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【99-教育】教育格差是正に向け 地道な策から逃げるな|松岡亮二

文藝春秋digital
文・松岡亮二(早稲田大学准教授)

日本は「教育格差社会」

本人が選ぶことのできない育った家庭の社会経済的地位(Socioeconomic status, 以下SES)、出身地域、性別といった「生まれ」によって、教育達成に差があることを「教育格差」と呼ぶ。頻繁に混同される言葉に「学歴格差」があるが、これは最終学歴によって大企業で雇用されやすいといった就職機会など学歴による様々な便益の差を意味する。

日本は他国と比べると標準化された義務教育制度を持っているので、どんな「生まれ」であっても教育機会が付与されている以上、後は本人の能力と努力次第といった見做しが共有されやすい。しかし、拙著『教育格差』(ちくま新書)に未就学から高校まで様々な視角のデータを示したように、この「同じ教育機会」は幻想に過ぎない。たとえば、98%の児童が通う公立小学校であっても、地域のSESによって平均的な学力や通塾率など、学校間には様々な格差がある。居住地域ごとに別世界であり、どんな同級生がいるのかはSESとは無縁ではないのだ。また、拙著で国際比較のデータを示したように、日本は「凡庸な教育格差社会」に過ぎない。

コロナ禍に限らず、「新しい時代」といった「変化」を語り、警鐘を鳴らす言説をメディアで目にすることが多い。確かに戦後、日本だけではなく世界は大きな変動を繰り返してきた。「変わりつつあるもの」は耳目を集めるが、まずは、時代を超えて「変わってこなかったもの」と向き合うべきではないだろうか。何しろ「生まれ」の相対的有利さ・不利さによる「教育格差」は、多少の拡大縮小を伴いながらも大勢としては戦後に育ったすべての世代で存在してきた。日本は「生まれ」によって教育達成が異なる「教育格差社会」なのだ。

「教育格差」の一部である「子どもの貧困」も「変わってこなかったもの」といえる。拙著で示したように、1980年代に「子どもの貧困」はメディアでほとんど取り上げられなかった。しかし、当時は相対的な貧困率が低かったとはいえ子供の人口規模が大きかったので、近年と同じぐらいの人数が相対的貧困下にあった。メディアによる注目度が「変化」しただけで、「子どもの貧困」は大きな規模でずっと存在してきたのである。

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