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群衆の熱狂にまかせて彫像や記念碑を破壊してよいのか|辻田真佐憲

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※本連載は第17回です。最初から読む方はこちら。 

 コロンブス、ワシントン、チャーチル――。米国の黒人差別反対デモをきっかけに、各国で人種差別に関わる彫像や記念碑を見直す動きが広がっているが、熱狂のあまり、それらを引き倒し、踏みつけ、歓声を上げる群衆の姿をみると、やはり大きな懸念を覚えざるをえない。

 英国西部のブリストルでは、17世紀に奴隷貿易で富を築いた商人エドワード・コルストンの像が、台座からロープで引き倒され、市内を引きずり回された挙げ句、港に沈められたという。

 なるほど、人種差別への反対はまったく正しいだろう。だが、その理想を掲げた団体や個人の振る舞いすべてが正しいとは限らない。

 あらゆる点で完璧な人間は存在しないのであって、運動の過程で、自分が目立ちたいばかりに他人の足を引っ張ることもあれば、「これが正義だ、なにが悪い」と不当な暴力を振るうこともある。

 過去に「政治的に正しい」とされた団体で起こった、さまざまな不祥事を思い出してほしい。人権派とされたリーダーが、実はセクハラやパワハラの常習犯だったなどということは、けっして珍しくない。

 このように人間には限界があるからこそ、これまで各種の制度が安全装置として整備されてきたのではなかったか。独裁国家は別だが、民主国家ならば、彫像など公共物の扱いは議会などでじゅうぶん議論されるべきだし、仮に撤去するにしても、博物館などに平和裏に移管されなければならない。

 さもなければ、つぎつぎに新しい「理想」とその「敵」が発見され、文明的とは言いがたい破壊行為が続くだけだろう。

 少し離れた例で考えてみよう。ロンドン北部のハイゲイト墓地には、マルクスの大きな墓が建っているが、これだって、「共産主義という諸悪の根源」として、爆砕せよと叫ばれるかもしれない。

ハイゲイト墓地のマルクスの墓。2014年4月筆者撮影。

 ハイゲイト墓地のマルクスの墓。2014年4月筆者撮影。

 あるいは、日本人にとってより身近な、夏目漱石。ロンドンで下宿先のひとつだった建物に設置された銘板(ブルー・プラーク)には、「日本の小説家・夏目漱石がここで暮らした」などと記されているけれども、これも考えようによっては危うい。

 というのも、漱石が1909年に満洲・韓国を旅行して書いた随筆「満韓ところどころ」には、「けれどもその大部分は支那のクーリーで、一人見ても汚ならしいが、二人寄るとなお見苦しい。こうたくさん塊るとさらに不体裁である」などの表現があり、しばしば人種差別的で、植民地主義的だと指摘されるからである。

 このように、「政治的な正しさ」を過度に追求すると、際限がなくなってしまう。

 もちろん、彫像や記念碑の見直しをしなくていいというわけではない。ただ、群衆の一時的な熱狂に任せて破壊するのはあまりに野蛮だと言っているのである。

 顧みれば、日本にも問題になりそうなものはたくさんある。1940年に宮崎市に建てられた「八紘一宇の塔」はその典型だろう。

 あまり知られていないが、その礎石は、日本本土だけではなく、当時の植民地や占領地などからも集められた。そのなかには、陸軍の部隊が、中国人の墓石を伐り出して送ってきたと考えられるものまであるという(「八紘一宇」の塔を考える会編著『新編 石の証言』鉱脈社)。

 事実だとすれば、たいへんおぞましい。しかしそれは、「八紘一宇」という理想の実態がどうであったのかを教えてくれる、格好の資料ともいえる。記念碑の類を、解説板などを工夫しながら、可能な限り保存したほうがよいと考えるゆえんもここにある。われわれの文化は多面的であり、特定の価値観で一刀両断できるほど簡単ではない。

 彫像や記念碑の見直しの波は、おそらく今回の人種差別問題とは別のかたちで、やがて日本にもやってくるだろう。だから、いまのうちに、つぎの原則を再確認しておきたい。

 正義は存在するが、人間は正義と一体化できない。

「当たり前のことを」という感想はもっともだ。だが、集団的な熱狂のなかでは、しばしばそんな常識は通用しない。その恐ろしさは、今般のコロナ禍にともなう「自粛警察」騒動で身に沁みたはずである。

(連載第17回)
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■辻田真佐憲(つじた・まさのり/Masanori TSUJITA)
1984年、大阪府生まれ。作家・近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科中退。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書に『天皇のお言葉』『大本営発表』『ふしぎな君が代』『日本の軍歌』(以上、幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)、『文部省の研究』(文春新書)、『たのしいプロパガンダ』(イースト新書Q)、『愛国とレコード』(えにし書房)などがある。監修に『満洲帝国ビジュアル大全』(洋泉社)など多数。軍事史学会正会員、日本文藝家協会会員。
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