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第53回「大宅壮一ノンフィクション賞」発表&選評

〈受賞作〉

『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』 文藝春秋 鈴木忠平すずきただひら

『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』 文藝春秋 樋田毅ひだつよし

 正賞 100万円 副賞 日本航空提供の国際線往復航空券
公益財団法人 日本文学振興会

選考経過

第53回大宅壮一ノンフィクション賞選考委員会は5月12日に都内で開催されました。選考委員の梯久美子、後藤正治、佐藤優、出口治明、森健の五氏(50音順)が出席し、討議の末、頭書のとおり受賞作が決定いたしました。

なお、受賞作以外の候補は以下の3作です。

インベカヲリ★『家族不適応殺 新幹線無差別殺傷犯、小島一朗の実像』KADOKAWA
川内有緒『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』集英社インターナショナル
三浦英之『災害特派員』朝日新聞出版

これらの作品は2021年中に刊行されたノンフィクション作品全般から予選を通過したものです。

受賞の言葉

鈴木忠平

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落合博満がプロ野球の監督だった二〇〇〇年代、私は新聞記者として現場にいた。そんな十年以上も前のことをいまだ鮮やかに覚えているのは、当時から続いている緊迫感のためではないだろうか。

幼い頃は父が恐かった。社会に出てからは上司の目を怖れた。ただ年齢を重ねるうちにそうではなくなった。四十を超えて身の回りに“怖い人”はほぼいなくなった。だが落合だけは違う。接すれば、いまだ身が硬くなる。

私から見た落合は「技術」の人だった。野球にせよ他の仕事にせよ技の錆びを冷徹に見抜く。そこに情実の入り込む隙間はなく、時間を重ねたからといって曖昧にはしてくれない。だから怖い。

書き手として土俵に上がった以上、これから何を書くのかが問われるのかもしれない。だがそれ以上にどう書くか。その普遍的な技術の追求から逃げてはならない――本書の表紙にデザインされた落合の眼差しを見るたび、そう言われている気になる。

1977年生まれ。名古屋外国語大学卒業。日刊スポーツ新聞社、「Sports Graphic Number」編集部を経てフリーに。著書に『清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実』がある。

樋田毅

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半世紀前に早稲田大学キャンパスで起きたことを、リアリティのあるノンフィクションとして書き残す。その思いを果たし、賞まで頂けたことに、心から感謝している。新聞記者になり、各地を転々とする間も、学生時代に集めたチラシ、新聞の切り抜き、ノート類を詰め込んだ二つの段ボール箱をずっと持ち歩いた。苦難の日々を正確に再現するために、これらが役立った。当事者の心情と、取材者の冷静な視点。その両立を意識して書き進めた。

平和なはずの大学の自治会室で、なぜ川口大三郎君は殺されたのか。今も世界各地で、「正しい暴力」が跋扈しており、暴力に対して寛容な心(非暴力)で抗うことの意味は失われていない。出版を機に、多くの反響や新たな出会いもあった。拙著を下敷きにした映画の制作も始まっている。私たちの世代は、自ら関わった学生運動について口をつぐんだまま社会人となり、定年後も安穏と暮らしている、との批判も聞く。その声を真摯に受け止め、あの時代が現在に落としている様々な影を、今後も書き続けたい。

1952年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。朝日新聞社大阪社会部で同社阪神支局襲撃事件取材班キャップを務め、2017年に同社を退社。以後、『記者襲撃』『最後の社主』などを執筆。

大宅賞選評 <到着順>

順当な作品 出口治明(立命館アジア太平洋大学学長)

候補作は以下の5点である。鈴木忠平『嫌われた監督』。この作品は群を抜いている。テーマは川崎憲次郎を採り上げた第1章「スポットライト」から始まり、第12章までまるで澱みがない。そこから浮び上がるのは落合博満という比類なき優れた「個性」である。第5章岡本真也(岡本はリリーフ)「味方なき決断」でクライマックスに達する。完全試合を目前に控えた9回表、突然山井を代えて投手交代を告げる。そしてストッパーとなった岩瀬は試合を締めくくる。山井を代えたのは落合だった。勝者とはこういうものか。8年間、「嫌われた監督」として落合博満は選手と競演する。落合は監督としてリーグ1位4度、日本シリーズ進出5度、日本一1度の輝かしい記録を残した。

