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日本人の謎の笑い――スマイル仮面症候群 中野信子「脳と美意識」

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※本連載は第17回です。最初から読む方はこちら。

 感染者が日ごとに増えるような様相の中で、不安を抱えている人も多いのではないかと思う。

 改めて気になったのは、日本人の笑顔の使い方である。テレビ等の動画メディアに映って「私も新型コロナに罹りました」という日本の人々は、表情に緊迫感を見て取ることが難しく、どちらかといえば飄々として、あまつさえ笑顔を浮かべながら話すというのが、海外の人に言わせればとても奇妙で不安になってくるとか。

 これは、気まずさを和らげようとして笑顔を作るのだと、日本にいれば現象としてはよく見かけるし理解できないことでもないの。しかしひとたび外国人に説明しようとするとかなり厄介だ。そもそもそういう笑いの使い方をあまり経験していない人たちであるので、理解をしてもらえない。幕末に日本を訪れたある外国人は、どんな時も不思議な笑みを浮かべる、と最も印象的だったことの一つに日本人の謎の笑いを挙げている。

 確かに、「私もう死ぬのかなと思っちゃって、アハハハ」と笑っているその笑いを、どう説明したらいいのだろうと、自分もしばらく考え込んでしまった。外国人である彼らは、「死にそうになったよ」と笑うことはないなあ、と言う。もちろん、人にもよるだろうけれど。

 笑顔には大きく分けて2種類ある。おかしくてつい、思わず笑ってしまう、いわばボトムアップ型の笑い。そして、社会的な場面に合わせて笑顔を作るという、脳内プロセスとして意思が笑えと命じて笑いを演じる、トップダウン型の笑いである。儀礼的で、周囲の空気に配慮した、表情のみの笑顔、といえばさらに理解しやすいだろうか。

 日本人にはこの後者の笑いが多いということが調査からも知られている。とかく「日本人の笑顔」は誤解されやすい。海外では単純に「私はあなたに危害を加えません、あなたと友好的に接したい」というメッセージを伝える以上の機能を持ってしまっているためである。欧米人は絶対に笑わないような状況下でも仮面の笑顔で処理してしまうのが日本人のとる方略である。

 他にも緊張や動揺、気まずい空気を感じた時にも日本人は笑顔をつくる。そればかりではなく、誰かを怒らせてしまったとき、逆に誰かを怒っているときにさえ笑いをつくることがある。笑ってごまかす、というとやや表現は良くないが、場の緊張を緩和させようとして笑いを使うのには一定の効果がある。

 強いプレッシャーを受けているとき、深刻な顔をしていると、余計におしつぶれされそうになってしまう。だから、何でもなかったことにする――別の人格を仮に作り出すような工夫をして、心理的なダメージを最小限にとどめようとするのである。日本人にとって笑顔は単なる感情表現ではなく、社会性を形成する重要な要素であり、相手に対する礼儀や思いやりでもあり、自分の心を守るための戦術でもあり、おかしいわけではない。笑う、という行為は、日本社会で生きていくためには外せないスキルの一つなのだろう。

 ただ、こうして、無理に笑顔を続けているうちに、職場や友人とのやり取りの場面ばかりでなく、家族の前でさえも作り笑顔が消えなくなってしまう人がいる。この日本人の笑いを、精神科医である夏目誠氏が「スマイル仮面症候群」と名付けている。ある種のストレスによる症状であるとされ、笑顔の仮面を外すことができなくなり、心身に負担がかかっている状態である。
私たちは、誰もが社会の中にあって役割を持って生活している。その役割をこなすには、本来の自分であることをしばしば覆い隠し、求められたペルソナを演じる必要がある。本来持っている性格そのままに、自然に振る舞いたいという衝動と、その衝動を空気を読む前頭前皮質が抑え込んでいるという均衡の上に私たちは存在している。時には病む人が出てしまうほどに、私たちの行動への「空気」の圧は強いものだが、確かに、美しい振る舞い、とは決して本能のままに振る舞うことではあり得ないのだろう。でなければ、これほどに巨大でランニングコストのかかる前頭前野を、出産を困難にしてまで私たち人類が保持している理由がわからない。

 脳が作り出した笑いの仮面を使いこなして、巧みに世間を渡りきることができるさまを、日本人は「美しい」という。美しさを取るのか、ただ思うままに振る舞う爽快さに身を委ねるのか、多様な生存戦略の絡み合うさまそのものも、また美しい模様を形成しているように見え、実に趣深い。

(連載第17回)
★第18回を読む。

■中野信子(なかの・のぶこ)
脳科学者。東日本国際大学特任教授。1975年生まれ。東京大学工学部応用化学科卒業、同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。医学博士。2008年から10年まで、フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)に勤務。脳科学、認知科学の最先端の研究業績を一般向けにわかりやすく紹介することで定評がある。17年、著書『サイコパス』(文春新書)がベストセラーに。他の著書に『ヒトは「いじめ」をやめられない』(小学館新書)、『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』(幻冬舎新書)など。※この連載は隔週土曜日に配信します。
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