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西寺郷太 小説「'90s ナインティーズ」#6

第一章
Once Upon A Time In SHIMOKITAZAWA

★前回の話はこちら。
※本連載は第6回です。最初から読む方はこちら。

(6)

 PEALOUT の出番が終わり、軽く放心状態となった僕は入口そばにあるカウンターまでふらふらと歩いた。CLUB Que は、卓球のラケットに例えるならグリップの先端部分が「出入口」、細くなった左手にカウンター、逆サイドにトイレの配置になっており、そのエリアは特に人が密集しやすい構造だった。僕が身体を斜めにして、客の波をすり抜けようとした瞬間、後ろから「あのー、ゴータくんでしょ?」と見知らぬ声がした。振り向くと、肩につく髪の先端だけが縮れて金色に染まった、アメリカで一昔前に大流行した「キャベツ人形」のような女の子が微笑んでいた。

 彼女こそが、このライヴの企画者であり下北沢バンド・シーンの最重要人物のひとり、多数のイベントをセッティングしミュージシャン達を繋げていた「ドンちゃん」だった。僕はこの後1年間、彼女に散々世話になるのだが、今に至るまで本名を知らない。本業はイラストレーターというドンちゃんは、3枚持っていたドリンクチケットを、親指と人差し指でこするようにして2枚僕にくれた。慣れた手つきだった。

「ほい、湧井さんが、キミを楽屋から見つけて、あいつにバンドの分のチケットあげてやってくれって」

「えー、まじですか! ありがとうございます!」

 僕は簡易的な衝立の向こう側の楽屋で今まさに準備をしているであろう、STARWAGON のメンバー4人に思いを馳せた。

「わたしじゃなくて、お礼は湧井さんに言って。噂聞いてるよ、あはは、めちゃくちゃお喋りで面白い奴だって。で、キミもバンドやってるんでしょ?」

「あ、いや、自分のバンドは今、なくて。ただ、音楽はやってます」

「敬語使わなくていいよ、あたしもゴータって呼ぶからさ。ふふふ、で、どうだった? PEALOUT、超カッコいいでしょ?  あとでカセットテープもらいな、今日から配ってるからさ。紹介するよ」

 ドンちゃんは肘でぐりぐりと僕を突きながら、私に任せといてと優しく笑った。

 すると、ちょうどそのタイミングで逆サイド、男子トイレのドアが開き、明らかに酔っ払ったハイ・テンションの男が勢いよく現れた。彼はカウンターに置きっ放しにしていたビールを手に取り、ドンちゃんの頬に擦りつけるような仕草をしておどけて叫んだ。

「ハイハイハイ、PEALOUT、サイコー!!! 今日のイベントカンペキ過ぎーっ!!! ドンちゃんーありがとー!」

「カズロウ! やめろよー! あはは」

 ドンちゃんは楽しそうに、彼の履いたカーゴパンツを軽く蹴飛ばす振りをした。そのタイミングで、DJが選曲したザ・カーディガンズの〈カーニバル〉に、ステージでドラマーがサウンドチェックでスネアを不規則にパン! パン! と叩く音や、キックを踏み込む、ドンドンという重低音が混ざりはじめた。

 ベースや、ギターのエフェクターを踏み変える「ガチャッ、カチャッ、ブーン」というノイズ。今まさにライヴが始まる、そんな緊張感に次第に包まれてゆく。

「ゴータ、こいつ、DJのカズロウ、あとあそこにいる可愛い子はマイカね」

 ドンちゃんは、煉瓦の壁の隅に立つ少女に手のひらを向けた。マイカと呼ばれたショートカットで顔の小さな少女に僕が目をやると、彼女は唇の両端を軽く上げて会釈を返してくれた。

「マイカは、事務所に入ってるから。絶対スターになる子だよ」

 ドンちゃんが耳元でそう言ったタイミングで、カズロウと呼ばれた男が「始まるー!」と慌てて絶叫。ビールをグイッと飲み干すとカウンターに無造作にカップを置き、勢いよくフロアに紛れていった。次の瞬間、3バンド目の、N.G.THREE の演奏がスタート。ヴォーカル、ギターの新井仁さんのファンである「新井ギャル」達の甲高い嬌声と歪んだリッケンバッカーの轟音で CLUB Que が振動する。これほどの熱狂を、ライヴハウス・レベルのハコで体感するのは初めての経験だった。人の波と熱気がステージに舞い落ちた。

