観月_修正

小説 「観月 KANGETSU」#3 麻生幾

第3話
チョコレート箱(3)

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「でも、気になることがあるんや……」

 神妙な表情で涼は続けた。

「自転車を用意したり、計画的んごつも思えゆる。だから通り魔的やねえごつ気もするし、路地を逃げまくったんも土地勘があるごつも……」

 涼が記憶を探るような表情をつくった。

 弟の墓の前に辿り着いた七海に、涼は決心したようにその言葉を口にした。

「昨夜のこと、七海は、ぎゅうらしい(大げさに)したくはねえっち言うけど、やっぱし、杵築の署に正式に届けるべきちゃ。面倒なことはオレがやるけん──」

「ん、でも……」

 七海は躊躇(ためら)った。

 涼がそう言ってくれるのは有り難い。しかし、いざ、警察に届けるとなると、煩雑な手続きで振り回され、今、大学の研究室で取りかかっている論文が疎かになってしまうことを危惧したのだった。

「襲われたってこと、それ自体、普通やねえちゃ。しかも尾けられたこともあったんやろ? もし変質的なストーカーやったら、今度は無事じ済まんかんしれん──」

「無事じ済まん?」

 足を止めた七海は、涼に向かって首を傾けて悪戯っぽく笑った。

「いや、そういう意味じゃねえで……」

 ばつが悪い表情をした涼は、そのことに気づいた風に真顔となった。

「そもそも、気持ち悪がっちょったんは七海の方やろ」

 七海は黙ったまま、清掃用具置き場に足を向け、そこでバケツに水を入れた後、柄杓(ひしゃく)を手に取って涼の前を歩き出した。

「やけん──」

 涼がさらに言葉をかけようとした時、弟の墓石に辿り着いた七海が、「あっ」という小さな声を上げた。

「どした?」

 涼は怪訝な表情で、七海の視線を追った。

 七海が見つめていたものは、墓石の中央にある、線香を灯す香炉の下に置かれている、小さなチョコレートの箱だった。

 この菓子メーカーのチョコレートに、七海は小さい頃の記憶があった。確か、自分がまだ幼稚園か小学校の低学年の頃、母親からよく買ってもらったお菓子だ。

 今、ここにあるのは、昔のものと比べても、包装デザインはまったく変わっていなかった。

 しかし、そんなことよりも……。ゆっくりと墓石の前にしゃがみ込んだ七海は、チョコレート箱を手にとった。

「誰がここに……」

 七海は呟くようにそう言った。

「最近、こういった霊園では、お墓にお菓子なんか置いちはいけんことになっちょんのにな。お墓参りにきたどこかん家族んガキが捨てたんやろう」

 涼は知った風な表情を浮かべながら、七海の手からチョコレート箱を取った。

「あっ、中身、入っちょん。ゴミやねえや……」

 涼は怪訝な表情を浮かべた。

「これ……亡くなった弟が……大好物やったチョコレートや……」

「えっ?」

 涼は怪訝な表情で七海を振り返った。

「隼人は、小さい時、チョコレートならいつもこれぅ食べよった……」

「お母さんか、親戚ん誰かが置いたんやねえか?」

「母は足が悪うて、しんけんこきは来られん……」

 七海は大きく息を吸い込んだ。

「親戚にしてん、こげなこつぅ、知っちょんしとはおらん。でもそれより……」

 七海は言い淀んだ。

「それより?」

 涼は、七海の顔を覗き込むようにして訊いた。

「弟がこれを食べちょったんな、まだ小さい頃で……」

 その言葉は七海の独り言のように聞こえた。

 理解できないままの涼は言葉を継げなかった。

「お花も……」

 驚いた風にそう言った七海が目を向けた、その視線の先を涼が追うと、左右の花台に、新鮮な色とりどりの花が飾られていた。

(続く)
★第4話を読む。

■麻生幾(あそう・いく) 大阪府生れ。作家。1996年、政府の危機管理の欠陥を衝いたノンフィクション『情報、官邸に達せず』を刊行。日本の危機管理をめぐる“真実”を小説で描いている。オウム事件など内外の事件を取材したノンフィクション作品も。主な小説に、『宣戦布告』『ZERO』『ケース・オフィサー』『外事警察』『奪還』など。「宣戦布告」「外事警察」などが、映画化、ドラマ化され反響を呼んだ。ノンフィクション作品に、『極秘捜査-警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」-』『前へ!-東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録』などがある。※この連載は、毎週日曜と不定期平日に配信します。



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