出口さんカンバン

出口治明の歴史解説! “苦労して出世した人”は本当に立派なのか?

歴史を知れば、今がわかる――。立命館アジア太平洋大学(APU)学長の出口治明さんが、月替わりテーマに沿って、歴史に関するさまざまな質問に明快に答えます。2020年2月のテーマは、「大逆転」です。

★前回の記事はこちら。
※本連載は第13回です。最初から読む方はこちら。

【質問1】世界史のなかで、大逆転といえるほどの出世をしたのは誰でしょうか?

 大出世と聞いてすぐ思い浮かぶのは、中国の朱元璋(しゅげんしょう:1328~1398)です。明(1368~1644)を創始した洪武帝ですね。貧農から身を起こし、皇帝になったのですから、めちゃくちゃな成り上がり者です。当時の中国は並ぶもの無き世界最大の国家ですから、現在でいえば、アメリカの大統領になったぐらいの大出世でした。

 朱元璋が生まれたのは、大元ウルス(1271~1368)が混迷していた時代です。13年間に皇帝が7人も誕生したほど、政局は荒れに荒れていました。

 さらに14世紀の半ば以降、地球はミニ氷河期と呼ばれる寒冷期が本格化し、農業や牧畜は大打撃を受けて、各地で飢饉が起こりました。加えてユーラシア大陸でペストが流行し、中国からヨーロッパまで多くの死者が出ました。正真正銘のパンデミックです。

 食べていけない民衆の不満が爆発して各地で反乱が起こりました。最大のものが白蓮教徒による紅巾の乱(1351~1366)です。

 若き朱元璋もこの農民反乱に参加し、郭子興(1302~1355)の紅巾軍に入りました。朱元璋はこの武将に見込まれ、その養女を妻としました。のちの馬皇后(1332~1382)です。

 郭子興の死後、朱元璋はその軍勢を引き継いで他の勢力を打ち負かし、ついに1368年1月に応天府(現在の南京)で明の初代皇帝に即位しました。

 このとき朱元璋は「今日からはオレの時代や。洪武元年としよう」と元号を定めました。君主1人につき元号を1つ定めるという「一世一元の制」は彼から始まります。明治政府がこれを真似して一世一元制は現在の日本にも受け継がれているのです。

 大元ウルスは江南からの食糧の供給が途絶えたので、大都(現在の北京)を捨てて、モンゴル高原に去り、明軍は大都を占領して北平府と名を改めます。

 その過程で彼は白蓮教と縁を切り、皇帝となってからは邪教とみなして紅巾軍を滅ぼしました。久しぶりに漢民族による中国の統一が成し遂げられたのです。

 この朱元璋が強く意識していたのが、西漢(前漢)の初代皇帝だった劉邦(B.C.256?~B.C.195)です。劉邦も、朱元璋ほどの貧農ではありませんが、農民から皇帝に昇り詰めました。

 彼らのような人物がなぜ成り上がれるのか。基本は中国の国制にあります。天才、始皇帝が世界に先駆けて優秀な官僚の文書行政に基づく中央集権国家を創ってしまったため、中国では封建領主が存在しませんでした。つまりピラミッドのトップの皇帝の次は、いきなり人民で、いわば江戸時代の大名のような人がいなかったのです。加えて、時代をきちんと分析してみると飢饉や疫病によって世が乱れていることがわかります。こういう時代になると身分が高い人たちほど、弱いのです。社会の秩序が失われれば失われるほど、本当の実力勝負になる。その一方で、才覚さえあれば、どんな階層からでもトップに成り上がれるチャイニーズ・ドリームが可能となったのです。

 しかし、洪武帝は皇帝になってからはめちゃくちゃでした。貧農出身のコンプレックスがあったのか、インテリを徹底的に弾圧しました。極端な話ですが宦官に「これ読んでくれ」と文書を渡し、すらすら読み始めると殺してしまうこともありました。彼は若い頃お坊さんだった過去があり、部下が「光」という文字を使えば、「これは頭が光っているという意味だろう。オレが坊主だったことを皮肉ってるのか?」と殺してしまう。そんな調子でインテリやエリートを家族ごと10万人ぐらい殺したと伝えられています。この10万人は、現在の日本でいえば、霞が関にいるようなエリート、建国の功臣の10万人ですから国家的な大損失です。

 朱元璋は権力欲の塊のような人で、猜疑心が強く残忍でした。彼がトップに立った明は、中国史上でも特筆される退嬰的な暗黒政権となりました。

 あの毛沢東(1893~1976)が、この朱元璋をよく研究していたという逸話が残っています。毛沢東も農民出身で現代中国のトップに立ちました。しかし、数々の粛清を行い、さらには文化大革命を発動してインテリやエリートがたくさん失われました。

 苦労して大出世した人だからといって、必ずしも立派な政治家になるとは限らないのです。

【質問2】漫画や映画では、戦争で負けている側が、一気に逆転する秘密兵器が登場します。歴史上で戦況を一変させた秘密兵器はあるでしょうか?