 しかし、だ……。僕は正直彼らのプレイを聴いて何度かよろけてしまった。ザ・ジャムを彷彿とさせるスリーピースの、勢いに満ちたガレージ・パンク・バンド。ただ展開部やサビ終わりでドラマーの平岡勝二さんがフィル・インを叩く何度かに一度のタイミングで、楽曲の速度が変わったり、止まったような感覚に陥る。僕はドラマーだった。10代の頃から最も得意な楽器はドラム。最初は困惑したことを告白せねばならない。ベーシストの浦敦さんはステージ上を暴れまわり、首を上下に振りながら飛び跳ねて演奏。ただし、リズムがドタバタするのも徐々に慣れてきた終盤になると、彼ら3人の醸し出す不思議なパワーとエネルギーにまんまと魅了されていた……。オーディエンスのほとんどが、曲を覚えており口遊みながら楽しそうに揺られて一体化していた理由は、彼らが2年前に《eight tracks》なるCDをすでにリリースし、ビッグ・セールスを記録していたからだ。

 僕が驚いたのは、N.G.THREE の出番が終わると、さっきまでステージで歓声を浴びていた新井さんがスーッと楽屋から出てきたことだ。すぐさま、セントジェームスの紺と白のボーダーシャツを着た女の子のひとりが彼を呼び止め、彼らのCD、《eight tracks》にサインを求めた。「ありがとねー」と優しい笑顔でサインをする新井さんの元に、おそらく10代後半であろう女子達の行列があっという間に出来た。

 しばらくして、遂にトリを飾る STARWAGON の4人が、ステージにそれぞれの楽器を持って現れた。

 アンプの目盛りをリハーサルで決めた音量に慎重にセットし直し、アイコンタクトでメンバー同士が確認を交わす。どことなく不機嫌な湧井さんのその佇まいは、トリを務めるプライドに満ち、威厳さえ感じさせた。バイト先での姿と同じネルシャツと眼鏡姿だったが、湧井さんの纏うオーラは話しかけることを拒む頑固な職人のそれだった。

 何度も何度も繰り返し聴いたCD《サムワン・トゥ・ダイ・フォー》の楽曲達が遂に生で聴ける。湧井さんの事前の話によると、夏には《ディストーションズ》と名付けられた初めてのフルアルバムをリリースする予定で、レコーディングを進めている新曲も披露するとのことだ。

 意外だったのが初めて見るベーシスト、林ムネマサが、6歳下の最年少ということもあり、異常にエネルギッシュにはしゃぎ回り目立っていたことだ。会場には彼の同世代の仲間も詰めかけており、MCの場面ではフロアから林に対するツッコミの声が飛び、笑いが生まれていた。ステージ上とシンクロした、バンドの意図とは違う内輪ノリが湧井さんの目をほんの少しだけ翳らせた気がした。僕は、憧れのバンド STARWAGON に加入出来た嬉しさが身体中から溢れ、時に叫び声を上げながらベースを奏でる林の姿を羨ましく思った。しかし、フロントマンでありながらナーヴァスな職人気質の湧井さんと、天真爛漫な林が放つ陽性の光の落差が激しいのが少しだけ気になった。それは同世代の若い林に対する、単なる嫉妬かもしれなかった。

 観客として彼らの演奏に釘付けになっている僕には、メンバーもバンドも未来も、この夜の時点では何もなかったのだから……。

 終演後、ドンちゃんが「ゴータ、打ち上げもおいでよ。ただ、ちょっとバンドのメンバー、アンプや楽器の片付けとかあるから」と呼び止めてくれた。彼女は勢いよく続けた。「1回階段登って上出てさ、で、下北沢の駅の方に戻ってみて。そしたら、左手地下に『ぶーふーうー』っていう喫茶店あるから。すぐわかるはず。そこで30分くらい時間潰しててよ。何人か、私の友達も行くから。そのあと帰ってきたら、私もメンバーも準備出来て打ち上げ始まるからさ」

 「『ぶーふーうー』?」

 僕が訝しげに反芻すると、さっきトイレから出てきた「カズロウ」という青年が「あー、俺も一回外出るから、こっち行こ」と天井を指した。

★今回の1曲―― The Cardigans - Carnival (1995)

(連載第6回)
★第7回を読む。

■西寺郷太(にしでら・ごうた) 
1973年東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成したバンド「NONA REEVES」のシンガー、メイン・ソングライターとして、1997年デビュー。
以後、音楽プロデューサー、作詞・作曲家としても少年隊、SMAP、V6、YUKI、鈴木雅之、岡村靖幸、私立恵比寿中学などの多くの作品、アーティストに携わる。
日本屈指の音楽研究家としても知られ、近年では特に80年代音楽の伝承者としてテレビ・ラジオ出演、雑誌連載など精力的に活動。マイケル・ジャクソン、プリンスなどの公式ライナーノーツを手がける他、執筆した書籍の数々はベストセラーに。代表作に小説『噂のメロディ・メイカー』(扶桑社)、『プリンス論』(新潮新書)など。
現在NHK-FMで放送中の「ディスカバー・マイケル」に案内役としてレギュラー出演。


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