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反田恭平(ショパン国際ピアノコンクール2位)「ほかの誰かのために弾く」

日本は好きだけど好きじゃない。「馴れ」を断ち切って世界へ出よう。/文・反田恭平(ピアニスト)

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反田さん

日本初のオーケストラの株式会社

12歳から夢見た舞台は、ほんの一瞬に感じました。ショパン国際ピアノコンクールで迎えたファイナル。僕がこの世のすべての曲の中で最も好きなショパンの『ピアノ協奏曲第一番』を弾いた40分間は、15年間願い続けた夢が叶った時間でもありました。

結果は2位入賞。51年前の内田光子さん以来、日本人として2人目だそうです。受賞後は、目の前の景色が急速に変わり始めました。これまであやふやでぼんやりとしか見えていなかった目標やハードルが、ようやくくっきりと見えるようになった。メガネを外し、急にコンタクトレンズをつけたような感覚です。「ショパンコンクール2位入賞」という立ち位置を手にし、今後どのように日本の音楽界を変えていこうかと考える日々です。

今回出場を決めた大きな理由の一つに、僕の経営する「Japan National Orchestra株式会社」の存在がありました。

はじまりは、デビューから2年が経った2018年。同級生や友人、先輩後輩を8人集め、ダブルカルテット(各パート2人ずつの弦楽四重奏)をプロデュースしました。翌年には、木管楽器とコントラバスを加え、倍の16人でオーケストラに。最終的に「Japan National Orchestra」と名付け、昨年5月に株式会社化に漕ぎつけました。

オーケストラを株式会社にした例は、日本で初めてだとか。この国には実力のある演奏家がたくさんいるにもかかわらず、若手にはコンサートなど人前での演奏の機会がなかなかない。世界を引っ張っていける子たちもたくさんいるのに、悔しいんです。まずは若い人が音楽で食べていける世の中にしなければ、と僕が社長になり、メンバーを「社員」として給料を支払っています。この間に、NEXUSという音楽事務所も立ち上げ、コンサートの運営や演奏家のマネジメントもしています。

“スーパー音楽院”を作りたい

もともと、「自分の手で音楽学校をつくる」という夢があり、周囲にも話していました。その実現に必要なものは何か考えたとき、学校専属のオーケストラはマストでした。超一流のチームで世界に飛び出し、実績を積みたい。

もちろん個人としても、“言い出しっぺ”の責任があります。いつかその学校のトップに立ったとき、世界から「誰だ、このピアニストは」と言われてしまえば誰も学びに来ないでしょう。まずは僕自身が世界的に有名になり、自分のオーケストラを世界に連れて行く。それで学校をつくるのだ、とコンクールへの出場を決めたのです。

だから、2位という結果が出たときには本当にほっとしました。会社を経営したり、オンラインサロンをやってみたり、いろいろ試みてもコンクールで結果が残せなければ、「手を広げすぎるから失敗するんでしょ。演奏家は演奏だけしていればいいのに」と言われることは目に見えていましたから。

学校をつくるという夢の原点には、いまの日本の音楽教育、そしてクラシック界そのものに対する危機感がありました。

全国たいていどこにでも音楽学校や音楽教室がありますが、少子化によってこの先経営がどんどん厳しくなることは明らかです。もっと言ってしまえば、クラシックに興味を持つ子どもが少なくなり、音楽を学びたいという人口自体、減少の一途をたどっています。

そのような状況下で、日本の教育機関はいまのまま安穏と構えていていいのか。実力ある演奏家を育てる環境をきちんと整えない限り、30年、40年後、誰もクラシックコンサートに足を運んでくれなくなるのではないか、ということをずっと考えてきました。

学校数の割に、日本には特出して優秀な生徒の面倒を見られる場がほとんどありません。だから将来つくる学校では、一般的なコースだけでなく本当のスーパーエリートしか受け入れないコースも設けたい。本気で人生を音楽に捧げようと思っている子たちには、われわれもそれ相応の覚悟で向き合わなければなりません。

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ショパンコンクール2位は日本人最高位タイ

プロデュースできないと生き残れない

毎年、1万人規模の音大卒業生が誕生しますが、そのなかで、音楽で食べていけるプロになれるのはほんのわずか。ゼロパーセントに近いと言ってもいい。確率で言えば、総理大臣になるよりも難しいかもしれません。そんな厳しい世界において、中途半端にプロを目指しても後悔するのは自分だと思います。“スーパー音楽院”に入れなければ、その時点でプロはあきらめる。それくらいの覚悟と気概を持ってほしいのです。

なんとなく小さな頃からピアノをやっているからなんとなく音大に入って、なんとなくプロを目指す。でも結局、途中で辞めて全然違う仕事に就く。そういう子たちが僕の周りにもたくさんいました。

何のために親御さんは高い学費を払っていたのか、そもそも何のためにピアノを始め、弾き続けていたのか。そう聞くと、「私だって、できるものならプロとして演奏する機会を持ちたかった」という答えが返ってきます。

では、そのために自分で動いてみたのか。SNSで宣伝してみるとか、自分で小さなホールを借りてお客さんを集め、少しでも利益が出たらそれを元手にまたコンサートを催すとか。みんな、それをしないんです。「誰かがやってくれるだろう」という受け身の空気が、いまのクラシック界には流れています。

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海外の同世代の音楽家たちと話していると、「音楽祭」という言葉をよく耳にします。「僕、音楽祭持っているんだけど今度出てくれない?」なんて会話がしょっちゅうあるんです。日本では、セットを組んで集客し、チケットを売って……と、とんでもなく大がかりなことのように感じられますが、ほかの国では、たとえ教室のような小さな場であっても、何日間かコンサートをやれば「音楽祭」と呼んでしまったりする。その気軽さが素晴らしいと思いました。