 大逆転するような秘密兵器の登場は、歴史をみると「軍事革命」として現れます。

 古代の戦争でいえばチャリオットです。2人乗りの戦車で、前の1人が馬の手綱を握り、後ろの1人が弓を射る。馬の2頭立て、3頭立て、兵士の3人乗りなど、バリエーションがいくつかあります。映画『ベン・ハー』などで登場する「戦車」と呼ばれる戦闘用の馬車を思い浮かべた人もいるかと思います。ヒッタイト、アッシリアや商などの国が使用しましたが、どこも圧倒的な戦闘力を発揮しました。

「そんなに強ければ、周辺国がすぐにパクって同じものを作るだろう」と思いますが、そうではありません。チャリオットを作り、うまく使いこなすには高度な技術が必要です。

 第一によい馬を揃えないといけません。脚が速くて丈夫な馬を育てることは簡単に真似できません。戦車にも開発や製造のノウハウがあります。たとえば、兵士が立つ床には振動を吸収するしかけがあったそうです。馬車の操縦、移動しながら弓を射ることも、訓練しなくてはいけません。科学技術や人材育成のレベルといった“国力”が問われる点は現代と同じです。

 チャリオットの次に、圧倒的な強さを見せつけたのが遊牧民の騎馬軍団です。一見すると「あれ?  戦車より原始的やないか」と思いますが、騎馬軍団は、1人の兵士が馬に乗ったまま弓を射るので、身軽だし、馬の手綱を操る運転手が不要になりました。スピードと機動力では格段に上です。

 4世紀にヨーロッパに攻め入ったフン族は、「兵士と馬が一体化して、まるで半獣神や」と怖がられたほど、手離しで巧みに馬を操りました。騎馬弓射の戦闘力は高く、世界の歴史は2000年近く遊牧民が動かしていました。

 最強だった彼らを負かしたのは、オスマン朝(1299~1922)の鉄砲とイェニチェリを組み合わせた軍団です。イェニチェリは常備歩兵軍団のことで、初期の鉄砲は連射できなかったので、槍や弓を持った歩兵たちが不可欠でした。

 トルコ系イスラム王朝のムガール朝(1526~1858)が16世紀に北インドへ侵攻したときも、鉄砲と歩兵の軍隊でしたし、織田信長(1534~1582)も鉄砲隊と長槍部隊を組み合わせて戦いました。

 鉄砲はやがて連射できるようになり、雨の日でも使えるようになります。それが大型化して大砲になりました。20世紀になると、戦車が登場して地上戦を大きく変化させます。

 第二次世界大戦でドイツ軍が進めた「電撃戦」も、軍事革命の1つでしょう。航空部隊と戦車部隊の組み合わせで、一気に敵を攻め落とす戦い方は第一次世界大戦の頃にはなかった発想です。その実践者として、ドイツ軍のハインツ・グデーリアン(1888~1954)、エーリッヒ・マンシュタイン(1887~1973)などの将軍たちが名前を残しています。

 漫画や映画の秘密兵器に比べれば、地味に見えるかもしれませんが、目の前に居並ぶ新兵器(チャリオットなど)を見た敵軍は腰を抜かし、震え上がったことでしょう。「なんや、これは!  退散、退散」と逃げ出したはずです。

 ビジネスの世界でも、GAFAのようにイノベーションを起こした企業がしばらくは圧勝します。その勝ち組も、いずれは新しい秘密兵器に敗れる。相手が腰を抜かすようなアイディアがないと、戦争もビジネスの戦況も一変できないということです。

(連載第13回)
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■出口治明(でぐち・はるあき)
1948年三重県生まれ。ライフネット生命保険株式会社 創業者。ビジネスから歴史まで著作も多数。歴史の語り部として注目を集めている。
※この連載は、毎週木曜日に配信予定です。

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