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このままではコロナ時代の「自粛警察」の記録が消えてしまう|辻田真佐憲

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※本連載は第14回です。最初から読む方はこちら。

「あのタワマンは節電に協力せず、電気を浪費している。どうにかしろ」。東日本大震災のあとにも、そんな「自粛警察」が猖獗を極めていたことを憶えているだろうか。まだ10年もたってない最近のことだ。

 筆者は当時、自治体のウェブサイトにある「市民の声」や「市長への手紙」などのページをよく閲覧していた。そこには、上記のようなクレームが生々しく記されており、まるで戦時下の密告をほうふつとさせたからである。非常時ムードになると、現代人もこういうことをやるのだと驚き呆れたものだった。

 残念ながら、そのほとんどは現在見ることができない。古いものは削除されており、「インターネットアーカイブ」のような、過去のウェブデータを保存しているサービスでも確認がむずかしい。公文書としての保存年限もすぎているだろうから、もう完全に消えてしまったのではないか。

 では、今回のコロナ騒動でふたたび情報収集が期待できるかといえば、そうとも言い切れない。自治体のウェブサイトは、近年かなり「洗練」されて、クレーマーの声はそのまま載せず、要旨というかたちでキレイにまとめられることが多くなってしまった(たとえば、「市内の節電について教えてください」というように)。

 いま思えば、生の声をそのまま載せていた自治体はかなりラジカルだったわけだが、保存しておけばよかったと悔やまれてならない。

 その点、アジア太平洋戦争下の密告は、不十分ながら記録としてしっかり残っている。特高警察の文書「特高月報」(復刻版あり)を見ると、井戸端会議の雑談まで取り締まられていることがわかる。

 1943年7月上旬ごろ、栃木県足利郡で、42歳の女性が自宅前の路上で知人の59歳の女性にたいして、つぎのようなことを語ったという。

「子供が多いと全く骨が折れますよ、こんなに骨折つて子供を育てても大きくなると天皇陛下の子だと言つて持つて行かれて仕舞ふのだもの嫌になつて仕舞いますよ、子供を育てても別に天皇陛下から一銭だつて貰ふ訳でないのに大きく育ててから持つて行くなんてことするんだもの天皇陛下だつて罰が当るよ」

 この女性は「不敬言辞」により検挙され、取り調べを受けた。明言されていないが、雑談相手の女性が密告したということだろう。

 同年にはほかにも、岡山県浅口郡で、「性極めて狡猾兇暴にして酒を好み、時々矯激の言動を為し村民より蛇蝎の如く嫌忌され居る」男性が、「不敬反戦言辞」により検挙され、不敬罪と言論出版集会結社等臨時取締法の違反により検察に送局されたとの記録もある。これなど、ただの厄介払いの疑いすら湧いてくる。

 はっきり密告と記されている資料もある。「憲兵司令部資料」(『近代庶民生活誌(4)流言』に収録)によると、福岡県小倉市の大政翼賛会常務委員は、自宅参集中にほかの翼賛会員が風聞(対日協力政権である南京政府首班の汪兆銘が危篤云々)を流したと「憲兵ニ密告」したという(1944年5月3日付)。

 当時の警察や憲兵も、全国津々浦々まで自前の監視網を持っているわけではなく、当然、監視カメラや簡易なレコーダーなどの装置もなかった。そのため、密告はきわめて貴重な情報源だった。戦時下の息苦しい監視社会は、下からの協力によっても成り立っていたのである。

 こうした資料は、警察や憲兵のものだけに執拗に細かく、資料的な価値が高い。本来は非公開だが、日本が敗戦し、たまたま焼却処分もまぬかれたために、今日幸いにも目にすることができるようになった。

 ひるがえって、現在の「自粛警察」の密告はどうだろうか。警察や自治体の庁舎には、似たような投書やメールが殺到しているはずである。実際、大阪府のコールセンターには、休業要請を受けた店が「(まだ)営業している」との通報が4月20日までに500件以上寄せられたという。

 ただ、その具体的な内容になると、個人情報保護などの厚い壁に阻まれて、なかなか公開されないだろう。しかも、現在は文書管理の決まりがある分、その大部分は数年で処分される。このままでは、コロナ時代における貴重な密告の記録がなくなってしまう。現在の資料はある意味、戦時下のそれよりも儚いのだ。

「自粛警察」の密告は、ライブハウスなどに張り出された「警察に通報します」などの紙と同様、いまは不愉快なゴミでしかないかもしれない。だが、後年、かならず役立つときがやってくる。

 自治体レベルでも構わない。問題意識のある首長がトップダウンで、密告記録の保存措置をとってもらえないだろうか。東日本大震災から10年も経ずして、同じような差別や自粛強要が蔓延しているのも、記憶の適切な継承を欠いたことと関係している気がしてならない。

(連載第14回)
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■辻田真佐憲(つじた・まさのり/Masanori TSUJITA)
1984年、大阪府生まれ。作家・近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科中退。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書に『天皇のお言葉』『大本営発表』『ふしぎな君が代』『日本の軍歌』(以上、幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)、『文部省の研究』(文春新書)、『たのしいプロパガンダ』(イースト新書Q)、『愛国とレコード』(えにし書房)などがある。監修に『満洲帝国ビジュアル大全』(洋泉社)など多数。軍事史学会正会員、日本文藝家協会会員。
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