樋田毅『彼は早稲田で死んだ』。著者は100%、誠実である。執拗に真実を求めて歩く。1972年、彼は早稲田大学第一文学部に入学した。「革マル派」が拠点とする大学である。そこに大学構内で虐殺事件がおこる。著者は怒りの先頭に立つ。新自治会臨時執行部の委員長に就任するのだ。革マル派が牙をむいて襲ってくるが、あくまで「非暴力」「非武装」を堅持する。時に利あらず、闘いを終える決断をする。それから半世紀が経ち、革マル派の暴力支配を象徴した人物と対話を行う。不寛容に対して私たちはどう寛容で闘い得るのか、永遠のテーマがここにある。

三浦英之『災害特派員』。言うまでもなく東日本大震災がその舞台である。詰めが甘すぎるのではないかという批判はあったが、そもそも特派員に表現の自制はあるのかという難題にぶつかる。

川内有緒『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』。バラバラでしかも対象が拡散していく。

インベカヲリ★『家族不適応殺』。何故、これが候補作の1つになったのか不思議だ。

新しい方法論と青春の決算記 後藤正治(ノンフィクション作家)

受賞作『嫌われた監督』は、ドラ番記者として落合博満監督に接したスポーツ新聞記者による評伝である。落合が中日の主力選手やフロントに投げかけた「言葉」を起点に、監督の手腕と人物像を解いていく。プロ野球の監督をこのような方法論を用いて描いた作品ははじめてではないか。落合にかかわって、「異形」「冷徹」「清冽」といった評が散見される。平然と〈個〉を押し通す生き方への形容であろうが、それらがどこかで著者と響き合っていたのだろう。

受賞作『彼は早稲田で死んだ』は、往時、過激派の支配する大学で起きたリンチ殺害事件に対し、「非暴力」で立ち向かったグループの一員だった著者の追想記である。それがどんなに勇気ある行為であったことか。そのことにまず感銘を受けた。ときを経て、加害者たちへの取材を行っているが、罪を背負って生きたと思われる人もいたことに、わずかな慰めを覚えた。
『災害特派員』は、東日本大震災の長期報道にたずさわった新聞記者の回想的な手記である。報道とは何か、そもそもオレはここで何をしているのか……自省的記述に好感をもって読んだ。新聞に連載された「南三陸日記」を読んでみたく思う。記者仲間の群像も登場するが、その一人、河北新報カメラマンの遺作品には胸を打たれた。

『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』は、盲人で美術館好きの「白鳥さん」と随行する著者たちの日々をノンフィクションとしてまとめている。盲人への固定観念がいくども覆され、啓発されるところ多しであったが、「白鳥さん」の人となりが浮かびにくく、のめり込んで作品を読むには至らなかった。

『家族不適応殺』は、新幹線内で不条理な殺傷事件を起こした犯人側の内面を追っている。無期刑を言い渡された法廷で「ばんざーい!」と叫んだという。文通や家族との接触を重ね、「刑務所こそ理想の家庭」とする推測にたどりつく。そうであるのかもしれないと思う。明らかに精神を病んだ人に社会はどう対応すべきなのか。解の得にくい問いかけが残る

ある時の人たちを深く問い返す試み 森健(ジャーナリスト)

近年のノンフィクションには、書き手が「私」として前面に出てくる作品が少なくない。本来取材者、観察者である「私」が主観や当事者性をどこまで出すか。その加減がノンフィクションという分野では重要なテーマだ。

報道は主観を排し、第三者による検証可能な客観性や真実性を求められる。一方、ノンフィクションはそれらに重きをおきながらも、「私」を完全に否定はしない。著者の動きで物語が駆動することもあるからだ。ただ、主観や当事者性が強すぎると、エッセイという分野に入ってしまう。

結局、出来事や人物を描きたいのか、自分の思いを描きたいのか。その分別がノンフィクションでは要となる。選考会ではそんな議論をした。

今回の受賞二作はそうした議論を経てなお、すばらしく対象を描けていると評価が一致した作品だった。

『嫌われた監督』はなにより構成がすぐれていた。落合博満氏が中日の監督に就任し、去るまでの八年間。日本シリーズ優勝を追い求める組織の中で選手はどうあるべきか。各章に一人の主役を立て、その人物の葛藤を描きながら、監督の落合博満氏をも描いていく。著者自身の経験の上にあらためて取材を重ねたようで、事実を掘り返して細部に驚きのある新事実を組み込んだ筆致は読み応えがあった。

