女子大生はなぜ乳児を殺めたか 三宅玲子
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女子大生はなぜ乳児を殺めたか 三宅玲子

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“自首”もわからない「境界知能」の実態。文・三宅玲子(ノンフィクションライター)

「就活の邪魔になると思った」

就活で上京した神戸在住の女子大生(当時)が、羽田空港のトイレで産み落とした赤ちゃんを殺害し、遺体を新橋のイタリア公園に埋めたとして逮捕されたのは2020年11月。事件発覚から1年後だった。

殺害遺棄前後の女性の行動は不可解で強烈だった。飛行機の中で陣痛に耐え、空港のトイレで産んで窒息死させると、女性は殺害後に袋に入れた赤ちゃんの遺体を持ったまま空港内のカフェでアップルパイと飲み物を注文し、写真をSNSにアップしていた。さらに、殺害動機を「赤ちゃんの存在に困った」「就活の邪魔になると思った」と供述した。加えて女性が裕福な層が通うイメージの大学の出身で、赤ちゃんの父親がアルバイト先である風俗の客だったなどのエピソードは、人々の好奇心と加罰意識を刺激した。

2021年9月24日、懲役5年の実刑判決が下り、裁判長の「就職活動への影響を避けるべく、自らの将来に障害となる女児の存在をなかったものにするため殺害した。身勝手で短絡的(な犯行)」〔※( )内は筆者加筆〕との言葉とともに、共同通信は次のように報じた。

〈被告は公判で、動機について「頭が真っ白になった。自分でも分からない」と説明したが、判決は「出産時の対応は冷静で、遺体を袋に隠したまま飲食店に立ち寄っており、意識障害も認められない」と指摘した。(中略)「一時しのぎな言動に出る傾向がある」とした被告の精神鑑定結果を引用。「周囲からの失望などを避けるため妊娠を隠し続け、出産やその後に生じる問題を直視せず、先送りしたまま現実に直面し、事件に至った」と結論付けた。〉

だが、ことは単純ではなかった。背後には私たちが見ようとしてこなかったある問題が隠されていた。

裁判長が苛立つ

LINEを受け取ったのは、第2回公判終了後のことだった。裁判を傍聴したひとりの女性が被告のことを「かわいそうだった」と伝えていた。熊本市にある民間病院・慈恵病院の理事、蓮田真琴氏だ。

慈恵病院は赤ちゃんを自分で育てられない女性が匿名で預け入れることのできる施設「こうのとりのゆりかご(通称、赤ちゃんポスト)」(以下ゆりかご)を運営する。同院理事長で夫の産婦人科医・蓮田健氏とともに責任者を務める。

ゆりかごを設置して14年間に159人の赤ちゃんが預け入れられたが、乳児遺棄事件は2016年は15件、2017年が19件、2018年が17件と、発生件数に変化は見られない(社会保障審議会児童部会児童虐待等の検証専門委員会調査より)。

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赤ちゃんポストを設置する熊本の慈恵病院

乳児遺棄事件を起こした母親たちがゆりかごを選ばなかった理由を知るために、夫妻は数年前から乳児遺棄事件の裁判を傍聴している。イタリア公園事件の第2回公判が行われた2021年9月14日は、真琴氏が傍聴に上京していた。真琴氏は裁判の様子を次のように話した。

「被告が一つ一つの言葉の意味を理解できていない様子ははっきりとわかりました。誤魔化すように笑い顔を浮かべ、気の毒なほどでした」

「自首」「あやめる」といった言葉の意味がわからず立ち往生し、適切に答えられない被告に裁判長が苛立つ場面があったという。

被告のおぼつかない振る舞いには理由がある。被告は「境界知能」だったのだ。鑑定医による精神鑑定の結果として公判で明らかになった。

知能指数の平均域を100前後とすると、50~70が軽度知的障害とされるが、「境界知能」はその境目となるおおむね71~85未満を指す。グレーゾーンとも呼ばれる。軽度知的障害では複雑な情報の処理や、先行きを見越した行動、問題の解決が苦手とされる。そのため学習、仕事、お金の管理、子どもの養育など社会生活で苦労を抱えやすい。

そして、境界知能の人たちも同じような困難を持つことがよくある。勉強が苦手、仕事が覚えられない、人間関係がうまくいかないなどはあるが、普通の人と同じように生活できるように見える人が多い。そのため、問題を起こしても性格のせいにされてその本質が見過ごされる。社会的な認識が十分でないため周囲の理解を得にくく、福祉制度からこぼれ、孤立しがちだ。

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遺体が見つかった「イタリア公園」

見過ごされる境界知能

被告は神戸に祖父母、父母、被告を含む3人の子どもの7人家族で育った。父は会社員、母は介護職のパートとして勤務する。小中高と成績は「3」だが、勉強が苦痛だった。母は小学校低学年の頃からつきっきりで教え、必死なあまり、ときには髪の毛を引っ張ったり叩いたりすることがあった。被告は母を「スパルタ」と表現している。父は子育てをほぼ妻に任せていた。

