コロナヴィールスで考えたこと|塩野七生「日本人へ」

文・塩野七生(作家・在イタリア)

コロナヴィールスの流行はいまだ先が見えていないが、いずれは終息するだろう。人類の歴史は流行病の歴史と言ってよく、いくらかの期間は置くにしろ、発生と終息のくり返しであったのだから。とは言え歴史上では、発生するのは後進国でそれが先進国に伝染してきて終息する、が常であったので前回のSARSも今回も発生地が世界第2の強国というのは、伝染病の歴史では異例になるのかも。

現代では「検疫」の意味の世界共通語になっている「Quarantine」とは、もともとは中世ヴェネツィアの言葉で「40日間」を意味する「Quarantena」に由来する。ヨーロッパとオリエントを結ぶ交易で成り立っていたヴェネツィア共和国は、オリエントで疫病が発生したからといって国境を閉じるわけにはいかない。また、中近東への聖地巡礼をパック旅行化するほどの観光立国でもあったので、オリエントからもどってくる船には、オリエント産の物産だけでなくヨーロッパ人の巡礼客も乗っている。

だがこの状態を放置しておくと、ヨーロッパの人口の4分の1は確実に死んだと言われるペストの大流行のくり返しになってしまう。人道上の問題だけでなく、経済的にも政治的にも大打撃をこうむりかねない。それで正確に言えば1423年、世界で最初の恒久的な疫病対策に着手した。

疫病発生地から来た船や、1カ月もの長い船旅の間に原因不明の病因で病人が出た船は、ヴェネツィアに帰り着いても都心部への着岸は許されない。リドの運河は通って湾内には入れても、ヴェネツィアを象徴する陽光を浴びてバラ色に輝やく元首官邸(パラツツオ・ドウカーレ)も遠く眺めるだけ。船はただちに右に導かれ、湾内に数多くある島の1つに強制的に下船させられる。島の名はラヅァレットだが、この名を聴いただけで誰でも、「隔離のための島」とわかるのだった。船着場以外は高い石塀で囲まれているが、広さはあり緑にも恵まれているので、居心地は悪くはなかったろう。だがここで、「40日間」を過ごすのだ。ようやく帰国できたというのに40日間もの隔離。居心地の良さにも配慮していたのは、この種のプレッシャーも無視しなかったということだろう。隔離中も、ヴェネツィア内の病院からの医者の監視はつづく。もちろん、隔離される前に病状があらわれた人は別の、同じくラヅァレットという名の島に移されて病因の解明が行われる。その結果、疫病患者と判明した人はその島で治療され、他の病気の患者はそれぞれ専門の病院に送られて治療がほどこされる。

今ならば波打ちぎわでの対策と言うのだろうが、人や物産の出入りを全面的に閉鎖することは許されないヴェネツィアのそれは、この面での先進国に恥じない完璧さだった。

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