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中国では、電子マネーの前にeコマースの普及があった 野口悠紀雄「リープフロッグ」

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◇中国で電子マネーが普及した背景

 前回、「中国では銀行のシステムや中央銀行券が不満足な状態であったために、電子マネーが普及した」と述べました。

 ただし、「商店での支払いに銀行券を使おうとしても偽札である可能性があって不便だから、電子マネーを作った」というようなわけではないのです。

 電子マネーは、別のところで誕生し、発展しました。

 「別のところ」とは、ネット通販などのeコマースです。そこでの支払手段として、電子マネーが誕生し、それが実店舗での取引にも使われるようになったのです。

 「中国においては、電子マネーの登場に先立って、eコマースが発展していた」という点が重要です。

 現在、中国のeコマースは、きわめて大きな規模になっています。

 eコマース最大手のアリババは、毎年の11月11日を「独身の日」として大々的なセールスを行なっていますが、2019年には、一日の売上高が2680億元(約4兆1000億円、384億ドル)にもなったと報道されました。

 これは、米アマゾン・ドット・コムの直近の四半期の売上高を上回るものです。また、日本のイオンやセブン・イレブンの半年分の売上高を上回ります。

 中国のeコマースの売り上げが巨額なのは、独身の日に限ったことではありません。全体としてのeコマース市場規模が、世界一なのです。

 経済産業省の資料によると、2017年の中国のeコマース市場規模は、前年比35.1%増の1兆1153億ドル(122.6兆円)でした。

 第2位のアメリカ(4549億ドル、50兆円)の2倍を超える規模で、日本の953億ドル(10.4兆円)の10倍以上の水準です。

◇先進国ではリアルな商店が発展していた

 では、なぜこのように中国でeコマースが急成長したのでしょうか?

 実は、この理由も、後に述べるように、リープフロッグなのです。

 つまり、実店舗が発展していなかったために、eコマースが発展したのです。

 アメリカでも日本でも、古くから商店が発達していました。

 日本では、地方の小都市に行っても商店街がありますし、少し大きな都市にいけばデパートもあります。

 アメリカでは、1950年代に流通革命が起こり、スーパーマーケットが増加しました。1960年代からは、郊外の大規模ショッピングモール(ショッピングセンター)が発展しました。

 日本でも、スーパーマーケット方式の商店が登場し、さらにコンビニエンスストアも生まれました。また、モータリゼーションに伴って、郊外のショッピングセンターも整備されました。

 このように、実際の店舗が充実しており、大変便利な状況にあったわけです。

 日本やアメリカでのeコマースは、それまでリアルな店舗でなされていたものを、インターネットに移したものです。 

 例えば、アマゾンは、それまで街の中の書店が行っていた書籍の販売を、インターネット上の取引として行ないました。

 楽天は、実際の店舗で行っている取引をインターネットで行なうものです。

 インターネット上の取引の方が簡単に注文できるし、重いものを持ち運ぶ必要がない、品揃えも豊富である等の理由によって、実際の店舗を駆逐していきました。

 これが、「アマゾン・エフェクト」と呼ばれている現象です(アマゾンのシェアが高まるにつれて、実際の店舗が縮小している現象)。

◇中国では、リープフロッグでeコマースが発展

 ところが、中国における状況は全く違いました。日本やアメリカのように発展した商業のシステムがなかったのです。

 ミン・ゾン『アリババ』(2019年、文藝春秋)によれば、2011年において、一人当たりの小売り面積は、アメリカが4.2平方メートルであったのに対して、中国では1.2平方メートルしかありませんでした。

 鉄道や道路も発達していなかったので、全国的な物流網を築くのは難しく、生産者は全国規模の市場にアクセスできませんでした。ほとんどのブランドは、地域レベルのものだったのです。

 全国的な広告、全国的な配送網、全国的な消費者向けの物流サービスは存在しなかったのです。

 社会主義経済が長く続いたことから、こうした状態になるのもやむを得ないことだったと言えるでしょう。

 このような状態にあるところに、eコマースが導入されました。それを行ったのは、ジャック・マーです。

 彼は、1990年代の末に、アリババというインターネットサイトを立ち上げました。

 これは、生産者と販売業者等をインターネットで結びつける事業者対事業者(BTB)の取引のためのサイトです。

 さらに、2003年に、「淘宝網(Taobao:タオバオ)」というインターネットサイトを立ち上げました。これは消費者を相手にした事業者対消費者のサイト(BTC)です。商品の提供者は、個人や零細企業です。

 品揃えが豊富であり、価格が比較できるので、小売店で買うよりもタオバオで買う方が便利だといわれます。

 2008年には「天猫(Tmall:テンマオ)」が設立され、ブランド品を扱うようになりました。

 中国は、リアル店舗の整備という段階を飛び越えて、eコマースという新しい流通形態に移行したということができます。つまり、リープフロッグしたのです。

 淘宝網での決済の手段として導入されたのが、アリペイという電子マネーでした。

 これがその後、リアル店舗での決済や公共料金の支払いなどに使われるようになったのです。

(連載第2回)
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■野口悠紀雄(のぐち・ゆきお)
1940年、東京に生まれる。 1963年、東京大学工学部卒業。 1964年、大蔵省入省。 1972年、エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。 一橋大学教授、東京大学教授(先端経済工学研究センター長)、 スタンフォード大学客員教授などを経て、 2005年4月より早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授。 2011年4月より 早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問。一橋大学名誉教授。2017年9月より早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問。著書多数。
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