学力不問、試験は面接のみというごく簡単な選考により、偏差値35の私立大学に合格。経済的に不自由はなかったが、「異性を好きだという感覚が理解できず、自分が男性か女性かもわからず性的な興奮もない。性経験を積むことで女性であると確認したかった」という理由で、大学1年から親に内緒でデリヘルのアルバイトを始める。大学4年のとき母が妊娠に気づいて妊娠検査薬で検査をさせ、産婦人科の受診に連れて行った。中絶可能な時期を過ぎているとの診断だったが、本人は「(妊娠検査薬の結果は)就活のストレスで陽性になることもある」「(お腹が膨らんだのは)ガスだまりと医者に言われた」と言い逃れた。

就活で頻繁に上京し40社ほど不合格。予定日より1カ月早く神戸空港で陣痛が始まったのが事件当日だった。神戸から羽田までの1時間、激痛に耐え、トイレにたどり着き腰を下ろすと赤ちゃんの頭が出てきて、産み終えるまで30分ほどだったとされる。119番を押そうとしたが「9」が押せず、パニックで頭が真っ白になり首を絞めた。カフェで写真を撮ったことなどはあまり記憶にない。公園に埋めたのは「動物が死んだら土に埋めるから」。

境界知能は人口の14~15パーセント、およそ1700万人にも上る。被告は境界知能について両親や学校など周囲の大人に気づいてもらえないまま成人した。小さい頃から周りの人が簡単にできることが理解できず、「ずっとわかったふりをしてきた」という。

だが、背景にあるのは境界知能だけではない。裁判でそう指摘した人がいたと真琴氏は語った。

「被告側の証人として、ある社会福祉士の方が尋問を受けられました。その方は被告に学習障害の疑いがあることを指摘されました」

詳しくは後述するが、学習障害とは発達障害のひとつで、今回の事件の鍵ともなる。

社会福祉士の提言

社会福祉士とは、社会福祉専門職の国家資格だ。身体的、精神的などハンディキャップのある人が日常生活を円滑に営めるように他の福祉専門職と連携して支援する。犯罪加害者の更生にも関わる。本件では弁護人の依頼により被告の更生支援に関わり、証言台に立った。

ところが、裁判長は社会福祉士の指摘を却下したという。裁判長が根拠としたのは、鑑定医による精神鑑定結果だった。鑑定医は被告と12回の面談で、家族関係、学校や仕事の人間関係、妊娠・出産の経緯を仔細に聞き取り、心理検査、知能検査、自閉スペクトラム症、注意欠如多動症などの検査を実施。被告の知能指数が七四で境界知能としたうえで「検査の結果、被告に精神障害を認めない」と結論づけた。

真琴氏はこう続けた。

「ゆりかごの経験からも、社会福祉士がおっしゃったことの方が、被告の背景にある問題を正確に捉えているのではないかと思いました」

4年前、ある精神科医から「ゆりかごに預け入れる女性に境界知能や発達障害との関わりが考えられる」と指摘を受けたことがあった。出産を誰にも知られたくないと慈恵病院に駆け込んできた女性の言動に曖昧さと幼さがあったため診察を依頼したところ、境界知能が明らかになったケースもあった。こうした経験から、調べると違う何かが明らかになるのではないかと真琴氏は考えた。

傍聴後、真琴氏は社会福祉士、担当弁護人、そして被告の両親と相次いで面会。一審判決後に、院長の健氏が保釈された被告を熊本で受け入れることを申し出た。裁判所の許可が下り、被告は2021年11月の2週間、同院に滞在した。

この社会福祉士こそ、裁判で被告の学習障害を指摘し、裁判長から却下された大嶋美千代氏だ。大嶋氏は、勾留中の被告との面会に際し、一つのエピソードに注目した。赤ちゃんが生まれた直後に救急車を呼ぼうとスマホを手にしたものの、「9」の数字が押せなかった点だ。

大嶋氏は留置場のアクリル板越しに2桁の計算式の書かれたプリントを示した。ところが被告は計算以前に「8」「3」といった数字さえ読めなかった。デジタル時計は読み取れず、針のついた時計なら針の角度を絵で覚えていた。ただし針の周囲の数字は読めない。学校の勉強などもかなり無理をして絵として暗記していたのだろうと、大嶋氏は推測した。学習障害で文字や数字は覚えられないが画像としてなら記憶できるという人は珍しくない。

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著名人にも多い症状

これらの説明を受け、健氏は精神科医・興野康也氏に診察を依頼した。熊本県人吉市の精神科専門病院・吉田病院に勤務する興野氏は、前職を合わせると16年ほど、福祉職と連携して境界知能や神経発達症の人たちを支援している。神経発達症(以下、発達症)とは医療用語で発達障害を指す。ゆりかごと境界知能や発達症の関係を指摘したのも興野氏だ。

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