『彼は早稲田で死んだ』は五十年前に起きた大学構内のリンチ殺人事件をあらためて取材し、問い返した。革マル派が事件の鍵となる団体だが、著者は一般的な社会問題には広げない。当時の学内の人物を特定して悲劇が起きた学内の空気、学生の動きを再現した。著者自身が抱えてきた悔恨が筆致に滲むが、多年を経て当時の革マル関係者に向き合い、対話を迫るところはもっとも読み応えがあった。

ある出来事に人はどう向き合ったのか。事実を掘り起こし、深く問い直す。二作にはそう読者に投げかけるだけの力が十分にあった。

歴史に残る傑作 佐藤優(作家・元外務省主任分析官)

今回は二作受賞となったが、いずれも二一世紀の日本にはこれだけ水準の高いノンフィクション作品があると誇れる内容だ。

『彼は早稲田で死んだ』は、一九七二年一一月八日、早稲田大学の構内で当時二〇歳の同大学第一文学部二年生の川口大三郎氏が革マル派によって殺害された事件を扱う。著者の樋田毅氏らは、革マル派の暴力支配を打破しようと考える普通の学生たちから構成された文学部自治会を結成し、樋田氏は委員長に就任する。革マル派は自治会の主要な活動家を暴力行為によって阻止しようとし、樋田氏も鉄パイプで手脚などを殴られ、重傷を負う。結局、普通の学生たちによる非暴力の抵抗運動は革マル派の暴力によって封じ込められていく。本書はこの経験を綴った当事者手記であるとともに、新聞記者のプロの目から事件の構造を描いた第三者ノンフィクションでもある。特に半世紀近くの時を経て、当時敵対していた元革マル派の活動家や関係者からもインタビューをとり、今も互いにわかり合えないという現実がなぜ生じるかについて、第三者の目で徹底的に考察しているところに感銘を受けた。評者は同志社大学神学部と大学院で学んでいたときに日本共産党系の民青同盟員と激しく対立し、殴り合ったことも何回かある。あの頃の共産党員や民青同盟員とは二度と顔を合わせたくない。自らの感情を抑えて、かつて敵対し、自分を殺そうとしていた人たちからも取材することで真実を追求しようとする樋田氏のプロフェッショナリズムに感銘を受けた。現世代だけでなく、次世代、次次世代にも読み継がれて欲しい二一世紀ノンフィクションの傑作だ。

『嫌われた監督』は、スポーツ・ノンフィクションの枠を超えた、リーダーとなる人間の悲哀を描いた歴史に残るノンフィクションの傑作だ。鈴木忠平氏は、落合博満氏と中日の選手たちに深く食い込んでいるが、心情に流されず、できるだけ冷静に落合博満という人間を描いている。

事実に歌わせる 梯久美子(ノンフィクション作家)

『嫌われた監督』。巻を措く能わず、という言葉がふさわしいノンフィクションを久しぶりに読んだ。テーマに対する「熱」を、作家としての技量ががっちりと支えている。

「事実に歌わせる」という大岡昇平の言葉があるが、徹底した取材と文章力で、フィクションを凌駕するドラマを成立させている。

著者自身の成長物語としても成功しているが、全篇が書き手の一人称によるルポ形式であったら、魅力は半減していただろう。各章に視点人物を立て、その人物と落合氏を主人公とした客観描写のパートを入れ込んだことで、作品が厚みを増した。その部分を書くには深い取材が必要だったはず。取材対象に内面を語らせる力が、この著者にはあるのだろう。

『彼は早稲田で死んだ』。この作品を私は繰り返し読み、関連の書籍も探して読んだ。取り上げられている事件やその背景について無知だったからだが、もっと知りたい、知るべきであるという気持ちにさせられたのは、まぎれもなく作品の力である。

著者の姿勢は禁欲的で、基本的に、自分が直接見聞きしたことと、当時を知る人に取材したことしか書いていない。大きな言葉を使うことを避け、具体的な事実を正確に記していく。手記における記録性を担保し、後世の検証に耐える作品を生み出すのは、こうした姿勢であると思う。

『家族不適応殺』。現代的な感覚で無差別殺傷事件を取材している。新しい書き手が出てきたと感じた。この著者の作品をもっと読みたい。

『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』。ある場所に、誰かと一緒に身を置いて会話することで新しい扉が開く。著者の体験を通してコミュニケーションについて再考を促す作品。「こういう書き方もあるのか」と気づかされる清新さがある。

『災害特派員』。被災地で出会った人たちの姿が魅力的に描かれる。著者の作品にしては淡白な印象を受けるが、それは本書の構成上、しかたのないことだろう。さらに骨太の作品を期待したい。

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