日本の若者には意外にそういう行動力がなく、保守的でリスクを背負うことを恐れがちです。でも、そういう時代はもうおしまいにしなくちゃ。あれこれ考えて動けなくなるよりも、あまり身構えず、自分の演奏の場は自分で作ってしまえる人が増えればいいと思います。

5年以内に、自分で会社を経営する演奏家が増えていくと断言できます。令和になってSNSはより活発になり、ピアノ系YouTuberが増えて、表現の場が広がりつつある。逆に、演奏家は自らプロデュースもできないと生き残れない時代だと言えるかもしれません。

当然、音大でもそのための教育が必要になる。自己プロデュースの授業とでもいうのでしょうか。いまの大学では技術は教えられても、演奏家を一人で食べていけるよう育てる授業はほとんどないのが現状です。僕も経営に関してはまだまだひよっこなので、会社のスポンサーであるDMG森精機さんのもとで勉強しています。

そもそも日本のクラシック界においては、勝ち上がっていくため、成功するためにどうすべきかを口に出すのはなぜか恥ずかしいことだという風潮があります。もしかすると音楽に限らず、あらゆる芸術分野において同じことが言えるかもしれませんが、「お金を稼ぐ」ことに周囲が異常な拒否反応を示すのです。

自らの生計を立てる、社員を抱えて養うなどお金が必要な場面はいろいろあると思います。音楽で稼いで生きていく方法を考えるのは恥ずかしいどころか、とても立派なことだと僕は思います。演奏そのものだけでなく、それに付随するさまざまなことを学び、自ら考えられなければ、世界で通用する音楽家には育たないのだから。

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「サムライ」ヘアと筋トレ

今回のショパンコンクールに向け、練習は当然のことながら、容姿にもかなり気をつかいました。顎下までのボブを後ろでひとつにまとめる髪型もそう。ロシアへ留学したばかりの頃、先生からストレートに言われたんです。「よっぽど特徴がない限り、正直アジア人の顔の違いはわからない」と。たしかに僕も、ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人の違いはわかりません。ならば海外の舞台で「サムライ」と呼んで覚えてもらおうと、当時から同じ髪型を続けています。

もともと反田家は武家だったらしいんですよ(笑)。じいちゃんが亡くなる直前、家族を集めて言いました。「反田家の先祖は武田信玄に仕えていたんだ」と。嘘みたいな本当の話ですが、それがなんとなく頭の片隅にあって、髪と髭を伸ばし、「サムライ」として印象付けようとしたのかもしれません。

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肉体改造にも取り組みました。ジムに通ってトレーナーについてもらい、背筋や腕の筋肉、演奏中に体幹を支えるための脚の筋肉を鍛えました。ふくよかな演奏家は多いけれど、マッチョはいない。全身が筋肉になるとどんな音が出るのか、ずっと気になっていて。昔から、気になったことは確かめないと気が済まないたちなんです。

案の定、音が硬くなったので、つけた筋肉を脂肪に変えることにしました。今度は特別なトレーニングはせずただ食べるだけ(笑)。1年ほどで理想的な身体になり、音に深みが戻るのがわかりました。

実は、世界を目指すうえで筋肉は不可欠です。音響など、日本は世界でも類を見ないほど演奏環境が整っていますが、海外は場所も設備も本当にまちまち。「ピアノが置ければそこはホール」というポジティブな考えで教会で弾いたり、舞台がメインの劇場であるオペラ座で演奏することもあります。客席の真っ赤で分厚い立派なクッションは音を吸収してしまい、まったく遠くまで届きません。収容人数も、たいてい日本より多い。

ショパンコンクールの会場であるワルシャワのフィルハーモニーホールも半分劇場のようなもので、そのままの体格では音が飛ばないことはわかっていました。こればかりは体が大きくなければはじまらない。海外の舞台できちんと音を届けるには、鍛えられた筋肉が必要なのです。このようなことも、きちんとした教育の場で教えないといけないと思います。

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発達した手元の筋肉

先生の“コピー”が量産される国

日本では音楽に限らず、周りを見て足並みを揃えることが求められますが、これが音楽教育にも影を落としています。先生と生徒が議論しないのです。レッスンで先生に「ここはスラーでクレッシェンドしていくよ」と言われれば、何の疑問も持たずその通りに弾く。「どうして?」と疑問を持つことがないから、先生の“コピー”は量産されても、曲の自由な解釈は一向に生まれません。海外では、先生と生徒の議論が当たり前なのに。

僕は、日本でレッスンを受けているときから、自分の弾きたいものとちがうときには、先生の解釈が理解できないということをはっきり伝えていました。「先生は作曲家と会ったことがあるんですか?」などと平気で言っていた。本当に、嫌な生徒でした(笑)。

でも音楽に正解はないと思っていたし、ピアノを弾く以上、僕は表現者だった。ドからレのたった2音、その移り方だけで何万通りもあります。そのなかで自分がなぜその表現を選んだのか、作品、作曲家の意図をどう汲んだのか。すべて言葉にする準備はできていました。

「ボロクソ言わせていただきます」

失礼を承知で言いますが、ピアニストに限定すると、51年前の内田光子さん以降、日本にはなかなかスターが現れない状態が続いているように思えます。

ショパンコンクールを終え帰国して早々、文化庁や文部科学省から、日本のクラシック音楽界についての意見交換会のような場に呼ばれました。「すみません、ボロクソ言わせていただきます」と先に断ってから、思っていることはほとんどすべて率直にお伝えしました。この3、40年、文化庁は何をやっていたのでしょう。なにやってるの、日本、と。

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