes 彼女は、ゆく〉、2曲のテープを配り始めてから、自分に対する風向きが急激に変わったことを感じていた。それまでほとんどなかった称賛の声が突然聞こえてくるようになった。誰に褒められてももちろん嬉しかったが、とりわけ自分がその「音楽的才能」に惚れ込んでいる先輩から認めてもらうことほど自信になる経験はない。日高さんはまさにその一人だった。

 急激な自分の進化。その理由を突き詰めると、一つは僕が自分の好きな音楽に「妥協」しなくなったことに尽きる。それまでの僕は「バンド」というフォーマットに憧れ過ぎていた。ギタリスト、ベーシスト、ドラマー、キーボーディスト、それぞれに彼らの追求する音楽を楽しんでもらいたい、そうでないと彼らがバンドから離れてしまう、という弱気と危機感に苛まれていた。その姿勢が、誰にとっても「ピュア」な音楽ではなくなり濁った原因だと思う。サークルの後輩で、2年間ギターやキーボードを頼んでいた才能あふれる勝木亮太がバンド「Slip Slide(スリップ・スライド)」を辞める時、「正直、郷太さんの音楽は一度も自分に合っていると思わなかった。好きじゃなかった。ポップ過ぎるんですよ、俺はもっとロックなんです」と言われたトラウマが身体中に残っていた。

 自分にはコードワークやアレンジ面で頼る誰かが必要だった。ただ「相棒」になってほしいと懇願した亮太に忌憚なくそこまで断言されたことで、踏ん切りはついた。結局、俺にはバンドは無理だ。ソロ・アーティストとして生きるしかない。前途は多難。心は痛むけれど……。

 そんな風に追い込まれた魂のギリギリのところから生まれてきたメロディと言葉こそが人の心を動かしたのだろうか。僕はギターもベースも流暢なプレイは何ひとつ出来なかったが、相手に媚びて自分を曲げてもロクなことがないと思い知った先に生まれたのが〈自由の小鳥〉だったことは間違いない。

〈自由の小鳥〉を聴かせてしばらくした夜、湧井さんは、「銀河英雄伝説」が好きな彼らしい表現でこんな言葉をくれた。

「凄いじゃん。これ、いいよ……。もしかしたらって思うんだけどさ。最近の皆のムードを見てると、俺がヤン・ウェンリーだとしたら、ゴータがユリアンなのかも知れないなー、って」

「志半ばでヤンがどうなったか知ってる僕に、そんなこと言わないでくださいよ。あはは、何言ってるんですか」

「今、21だろ。若いって大事だよ。俺なんかすぐ越えられるよ、ふふ」

「いや、ちょっと待ってくださいよ、湧井さん!《DISTORTIONS》、出来上がっている曲だけでもマジでやばいです! あんなアルバム、僕もいつか作りたいです」

 その言葉を聞いた湧井さんは口角を上げて軽く微笑んだが、何も言わなかった。

「湧井さん、俺も1枚でもいいんで、最初の1秒から、最後の一瞬まで納得出来るアルバム、プリンスの《パレード》みたいなアルバムが作ってみたいです。自分が心から満足出来るアルバムが出来るなら死んでもいいと本当に思ってます」

「いや、死ななくていいでしょ、あはは。出来るよ、もちろんクオリティはそれぞれかもだけど、アルバム作るなんて必ず出来る」

 湧井さんとの会話を思い出しながら、僕は、Que の入り口前から下北沢駅南口までふらっと歩き始めた。すると駅の方向から一人の男が歩いて来た。この時、僕は初めて曽我部恵一を見た。ロック雑誌での姿そのまま、飄々とした佇まいの彼の元に、一人の女の子が駆け寄り話しかけている。ニコッと笑った彼は握手をし、軽く会釈をしてスッと通り過ぎ僕がさっきまでいた Que の方向へと消えて行った。せっかく自分のデモテープを大量に用意してきたことを忘れ、僕は彼の後ろ姿に思わず見とれてしまった。1995年初夏……、ここ下北沢では彼と彼のバンド、サニーデイ・サービスの噂ばかりが満ち溢れていた。

(第二章 終わり)

★今回の1曲ーーTeenage Fanclub - Mellow Doubt (1995)

(連載第14回)
★第15回を読む。

■西寺郷太(にしでら・ごうた) 
1973年東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成したバンド「NONA REEVES」のシンガー、メイン・ソングライターとして、1997年デビュー。
以後、音楽プロデューサー、作詞・作曲家としてもSMAP、V6、YUKI、岡村靖幸、私立恵比寿中学、「ヒプノシスマイク」など多くの作品、アーティストに携わる。
近年では特に80年代音楽の伝承者としてテレビ・ラジオ出演、雑誌連載など精力的に活動。マイケル・ジャクソン、プリンスなどの公式ライナーノーツを手がける他、執筆した書籍の数々はベストセラーに。
代表作に小説『噂のメロディ・メイカー』(扶桑社)、『プリンス論』(新潮新書)、『伝わるノートマジック』(スモール出版)など。
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