この東京のかたち

なぜ丸善は日本橋なのか――門井慶喜「この東京のかたち」#2

★前回の話はこちら。
※本連載は第2回です。最初から読む方はこちら。

 ハヤシライス、おいしいですね。薄切りの牛肉と玉ねぎをケチャップとウスターソースで煮こんで白いごはんにかけるという例のあれですが、いや煮こむのはドミグラスソースだとか、ごはんはバターライス一択だとか、こだわる人も多いでしょう。

 元来は、粗雑のきわみの料理でした。以下は明治初期の話と思われます。「丸善」創業者・早矢仕有的(はやし・ゆうてき)は、友達が来ると、たまたま台所に残っていた肉やら野菜やらをごった煮にして、ごはんといっしょに出したとか。「丸善」とはもちろん、現在もなお国内有数のブランド力を誇るあの書店です。

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 これがハヤシライスの起こりである。料理名はもちろん早矢仕の姓から……というのはもちろん一説にすぎず、ほかにも有力な説がありますが、ここではまあ全員正解ということにして、注目すべきは、とにかく早矢仕がみずから料理したことでした。

 いわゆる「男子厨房に入らず」の時代です。ふつうなら沽券にかかわるとばかり妻や女中にやらせるところです。ましてや彼はこのとき30代の男ざかりだったのですが、つまりそれだけ世間のしきたりを気にしない人だったんですね。また手先が器用でもありましたから、要するに食えればいい、自分でやるほうが早いと思っただけなのでしょう。

 早矢仕有的という人は、こうした合理性最優先のエピソードに事欠きません。「夏でも冬服で用が足りる」と言って1年を1着で押し通し、そのためズボンの尻が破れたとか、床の間は本や新聞や瓶や鉱石でいっぱいだったとか。

 生まれた双子のうちのひとりが生後まもなく亡くなると、メスをとり、みずから解剖したというのは空恐ろしいものを感じますが、彼自身には、それが誠意のしるしだったのかもしれない。彼はもともと医者でした。美濃国笹賀村では評判の名医でしたが、江戸に出て(まだ徳川時代でした)、坪井信道に蘭学をまなび、福沢諭吉に英学をまなびました。

 坪井信道の弟子のひとり緒方洪庵は福沢諭吉の師ですから、早矢仕はここで師の師の師と師にまなんだことになる。ややこしい話ですが、当時の日本ではまず王道というべき課程でした。

 たぶん早矢仕は、医者をつづけたかったのでしょう。みずから患者のいのちを救う西洋医学の開業医。それが福沢に、

 ――商売をやれ。

 と勧められるにおよんで、明治2年、横浜に輸入商「丸屋」をひらきました。いまの丸善です。舶来の本や薬品などをならべて繁盛し、翌年には東京日本橋に最初の支店をつくりましたが、ふしぎなのは、その10年後(明治13年)にはそれを本店にしてしまったことです。

 つまり根拠地を横浜から移した。これはなかなか異例でした。なぜなら「丸屋」は、くりかえしますが輸入商です。そうして横浜は日本初の開港場であり、街そのものが西洋文物の吸引機ですから、本店はそこへ置くほうが諸事便利のはずなのです。なのに……この疑問に対しての、昭和55年(1980)刊『丸善百年史』(社史の名著です)の回答は、

 ――日本橋は、本屋が多かったから。

 というものでした。「丸屋」の品ぞろえは洋書が中心だったから、こんにちでいう出版社や、問屋、古本屋までもが軒をならべる「書籍商業の中心地に進出」したのだと。

 私はそれに異を立てません。ひとつのたしかな事実でしょう(神田神保町に古本屋がふえるのはこれ以降です)。しかしながら当時の日本橋は、本にかぎらず、あらゆる品物の中心地でもありました。

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 かつおぶしの「にんべん」、扇子や団扇の「伊場仙」などの現在もつづく老舗はもちろんのこと、お茶や蝋燭、筆や墨などの問屋もあったといいます。全品完備の観があります。そこにはおそらく、この街が、徳川時代から五街道の起点だったという事情があるでしょう。すべての街道が集まるところには人手が集まり、資金が集まり、諸国の物産がずらりと顔をそろえるのはむしろ当然で、おどろくには値しないのでした。

 いってみれば日本橋は、国内を向いた開港場。街そのものが日本文物の吸引機。つまりは鎖国時代の横浜なのです。その日本橋でいちばん有名な呉服商の名前が「越後屋」というのは、だから偶然ではありません。創業者・三井高利はもともと伊勢松坂の生まれでしたし、この店はいろいろな経緯ののちに現在は三越百貨店となっています。三井の越後屋だから三越です。

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 こういう日本橋の性格は、明治以降も変わりませんでした。そういうところへ本店を置くことで、早矢仕有的は、おそらく二重の印象づけをねらったのでしょう。

 横浜の洋書を日本橋で売る。新来と旧来の国際都市。これがもしも横浜のままだったら丸善の印象はもっと超俗的というか、ごく少数の知識人相手という感じになっていたでしょうし、おなじ東京でも、たとえば「鉄道での運搬に便利だから」という理由で新橋あたりに本店を置いたとしたら、こんどは大衆的になりすぎていた。横浜=日本橋のダブルイメージの勝利なのです。

 早矢仕有的というあのみずから友人へ料理をふるまった「手の人」も、こういうときは非物質的な「印象」を優先した。君子豹変というべきか、一貫した合理性というべきか。みなさんもぜひ考えてみてください。

(連載第2回)
★第3回を読む。

 門井慶喜(かどい・よしのぶ)
1971年群馬県生まれ。同志社大学文学部卒業。2003年「キッドナッパーズ」でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。08年『人形の部屋』、09年『パラドックス実践』で日本推理作家協会賞候補、15年『東京帝大叡古教授』、16年『家康、江戸を建てる』で直木賞候補になる。16年『マジカル・ヒストリー・ツアー』で日本推理作家協会賞(評論その他の部門)、18年『銀河鉄道の父』で直木賞受賞。その他の著書に『定価のない本』『新選組の料理人』『屋根をかける人』『ゆけ、おりょう』『注文の多い美術館 美術探偵・神永美有』『こちら警視庁美術犯罪捜査班』『かまさん』『シュンスケ!』など。
2020年2月、東京駅を建てた建築家・辰野金吾をモデルに、江戸から東京へと移り変わる首都の姿を描いた小説『東京、はじまる(仮)』を刊行予定。



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