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小説「観月 KANGETSU」#77 麻生幾

第77話
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※本連載は第77 話です。最初から読む方はこちら。

 七海の言葉に真弓がニヤッとした。

「そお? なんか悪いわね」

「娘さん、確か、中学生でしたね。まさに育ち盛りですか……」

「それがさ、女の癖にもう大食漢でね。学校から帰って来たらまず食パン1斤(きん)をペロッと平らげて、夜は夜でどんぶりみたいな器に盛ったご飯を……。食費がバカにならなくて……」

「どうぞ帰ってあげてください。ところでカレは?」

 真弓の表情が一瞬で輝いた。

「作品造りに精力的よ、昨日も特殊な絵の具が足りなくなったんで大分まで買いに行くっちゅうけん、私の車を貸しちゃったんだけど、凝り性なんね、カレ」

「それはそれは」

 七海は呆れた風に笑った。

「でさ、昨夜、娘にちらっと話をしてみたん。そしたら東京って聞いたらまんざらでもなさそうな雰囲気やったん──。あっ、そげなことより!」

 真弓が急に声を落とした。

「パン屋の奥さんを殺した犯人、自殺したんやってね?」

 真弓は辺りを見渡しながら声を落とした。

「そうらしいですね……」

 七海は適当に誤魔化した。

 その時、観光協会の職員たちが幾つもの段ボール箱を抱えて姿を見せた。

 その最後尾から現れたのが詩織だった。

「組み立て前の行灯の到着です。よろしくお願いします」

「こちらへどうぞ」

 詩織はそう言って段ボール箱を持つ職員たちを、主屋(おもや)の右手一番奥に位置する台所に案内した。

「お疲れ様でございました」

 七海は職員たちを労(ねぎら)った。

 詩織をはじめとする観光協会の職員たちを真弓が送ってゆくと、七海はシャツの袖を捲(まく)った。

「さっ、まずお掃除ね」

 七海は、まず一つの段ボール箱を開けた。

 箱の中には、バラバラのままの、紙の行灯の部品が整頓されて並べられている。

 七海が手を伸ばそうとした、その時だった。

 ふと、気配がして振り向くと、入り口に近い「玄関の間」付近で人の気配があった。

 ガイドの仕事も担っている七海は急いでそこへ足を向けた。

別府中央署

 廊下の隅に立つ涼は、50メートルほど先の部屋を激しく出入りする記者たちやテレビクルーの姿をじっと見つめていた。

「まっ、被疑者死亡とは言っても──」

 その声で涼が振り返ると神妙な表情で正木が立っていた。

「早期に犯人を特定し、事件は解決できた。あん署長も熱弁をふるってんやねえか」

「自分はこげな派手な場は苦手です。現場がいいです」

 涼が会見場の方向から顔を背けた。

「一生、刑事のままでいいっちか?」

「いえ別に、そういうわけでは──」

 涼が言い淀んだ。

「オレが若え頃世話になった“オヤジサン”(ベテラン教育係)も、一生デカんままでいい、ちゅうんが口癖やったが、定年退職する前日、オレと2人で飲んだ時、しんみりとしてこう言うたさ。“いっぺんでいいけん捜査の指揮をやっちみたかった”──。お前さんも考えてみろ」

 正木の言葉に、涼は神妙な表情で頷いた。

「それより、こっちの仕事はまだ残っちょんど」

 正木が語気強く言った。

「島津七海への、階段から突き落した傷害容疑と拉致監禁未遂の両方の立件ですね!」

 涼は勢い込んで言った。

「ちいと待て。いわばお前さんの身内が被害にあった事件や。感情が高ぶり過ぎちょらんか?」

 正木がじっと涼の瞳を見つめた。

「これも成長するための試練と思っております」

「格好をつけるんじゃねえちゃ」

 正木が苦笑した。

「じゃ、やるなら早う動こう。お前さんの所属長は、熊坂久美ん書類送検の方で頭が一杯や」

(続く)
★第78回を読む。

■麻生幾(あそう・いく) 大阪府生れ。作家。1996年、政府の危機管理の欠陥を衝いたノンフィクション『情報、官邸に達せず』を刊行。日本の危機管理をめぐる“真実”を小説で描いている。オウム事件など内外の事件を取材したノンフィクション作品も。主な小説に、『宣戦布告』『ZERO』『ケース・オフィサー』『外事警察』『奪還』など。「宣戦布告」「外事警察」などが、映画化、ドラマ化され反響を呼んだ。ノンフィクション作品に、『極秘捜査-警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」-』『前へ!-東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録』などがある。※この連載は、毎週日曜と不定期平日に配信します。

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